第12話 チェムレの危機

 プールに浮いているみたいに意識がふわふわする。

 眠い。

 ……すごく、眠い。

 ふわりふわりと風船になったような気分で何にも見えない場所を漂っていたら、ふと懐かしい声が聞こえた気がした。


「……でね、天真が……」


 天真?

 これ、母さんの声……?


「 ……  って……のね……  ら ……天真ったら……  」


 何を喋っているのか聞き取れないのが残念だけど、楽しそうに笑っているのは伝わって来る。

 もう少し近づけないかな。

 自分が返事出来るとは思わないけど、せめて母さんの話はちゃんと聞きたい。


「そ …… でしょ? ゲー ……  」


 ふわり

 ふわり


「そういえば貴方、今度はチェムレに行ったんですって?」


 えっ。

 急に言葉がはっきりと聞こえ始めたことにも驚いたが、母さんの口からチェムレって聞くと違和感が……いや、母さんも『Crack of Dawn』のプレイヤーなんだから知っていても不思議はないんだけど、それにしたって俺がチェムレにいるのをよく知っていたな?


「天真が怒っていたわよ、一言も言わずに行くなんてーって。公式の告知が遅いとも言っていたわね。夕飯食べながらずっとぶぅぶぅ言ってるの」


 公式って『Crack of Dawn』の公式、……だよな?

 なんで俺がチェムレに移動するのを公式が告知するんだ? 意味がわからない。


「今度は魔王の誕生を阻止するんですってね」


 ……は?


「天真が手伝いに行くって言ってたから、メッセージを送る方法があるなら何か言ってあげてちょうだい。ふふふっ、あの子、あなたからメッセージ貰った日は大泣きして大変だったんだから」


 待っ……天真も大事だけどそうじゃない。

 母さん、魔王ってなに。


「あなたが半年くらいで戻るって言うなら、信じて待っているから、無茶だけはしないでちょうだい」


 手が、あたたかい。


「みんな待っているから、無事に帰ってらっしゃい、健也」――。



 ***



「……」


 手が温かい。

 これは夢じゃないのだと確かめたくて指先を動かそうとして、何かに触れたことに気付く。


「……っ」


 体を起こす。

 動ける。

 ここは……どこだ?

 見覚えのない部屋の様子に疑問ばかり湧いてくるが、手が温かかった理由はすぐに判った。

 椅子に座った状態で上半身だけベッドに倒して眠っているレティシャが手を握っていたからだ。

 暢気なこと言ってる場合じゃないのは判るんだけど、こういうシチュエーションって経験ないし、女の子の寝顔も初めてだし。

 睫毛が長いとか、可愛い、とか。

 でもそれ以上に、指先にかかる彼女の吐息が生きている事を実感させてくれることに感謝する。

 レティシャを起こさないよう気を付けながらそっと手を離し、こうなっている理由を思い出そうして……あの光景が甦る。


「っ……」


 腹の奥からせり上がって来るおぞましい感情に無理やり蓋をし、何かで気を散らせないかと思ったところで、システムからの通知に気付いた。

 これ幸いと開くと、いつかみたいに続々とメッセージ窓が重なっていった。担当地域外に水の魔石を寄付、炊き出しをしたのが『一時的な対処』扱いに。

 ロクロラの野菜を宣伝した事は『効果的』に。

 あと、炊き出しのスープとパンを渡す時にファビル様に感謝しろ的な事を言ったのが三〇〇ポイントの高評価だった。

 布教させる気満々か。


 とりあえず三〇〇ポイントあれば天真にまたメッセージが送れるけど、……そういえば魔王ってなんだったんだ。

 さっきの母さんの言葉は夢と言うにはリアル過ぎたし、かと言って俺がチェムレに居る事が公式に告知とか意味が判らんし、……って、え?


 ピロン、って届いた最後の通知。


『魔王誕生を一時的に阻止しました。100ポイントを付与します』


 ええぇ……。



 何とも言えない通知を受け取り、しばらく考え込んでいる間に遠慮がちなノックの音が聞こえて来た。

 こちらからの返事を待つことなく扉を開けて入って来たのは若いメイドと、彼女に案内された殿下、そしてタルトだ。俺と目が合うと皆してビックリしていたので、まだ寝ていると思っていたんだろう。

 メイドはお茶の準備だけして部屋を出ていき、殿下はすぐ傍のソファに腰掛けて話し始めた。


「もう目が覚めるなんて、魔力が枯渇した割には回復が早いな」

「……魔力は枯渇していないぞ」

「ならどうして気を失ったりなんか……」

「それは、あれだ」

「ん?」

「……魔力以外が限界だったんだよ」

「なるほど?」


 何て言ったらいいのか判らなくて言い訳っぽくなったら、イザークが面白そうに笑った。

 からかわれるかなと思ったけど。


「まぁ目が覚めたなら良い。レティシャとヴィンがとても心配して、交代で看病していた。後で礼を言っておけ」

「ああ。俺はどれくらい眠っていたんだ?」

「半日くらいだ。さっき日付が変わったばかりだよ」

「そうか」


 思ったより時間が経っていない事に安堵する。

 俺の推測が正しければあまり時間が無い。


「タルト、いきなりだが確認したい。ここに魔王はいるのか?」

「魔王、だと?」

『本当に急だな』

「あの土地にあった……たぶん魔法陣で間違いないと思うんだが、あれに日本語で『邪魔をするな』と書いてあった。この世界で日本語を使えるのは俺達と一緒に……一緒の、使徒候補だけだ」

『であろうな』

「しかも昨日のあれで、俺が魔王誕生を一時的に阻止したことになっている」

『ほぅ?』

「つまり使徒候補が魔王を誕生させようとしてるって事になるんだが、……それは有り得るのか?」


 この推論が正しいのか、間違っているのか。

 決定的な答えが聞きたくて尋ねたのに、タルトは難しい顔だ。


『ふむ……一つ誤解のないように伝えておくが、我々神獣は一つの大陸に一匹ずつ。創世神ファビル様に命を与えられ、アリュシアンの平穏と存続のために使徒を支え導くよう定められている。違えれば与えられた命は無に還る、それは絶対の掟だ』

「ああ」

『だが使徒にそういった縛りはない』

「うん……?」

『与えられた力をどう使うも使徒候補次第。故に神獣は使徒にしか召喚出来ないのだ』

「ちょっと待て、俺たちは使徒候補になる直前に契約書にサインしたぞ? アリュシアンのために働くって」

『契約書にサインしたからといって悪事が働けないわけではないだろう。サインで縛れるなら世界に犯罪など起こらん』

「それは……そうかもしれないけど……こう、魔法の契約書なら悪いこと出来ないようにするとか!」

『そういうものもある。しかし実際に非人道的な行為が行われているのだ、そなたらの契約書に適用されていないのは明らかだ』

「そこ大事だろうがあの駄女神!」

『貴様ファビル様を愚弄するつもりかっ』

「女神がちゃんとしていればあんなに大勢の人間が死ぬことはなかったんだぞ⁈」

『そう考えるのは貴様がドがつくほどのお人好しだからだ!』

「バカにしてんのかっ」

『その通り! おまえはバカみたいに善人だから想像がつかぬかもしれぬが、強大な力を得れば自らの欲望を満たそうとする者は多い。使徒候補が下らぬ野望をアリュシアンに持ち込んだとして、我らはそういう事もあるだろうと思うだけだ』

「女神はアリュシアンを愛する十二人を選んだって言ったんだぞ!」

『おまえはアリュシアンを愛し、ロクロラに暮らす人々の食事情の改善を望んだ。チェムレの何者かは愛するアリュシアンを支配したいと願った。それだけのこと』

「だけどっ」

「すまない、……すまないが、待ってくれ」


 イザークが困惑しきりといった様子で口を挟んで来る。

 レティシャもいつの間にか目を覚まして俺達の遣り取りを聞いていた。


「いまの……いまの銀龍様とカイトの話を聞いていると、使徒候補が……Sランク相当の実力者がこの世界を侵略したがっている、と?」

「ぁ……」

『そうだな』

「そして魔王になりたがっている……?」

「魔王って、イザークは知っているのか?」

「実在したなんて歴史は知らないが、勇者と魔王の戦いを伝える御伽噺はいくらでもある。ただ、銀龍様も私にとっては御伽噺だった……そう考えれば、世界をモンスターで溢れさせる魔王が現れるなど許容できるものではない」

「ああ、なるほど……」

「カイトは一時的にせよ魔王の誕生を阻止したと言った……君には止められるのか?」

『問題ない』


 どうだろう、と俺自身が迷うのにタルトは躊躇なく断言した。


『使徒と使徒候補の強さなど比べるべくもない。ましてやこのバカには私がいるからな』

「バカ言うな」

『フンッ。王子よ、これはバカだが、これがロクロラの使徒であったことは幸運に思うがいい。あの地は既にファビル様の守護を得た。例えこの地が魔王に支配されようともロクロラが脅威に晒されることは無い』

「そう、ですか……素直に喜べることではありませんが、少し安心しました」


 レティシャも同じ気持ちだったようで、声を発する事は無かったが表情のこわばりが解けた気がする。

 ただ――。


「ロクロラに被害が無いから良いって問題じゃないだろ……」


 俺が言うと、タルトは鼻を鳴らす。


『そう思うならおまえが何とかしたら良い』

「当然やれることはやるさ。けどチェムレの担当は俺じゃない、ロクロラが守護された時のことを考えたら、担当二人が使徒になるのが条件なんだろう?」

『担当なんぞ幾らでも代えが利く。条件は使徒二名を神獣が認めるか否かだ』

「……つまり?」

『おまえが何とかしろ』


 こいつ……っ。


「チェムレの使徒候補はもう一人いる。勝手なことは出来ない」

『だからおまえはバカだと言うんだ。もう一人が少しでも使徒らしい行動を取っていればこれほど大陸が病むことはなかった』

「大陸が病む?」

『悪臭だ』

「あの臭いですか」


 イザークが聞き返し、タルトが頷く。

 臭いと言われたら思い出したくもない死臭と一緒にあの光景が甦って来るが、確かにあの場所から飛行船の港まで漂うとは考え難い。

 となると他にも理由があるのは納得出来るし、タルトはそれが「大陸が病んでいるからだ」と言う。


「もう少し具体的な説明をお願い出来ますか?」

『ふむ。カイト、チェムレの旗に描かれている神獣を言ってみろ」

「神獣? チェムレの国旗は太陽と山だ。獣なんてどこにもいない」

『フン。あれは山ではない。大陸だ』

「意味が判らん」

「恐れながら同意見です。大陸が獣と言われても……」


 イザークが言い、レティシャが無言で頷く。

 ほら、俺がバカなわけじゃないぞタルト!

 三人分の視線を受けた似非フェレットはわざとらしい溜息を吐いた。


『面倒なので教えてやる。この国は神獣の背中の上にあるのだ。旗のアレは山ではなく甲羅。チェムレの神獣は亀だ』

「かめ……」

「亀……?」

『そして大陸が病む……これはこの国特有の現象だが、人々の飢えや絶望、死への恐怖、憎悪といった感情が、魔力と共に人間どもの足元から直に神獣の身体に流れ込んだせいで、あやつを蝕んだのだ。あの臭いは神獣の身体が腐り始めているゆえ。あやつが息絶えればこの国は海に沈む』


 ……待て。

 ちょっと待て。


「それ、もう魔王云々の問題以前の話じゃねぇか⁈」

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