とあるシングルマザーの悩み

★健康な男ですから

【大学1年9月~】


 俺は20歳で健康な男だ。彼女はいないが、お金はある。


 何を主張したいかというと、医学的にも処理が必要なお年頃という事だ。だから、俺は、大人のお店に行く事がある。9月は家庭教師で夜が忙しかったため、平日の昼間にそういう所を利用していた。


 ある時、予約をした女性をホテルで待っていた。源氏名げんじなはナナミさん。


 彼女が入室してきて、まず、服装が普段着に近いものだったので驚いた。半袖の薄い黄色のブラウスにフレアスカート。ちょっとスーパーに買い物に行ってくるという感じだった。後で聞いたのだが、昼間の人は、そういう格好かっこうの方がお客さんの受けがいいそうだ。


 ナナミさんは、身長155cmくらい。決して美人ではないが、笑うとすごく可愛い。年齢は27歳だと言っていた。俺はいろんな経験が足りないので女性の実年齢は見当がつかない。


 最初の挨拶あいさつから好印象だったし、彼女の距離の取り方が心地ここちよかった。例えば、ソファーの横に座る時も、くっつき過ぎず、離れ過ぎず。


 会話も話し過ぎず、聞き過ぎず、言葉のキャッチボールをうまくやろうとしていた。


 俺の経験上、大人のお店の女性は、自分の話を語り続ける事が多い。元来、話すので好きな人もいるし、お客さんのプライベートを突っ込んで聞けないから、自分の話をするしかないという理由もあると思う。また、時間稼ぎの意味もあるかもしれない。だが、俺は人の話を聞き続けるのは、あまり好きではない。


 彼女のお腹に妊娠線があったので、プライベートな事を聞いていいのか迷ったが、思い切って尋ねてみた。


「お子さんがいらっしゃるんですか?」


「はい」


「ちなみに、おいくつですか?」


「1歳半です」


「きっと女の子じゃないですか?」


「当たりです。なんでわかったの?」


「なんとなく。確率1/2で当たっただけです」


 会話を続けているうちに俺は彼女の事が、すっかり気に入ってしまった。


 いろいろ終わった後で、彼女に次の出勤日を聞いた。明後日あさっての午前11時からの出勤だという。予約状況を確認して貰ったら空いていたので予約を入れた。


***


 2日後、また彼女とホテルで会った。時間があったので昼食を頼み2人で食事をした。


「帰る前だとバタバタして忘れそうだから、今、渡すね。ほんの気持ちなんだけど、これで娘さんに何か買ってあげて」


 食事の後に、そう言って、彼女に「ぽち袋」を渡した。中には1万円が入っている。


 すると彼女は「はっ」とした顔をして、下を向いてしまった。


「あ、なんか余計な事をしちゃったかな。ごめん」と俺は謝った。


 彼女は、下を向いたまま首を横に振った。俺はどうしていいのか分からず、黙っていると彼女の顔からポタポタと涙が落ちた。


「ごめん、ごめん・・・」と、俺は謝った。


 すると、突然、彼女は俺に抱きついてきた。


「違うの。ごめんなさい。違うの、ごめんなさい」と何度も言いながら、大泣きした。彼女は泣きながら、時系列のよくわからない事を語った。


「私、本当はこんな仕事したくない」


「もう、どうしていいか分からない」


「私だってがんばった。でも、子供が小さいからしょうがないじゃない」


「嫌でやっているこの仕事だってうまくいかない」


「あの人が私の事を愛してなかったのは知っていたのに」


「マリちゃん(たぶん子供の名前)、ごめんなさい、ごめんなさい」


「もっとうまくやれる方法だって、きっとあったはずなのに」


 俺は左手を彼女の腰に回し、右手で頭をで続けた。


「大丈夫」「安心して」「がんばったね」「あなたは悪くないよ」


 意味はないかもしれないが、俺には優しい言葉を掛け続ける事しか出来なかった。


 30分くらい彼女は泣いていただろうか。落ち着いてきたみたいで、ふっと、我に返ったのか、俺から離れて、


「ごめんなさい、ごめんなさい。せっかく長い時間、指名してもらったのに、こんな事で時間を無駄むだにして・・・」


「こんな仕事したくない」と彼女が言っていた事を思い出して、俺は心の中で苦笑した。もはや俺にエッチな気持ちなど微塵みじんもなかった。


「大丈夫ですよ。大丈夫。それより、これも何かのごえんだから、もしよかったら、あなたの事や悩んでいる事を聞かせてもらえませんか。俺に何か手助けできるかもしれないし、そうでなくても人に話す事で、すっきりするかもしれません」


 俺が何度もうなしていると、彼女がぽつり、ぽつりと話し始めた。


 時系列を整理するとこうだ。


 彼女は大学を卒業して大手企業に就職し、不動産管理の部署で働いていた。


 入社3年目の25歳の時、付き合っていた同僚でもある彼氏との間に子供が出来た。彼女は結婚を望んだが「僕たちには子供はまだ早い。お金を出すから、中絶ちゅうぜつしてほしい」と彼氏は言ったそうだ。


「せっかくさずかった命を消す事なんて出来ない」と彼女は猛反発。


 何度も話し合ったが平行線のままだった。


「これ以上、中絶しろと言うなら、会社に妊娠させられた上に無責任に中絶を強要されていると相談する」と、最後は彼氏に、そう通告したそうだ。


 同じ会社の同じ部署同士だったので、そんな事になれば、彼氏の会社での立場はなくなる。いろいろあったが、彼氏はやむを得ず、結婚を選び、彼女は寿退社ことぶきたいしゃした。


「彼は、たぶん、結婚までする気はなかったと思う。今思うと、愛のない結婚だった」と彼女は語った。


 結婚後は胎児たいじの成長が不安定で、医師から夫婦の行為は止められていた。そうした不満が重なり、旦那は暴言を吐くようになっていった。


 ある時から夫のDVが始まってしまった。暴力の後は、泣いて謝り言い訳をするというDV男の典型的なパターン。


 彼女は亀になって必死でお腹を守った。旦那も腹だけはマズいと思ったのか、顔や腕、背中、尻などを殴った。病院にも行くような怪我けがもあったそうだ。


 度重たびかさなるDVに耐えかねた彼女は、義母ぎぼに相談した(義父は他界していた)。3人での話し合いの結果、子供が生まれるまで別居という事となり夫は実家へ帰った。これが出産の3か月前。


 彼女の父母はすでに他界しており、兄弟もおらず、親戚しんせきとも微妙な関係だったので頼れる人がいなかった。出産までは、義母がいろいろ手助けしてくれて、無事に女の子を出産した。夫は、別居後、子供が生まれても一度も病院に来ることはなかった。


 出産後も彼女1人の子育てを義母も支えてくれたが、子供が2ヶ月になった頃、義母が泣きながら土下座してきた。


「息子は、最近、私にも暴力を振るうようになった。このままでは、いずれ、孫にも手を出すかもしれない。自分の息子ではあるが、あんな子とは別れた方がいい。息子がこうなってしまったのは私のせい。本当にごめんなさい」


 彼女は、子供には父親が必要だと考えていた。いつか夫も優しくなるのでは、というあわい期待もあった。だが、夫が子供を虐待ぎゃくたいする可能性があると言われると、やはり無理なのかと思い始めた。


 ある時、義母が現金で300万円を渡してきた。


「これは私からの、せめてものおび。今、私が出来る精一杯の額です。息子はこのお金の事は知りません」


 お金を見て、義母の本気度をさとった彼女は離婚を決意。義母の仲介で、夫に離婚届を書いてもらい提出。その後、保証人のらないアパートを探して引っ越した。嫌な思い出しかないので、家具家電は、ほぼ置いていった。


 引っ越し後、彼女は認可保育園に入園の申し込みをした。しかし、こんなご時世なので、すぐにきがなかった。


 子供が生後6カ月の時に派遣会社で事務の仕事を見つけ、無認可保育園に子供を預けて働き始めた。保育料は1カ月で10万と高かったが、無認可保育園でも行政からの補助が若干ある。彼女の目論見もくろみでは、手取りで月に10万は稼げると思っていた。


 しかし、この頃から子供が風邪をよく引くようになった。いわゆる、知恵熱という奴だ。保育園では、熱があると子供を預かってもらえない。そのため仕事を休んだり、保育園から電話がかかってきて会社を早退する事が度々たびたびあった。


 結局、派遣の仕事は、3か月で切られてしまった。休む事が多かったので、派遣会社の特別手当や入社祝金などももらえず、思ったほどかせげなかった。


 次の就職先を探したが、小さな子供がいるシングルマザーはいい顔をされず、良いところが見つからなかった。仕方なく、一時保育で、日当の仕事をしたが、保育料を引くと日当数千円にしかならなかった。


 子育ての疲れ、就職出来ない事の不安、そして誰にも相談できない事で、彼女は疲弊ひへいしていった。


「この子さえいなければ・・・」と思った時に、「はっ」として、彼女は自分が精神的にヤバい状態だと気がついた。


 すぐにメンタルクリニックに行くと、うつ病ではないが、その一歩手前と言われた。子供が夜泣きした時に起きれないと困るので、彼女は、睡眠導入剤などの薬は拒否した。


 医師は、それならと、薬は出さず、診断書と紹介状を書いてくれて、行政の子育て支援センターへ行くことをすすめてくれた。


 支援センターでは、数百円で子供を預かってくれるので、週に数回、子供を預けて散歩したり、昼寝したり、自分の趣味を見つける事を薦められた。他にも無料のカウンセリングを受けたり、子育てサークルにも参加してママ友も出来た。精神的にも気持ちがずいぶんと楽になった。


 お子さんは、相変わらず、熱を出しやすいようだった。医師によれば成長すれば改善してゆくとの事で、そこは心配していないが、就職が難しいのには悩んでいた。


 今年の8月、ついに貯金が半分を切った。このままでは、どんなに節約しても1年持たずに、お金がなくなると途方とほうに暮れた。


 子供のためには、仕方ない。就職できるまでの短い期間だからと、彼女は自分に言い訳して、そういう仕事を始めたそうだ。俺と会った時は、仕事を始めてから1カ月もたっていなかった。


「子供に気を使って貰ったのはうれしかった。でも、仕事中に子供の事を考えないようにしていたのに、思い出したら、いろんな感情がいてきて泣いてしまったの。本当にごめんなさい」


 先程さきほど、泣いたのはそういう理由らしい。


 子供をダシにチップを渡した事で彼女を追い詰める事になったが、俺は事情を知らなかったし、客としては普通の行為だ。


 もし、彼女がプロならニコっと笑って受け取れたはずだ。俺に言わせると、彼女はプロではないし、まだ引き返せる。


 いや、引き返すべきだと俺は思った。



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