第3話 ローレンツ因子

~結菜視点~


 私たちが、速さを表す単位は、光速に対しての比率で述べることが多い。話し言葉としてならコンマスリー、表記とするなら、0.3c0(光速の30%)なんていう表記になるのだろうか。戦闘機のスピードをM(マッハ、音速)との対比で表すのに似ているかもしれない。多くの世界をこれまで渡ってきたが、どの世界でも光速は宇宙で約30万km、水中で約22万kmというのに変化はなかった。


 早く動いている際に、光速に近づくほど、自分の時間が進むのが周囲に比べて遅くなっていく。これは特殊相対性理論と呼ばれるもので、この制約のため、光速に近づくほど、より多くの加速が必要になり、さらに加速をすると、さらに時間が進むのが遅くなるというパラドックスに陥る。


 若彦と戦っているときには、光速にどこまで近づけるほどのエネルギーをどのタイミングで投入するかというのを見極める必要がある。0.3c0から0.6c0に加速する場合に必要なエネルギーは、自分の時間が2割ほど遅くなるが、その程度だから3倍のエネルギーを使えば容易に倍のスピードに到達できる。


 ところが0.9c0から0.99c0に加速しようとするだけで、3倍も時間が遅くなる。これは、ローレンツ因子で計算できる。光速の0.99c0をさらに加速し0.999c0まで加速しようとすると、さらに3倍も時間が遅くなるのだから、それぞれ3倍以上のエネルギーが必要になってしまう。


 マッハ1を超える際の「音の壁」(音速を超えると、より効率的に走行できる。)、マッハ3を超える際の「熱の壁」(空気圧縮によるもののため、空気圧縮前に空気を後ろに逃がしてやることで解決する。)は、克服してしまえば、何と言うこともないのだけど、この光の壁は近づくほど高くなるため、克服することが難しく、私たちも、この壁を生身のまま越えることはできていない。


 生身でなければ、一度、体を粒子に戻して移動すると、移動先で体が修復されるので、光速を超えることもできるが、修復されるまでに時間が掛かるために、無防備な状況が続いてしまうので、通常の戦闘では使えないのだ。


 若彦相手の高速戦闘は、エネルギーとの戦いでもある。



~若彦視点~


 今回の結菜との戦いは、速度勝負になった。というのも、この世界が重力がやや軽く、構造物も少ない草原が広がり、それでいて足場も安定しているからだ。この惑星自体も広くて、速度が出しやすく八分光年0.8c0で駆け抜けても二秒くらいかかる。


 自分の感覚では、八分光年で走るのが一番早く感じていて、九分九厘光年0.99c0で駆けると、同じ一周でも自分の体感だと十秒以上に感じる。相手から見ると一秒半程度の時間となるらしいが、全力で長い間動き回るのであり、さすがに疲れがたまる。八分光年では、自分の感覚だと三秒くらいだから、三倍以上の時間を本気で走るのは自分でさえもあまりしたくはない。


 とはいえ、楽な八分光年で動いていれば、結菜に罠を仕掛けられそうであるし、速度を時に変えながら、数秒おきに接近しつつ、岩を投げつけて攻撃したり、時に直接、拳を当てようとするのだが、お互いに有効な打撃を与えることができない。


 この広い惑星を二万周ほどお互いに駆け抜けた辺りで、だいぶ暗くなってきて、もう五千周ほど駆け抜けると、完全な日没になり、この世界にも夜が来たようだった。


 残念だが、今回は引き分けで終わったようだ。久しぶりに全力で駆け抜けたなと良い戦いができたことを心の中で結菜に感謝し、荒ぶる魂の討伐は明日にしようと考えるのだった。


~荒ぶる魂の視点~


 俺は、ハヤン。この世界で長くグランドマスターをやっている。もともと足が速かった俺だったが、力はそれほど強くなかった。400年ほど前の俺がまだガキだった頃は、スピードが速くても、力が強くない者は馬鹿にされていた。


 力のある者こそが王という、野蛮な世界だった。


 だからこそ、農業などという、ひとつの土地に自然に手を加えて水を持ってきて、耕作という作業をして、収穫して野菜や米などを食べるという野蛮なことが行われていたし、一つの場所に動物たちを飼って、育てて、そして、その動物の肉や卵を食べ、乳を飲むなどという人道に外れたことをやっていたのだろう。


 そういう作業だと力が大事なのだろうが、そんな野蛮なことをする男が持て囃されるのは間違っていると俺は思っていた。そして、あの日、俺の幼なじみの彼女、てっきり俺と結婚してくれるものとばかり思っていたら、俺を裏切って、力だけ強くて、足も短くて、挙げ句の果てにハゲた男を夫として紹介してきやがったんだ。その時、俺はこの世界を絶対に変えてやると誓った。


 俺は、仲間とともに声高にそういう奴らのことを非難し、飼われている動物は解放してやり、農地などと称する場所はスピード競争をしてやって農地や水路をめちゃくちゃにしてやった。


 長く、そういう活動をした結果、この300年ほどは、皆、外で狩りをして生活するようになったし、この100年ほどは、卑怯な集団での狩りや罠による狩りを禁止したことで、ようやく足の速い人間が正しく評価される世界になったのだ。


 足が遅いやつは、イノシシに追いつくのもできないから、ほとんど野草を食って生活する。顔が良ければ男でも女でも、足の速い人間様の愛玩動物として生きるが、年を取ると捨てられ、野垂れ死ぬ奴も多い。


 イノシシに追いつけるようになるやつだとイノシシ狩りをして生活する。野草を食って生活するやつよりは、マシだが、イノシシ野郎とかウリ嬢なんて呼ばれて、子供を育てるのも難しい生活を送ることになる。クマにも追いつかれるノロマだから、狩りに行っている際に遭遇して命を落とすような奴も多い。年を取って足が遅くなり、狩りができなくなると、昔の仲間から狩った動物を運ぶ仕事を貰って生きる仕事をするのだが、仲間内の評判が悪い奴だとそういう仕事も貰えず野垂れ死ぬし、運ぶ仕事ができなくなるほど老いると野垂れ死ぬ。だから、愛玩動物として生きる奴もいるし、俺の愛玩動物になるのは最低でもこの辺りからだ。


 ウマに追いつけるようになると、まぁ一般市民か。運悪くライオンやチーターなどが近くに居合わせると狩りで死ぬこともあるが、安定して狩りができるから生活は安定する。年を取って走れなくなるとしても、昔の仲間が狩った動物を運ぶ仕事をしながら、若い頃の蓄えでなんとか寿命を迎えることもできるだろう。


 俺が人間として認めるのは、ウシ(バッファロー、ヌー)に追いつけるやつだ。そういう奴は、男でも女でも多くの愛玩動物を持ち、愛玩動物や倒した獲物を自慢して生活する。いわゆる貴族の仲間入りがこの層だとできるのだ。


 自ら狩りをすることも少なくなり、部下に狩りをさせて普段は暮らし、バッファローの出現情報を聞きつけると、自分で出かけて仕留めて、その角を仲間に自慢して、庶民が食べる肉とは全く違う美味しさを持つ牛の肉を堪能できるようになる。


 そして俺のような選ばれた人間は、長時間、シカ(スプリングボックやプロングホーン)を追いかけて、仕留めることができるし、ライオンやチーターなど短距離だけだが、足が速い動物に短距離で争っても勝てる。


 俺以外には、これに近い芸当ができる奴は俺のスピードマスターの栄誉を与えていた息子ただ一人だけで、その息子にしても俺ほどの速さを持ってはいない。俺は寿命を長くする特別な果実を独占して、長くグランドマスターとして君臨し、我が世の春ってやつを謳歌していた。


 ところがだ、いきなり現れた二人が、俺に挑戦してきた。


とくに女性の方が、「一般人が時速70kmで走る世界ね。重力が軽いことを抜かしても、速いとは思うけど、今までに、マッハで活動する人間がいる世界を経験していると盛り上がりには欠けるわね。」と抜かしていたらしく、周囲の者が俺や息子よりも速いと噂をしはじめるものだから、挑戦を受けて痛い目を見せてやることにした。


 俺は息子を引き連れて、郊外にやってきた。郊外には噂の二人以外にも多くの市民たちが俺たちの到達を待っていた。先にウシを仕留めて帰ってきた方が勝ちというゲームをする旨を奴らと見物の市民に伝えて、対戦の準備を整える。砂嵐が収まってから、30分ほどで、30kmほど先にバッファローがいることを確認した仲間からの連絡があり、これを息子にだけ伝えたうえで、ゲームをスタートさせた。


 俺の息子は間違いなく速いし、バッファローの位置も特定できた今、負ける要素は皆無だと思ったのだ。


 スタートの合図をして、走って行く息子を見ながら、「時速150kmというところかな。速いとは思うんだけどね。」なんて言いやがる。スタートしてもくっちゃべるから、てっきり男の方がゲームに参加するのだろうと思ったら、「じゃ、そろそろ行ってくるね。」と巫山戯たふざけたことをいう。


 そして女性が出発したと思ったら、あっという間に見えなくなることに驚愕する。挙げ句の果てに男が、「結菜、だいぶ手抜いているな。今、マッハ二くらいか。昨日の疲れが残っているのであろう。」と呟くのを聞いて、さらに驚く。


 我が息子が、狩りに成功したとの連絡があったのが15分後、戻ってくるまで30分を割っていたが、あの女が帰ってきたのはわずかに3分後だった。それもヌーを抱えて戻ってきたのだ。


 確かに物凄い速さで見えなくなったとは言え、到底信じられない。ここから一番近くにいたバッファローまで30kmで、それより近い場所にはいないはずだった。それどころか周囲50km圏内にはいないはずだった。


 50km以上離れた場所まで行き、そこからウシを探し出して、仕留めて戻ってきて、スピードマスターの約10分の1という短い時間で帰ってくるという芸当ができるとは到底思えなかったのだ。そこで、俺と息子は浅はかにも「スピードマスターよりお前が速いなんて認めない。スピードマスターが狩ったのはバッファローだが、女が狩ったのはヌーだ。俺はヌーをウシと認めていない。」と言い張った。


女は、「スピードマスターを名乗って良いのはオメガだけよ。グランドセイコーとかも烏滸がましいわね。私が愛用していた入学祝いで貰った時計はカシオのBABY-Gだったし。」なんて訳の分からないことを言う。


そして、男が「認められぬなら仕方ない。」と述べると、あろうことか自分と息子を両脇に抱えて駆け出した。息子は先ほどまで悲鳴を上げていて、今も上げているようだが、先ほどから全く聞こえなくなった。(結菜注 マッハ1の音速を超えた場合に起きる現象だ。)


 さらに男は加速したようで、空気が熱くて痛い。止まってくれと叫んでいるのだが、音が前に飛んで行っていないような感覚だ。無論、全く止まってくれる気配はなく、空気は益々熱く硬くなってくる。(結菜注 マッハ3の熱の壁を超えるときに起きる現象だ。)


 熱さが更に増していると思ったら、あろうことか俺と息子の頭に火がつき、即座に消える。俺の全ての髪の毛とともに…。


 俺は、確かに悪いことをしたと思う。俺の幼なじみの彼女を奪ったあの男と同じような力が強い奴を虐待したことは少し反省している。そして、少し足が速いからと調子に乗ってたとは思うんだ。だが、400歳も過ぎた今、小脇にかかえられたまま、世界中を引きずり回らせられ、頭を燃やされハゲにさせられるほど悪いことをしたのか?

 

 なぁ、あいつらはいったい何者だったんだ?

 それと、BABY-Gってなんなんだ?

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