第16話 亀

 地面に手を付き、真っ直ぐに魔力を押し込んでいくと、最初のうちは押し込まれるまま沈んでいたものが、ある地点から周囲に染み渡るように広がり始めた。

 深さは二〇メートルくらいだろうか。

 少しでも癒されて、こちらに気付いて出て来てくれれば後は万能薬で……と思ったがチェムレの神獣はタルトの何倍の大きさだろう。

 あいつで完全回復まで三つ……在庫は足りるだろうか。

 足りなければ作ればいいんだが、神獣の方にその時間の余裕があるかどうかが判らないのが不安要素。

 まあ、なるようになるか。


「っ……」

「随分と魔力を持っていかれているみたいだが、平気か?」

「どうかな。足りなくなったら回復ポーションを使うつもりだが」

「魔力の回復ポーションも持っているの?」

「持っていないポーションが無いぞ、たぶん」

「……冗談に聞こえないのがすごいよ、カイトは」

「冗談じゃないぞ?」

「そうじゃなくて、普通なら嘘だぁっとしか思えない発言なのにカイトが言うとマジだよねって意味」

「ふむ」


 判断に迷うところだが悪い意味ではなさそうだな?

 喋りながらだけど、魔力はものすごい勢いで消費中。これは早めに魔力用の回復ポーションも準備しておいた方が良さそうだなと、アイテムボックスから三本くらい取り出して地面に置く。


「透明のポーションって最上級品じゃない……」

「それを三本、めっちゃ雑に出して来たな……」

永雪山スノウマウンテンの最高ランクの万年雪を持っていれば大概のポーションは作れるからな。これの製作者は『薬師』のアンだけど」

「それ、名前だけでワンランクアップするやつな」

「二人に何かあった時も湯水のごとく使うから安心していいぞ」

「カイトの側では絶対に怪我しないから」

「ははっ」


 怪我しないと約束してもらえるのは、それはそれでアリだ。無茶をさせてしまう原因は俺だって自覚もあるし。


「面倒掛けるけど、しばらく頼むな」

「ああ」


 そんな遣り取りをした直後だ。


「先ほどから一体何をしているんだ」と声を掛けて来たのは城から監視として付いて来ていたチェムレの役人で、こいつに習うように複数の気配が警戒を露わにしている。


「怪我人の治療中だよ」とヴィン。

「冒険者だもの、困っている相手は放っておけないわ」とレティシャ。

「怪我人などどこにもいないではないか!」

「正直者にしか見えないんだ」

「ふざけているのか⁈」


 俺が言うと、監視者が大声を上げ、ヴィンが口笛を吹く。


「それ言い得て妙じゃん。カイト巧い」

「俺の故郷の……あー……偉人の言葉だ」

「へぇ、俺も今度使ってみよっと」

「貴様ら……っ、とにかく立て!」


 地面に屈んでいる俺の肩を掴もうと伸ばされた監視人の手、その手首を掴んで問答無用に捻り上げたヴィン。


「うがっ、何をする!」

「何をする、はこっちの台詞だよね。Sランク冒険者を従わせようとすることがどんな事態を引き起こすのか、政に関わっている人間が知らないはずはないんだけど」

「くっ……」

「未遂で済ませてあげたんだよ、感謝して欲しいんだけど」

「あなたたちもね」


 言い放つレティシャは弓を構え、冒険者ギルドの建物上方に向けている。矢は放たれた後で、代わりとでも言うように地面に苦無に似た投擲武器が転がり落ちた。その他、いつでも武器を構えられるよう柄に手を添えているのが数人。いずれもヴィンの警告により固まっている。

 そう。

 使徒がどうの以前に、世界に十二人しかいないSランク冒険者に喧嘩を売るのは愚か者の所業だ。

 ただしいまこの状況下では彼らにも言い分がある。


「例えSランクであろうとも、チェムレ国に不利益をもたらす危険のある者を放ってはおけないのだ!」


 そう。

 彼らがどこまで知っているのかは俺達には判らないが、俺がチェムレを守るつもりでも、それによって不利益を被る人がいるのも、たぶん事実。


「じゃあ力づくでやってみる?」

「城に戻ってもらう……!」


 ヴィンの手を振り払い、逆の手で彼の襟を掴もうと腕を伸ばす。

 直後、身をかがめ相手の足を払いにいくヴィン。

 舞う砂埃。

 強い舌打ち。

 肘撃ち、払い、蹴り、防御。

 濃くなっていく砂塵が彼らの動きを見難くしていくが、打ち合う音はその激しさを増した。

 一方のレティシャは仕掛けようとする敵の気配を感じ取るなり先手必勝で矢を放ち、その動きを阻害する。

 その内にギルド内の職員達にも騒ぎが伝わったようで「Sランクに手を出すなんて言語道断ですよ!」と甲高い声が響き渡った。

 更に、周囲に集まって来る街の人々。

 何が起きているのか。

 誰が騒いでいるのか。

 スリか、暴漢か、酔っ払いか――そんなざわめきの中で、変化は始まった。


「来たな……」


 思わず安堵の息と一緒に零してしまった呟き。

 ぐらりと足元が揺れる。


「⁈」

「なっ……」

「きゃああっ」


 四方八方から上がる驚愕の声に比例するように大きくなっていく足元の揺れ――地震。

 うん、これは間違いなく大地が、神獣が、体を震わせている。


「っ」


 レティシャとヴィンも立っていられなくなってしゃがみ込み、俺も完全に地面に膝を付く。


「うわあああああっ⁈」

「いやああっ」

「た、助けて……っ」


 ガシャンッ、ガシャンッ、ガガガガッ……!!

 幾つもの破壊音、破砕音、そして、地割れ。


「やばいっ」


 さすがに一般市民に被害が出るのは看過できず風魔法で罅割れ周辺のすべてを吹き飛ばす。

 かなり乱暴ではあったが地裂に落ちるよりはマシだと思って欲しい。

 建物が倒壊する。

 遠く密林からは数多の鳥獣が飛び立つ。

 大地の罅割れから吹き上がって来る強烈な腐臭。


「うっ……」


 俺、ヴィン、レティシャは最初から使っていた風魔法のおかげもあって、何とか堪え切ったものの、周りにはひどい状態になってしまう人が続出。

 さすがにそろそろ落ち着いて欲しいと願ってから数分。

 揺れはようやく収まろうとしていた。


「……大丈夫か」

「な、なんとか……?」

「私も……」


 揺れが収まっても足が立たない。

 足腰も震えているけど頭がふらふらしている。


「これは想定外というか……」


 言っていた、その時だった。


『おまえが使徒だな?』

「――」


 目の前に、ちょこんと。

 縁日で釣られていそうな小さな、小さな、亀がいた。

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