第10話 使徒候補はどこですか

 チェムレは、船での移動に限定すると一番時間の掛かる国だ。

 ロクロラと陸続きとオーリア、トヌシャに比べればもちろんのこと、海を挟んで隣のジパング、大陸が巨大過ぎて最寄りの西端に着陸するならあっという間のウラルド帝国に比べれば倍近い。

 魔石やマジックバッグがあるから補給のために途中の港へ寄る必要はないが、時速八〇キロ前後の飛空船でチェムレに向かうと約二日。

 船で二泊して朝早い時間に到着だ。


 ロクロラでは氷点下だった気温が、チェムレでは三〇℃以上。

 真っ青な空から地上を照り付ける太陽は肌を焼くほど強く、風さえも熱を帯びているため『Crack of Dawn』だと『ひんやりポーション』が必須だった。『ほっかぽかポーション』の身体を冷やすバージョン。もちろん今回も人数分を準備、配布済みだ。激しい寒暖差は健康を損なう一因になるからな。

 むわっとした、熱帯地方独特の空気。

 濃い青色の空。

 視界に入る花はどれも色鮮やかで、枝で羽を休めている鳥たちなんて体毛が虹色だ。


 灼熱の太陽の国チェムレ——その王都に最も近い内陸部の港に着陸し、まずは護衛騎士とヴィン、レティシャが最初に船を下りて安全確認。

 外交担当の執政官、文官、リットとフランツ。

 そして最後にイザーク第三王子と、タルトを肩に乗せた俺。


 チェムレ側の出迎えが錚々たるメンバーなのは『Crack of Dawn』で見覚えのある名持ちNPCだった面々だからすぐに判ったんだけど、……それよりも気になるのは船の扉が開いた直後から香っている、この匂い。

 トイレの芳香剤みたいな、不快な匂いを誤魔化すためにフローラルな匂いを足してみたら悪化しちゃった的な臭さだ。

 挨拶を終えて案内された移動用の馬車の中。


「……イザーク」

「うん。何だろうね、これ」


 小声で言い合い、タルトに視線を移す。


「俺のデバッグスキルはチェムレでも発動するか?」

『当然だ。担当がロクロラと言うだけで、そなたら使徒の役目はアリュシアンの未来を守る事なのだから』

「……ってことはさ、すっげぇイヤな予感がするんだけど」

『だろうな』

「どういう意味だい?」

『使徒の勘というやつだ』


 この馬車には俺達しかおらず、話す内容はかなり明け透けだ。

 現時点ではチェムレ側の人間に聞かれたくないので非常に助かる。 


「俺たち使徒はアリュシアンの危機を感知し易いスキルを女神から貰っているんだ」

「ほう……で、その勘が危険だと言っているんだな?」

「そう。出来れば今すぐに調査したい」

「まずは先方に話を通してからだ。魔石は君が持っているんだし、こういう形で入国した君が勝手に動き回るのは良くない。……魔石を健全に消費してもらうためには必要な手段だが、危機が迫っているとなると悪手だったな」

『そうでもないぞ』


 タルトが言う。

 イザークは眉根を寄せて難しい顔をしている。


「しかし、銀龍様の場合はあの御伽噺があり、実際に空が晴れるのをほとんどの国民が見ていたので使徒様の存在を認知出来ましたが、チェムレの民にはどのようにして使徒様の存在を認知させるのですか? 先ほどの出迎えの際に、それらしい人物はいましたか?」

『いなかったな』

「ん、いない」


 俺の場合は鑑定スキルを使ったわけではなく、それっぽい気配を探しただけだが、引っ掛かる人物はいなかった。相手もSランク冒険者だろうし、俺は自分が有名な『採集師』だという自覚があるので、気付けばそれなりの反応があっただろう。

 打つ手なしかと考え込むイザークに、しかしタルトは。


『チェムレの民が使徒を信じざるを得ない状況があればよいのだろう?』

「……と言いますと」

『使徒にチェムレの神獣を召喚させ、神獣に助けを求めさせればよい。この状況、恐らく私が想像している以上にマズイぞ』

「え……」


 タルトの言い方がいつになく神妙で、俺も思わず息を呑んでしまった。

 やっぱりこの嫌な予感には素直に従った方がいいってことか。

 ……だとしたら、本当に……、うん。

 やばいなチェムレ。


「使徒候補を見つける方法は?」

『私が見つけられるのは使徒だけだ』

「人に探してもらえる相手でもないし俺がしらみつぶしにあたるしかないってことか」

『そう、だな……』

「タルト?」


 珍しく歯切れの悪い態度だ。

 言いたい事があるなら言ってほしくて名前を呼んだが、タルトは『何でもない』と口を噤んだ。

 つまり俺は、地道に足で使徒候補を探し回らなければならないらしい。

 くっ……サボってんじゃねぇぞ使徒候補!


 その後、ロクロラに比べると随分と風通しが良く、城というよりも宮殿って感じの王城でチェムレの重鎮と顔を合わせたわけだが『使徒』に胡散臭い視線を向けられるのは、まぁ、想定の範囲内だ。

 ただしSランク冒険者で『採集師』のカイトが個人で水の魔石を一五〇〇寄付したという事実にはものすごい感謝された。

 礼を、とあれこれ提案されたが、金も爵位も要らないので使徒探しに行かせてくれと頼んだら「理解に苦しむ」って感じではあったが了承された。なんせ俺が此処に居座っても話を聞いているしかないし、冒険者には聞かせられない話もあるだろうからな。


 同行者はヴィンとレティシャ。

 肩にはタルト。

 街に出るなり全員で示し合わせたみたいに息を吐いて、笑った。



 ***



 さて、窮屈な宮殿を出られたのは良かったが、中心部から端へ移動するにつれて港で嗅いだのと同じような匂いが香るようになり、時にはひどい悪臭が風に乗って襲い掛かって来る。

 そこから更に外側を目指せば、本能が進むのを拒むみたいに足が止まった。


「……なんの匂いだ、これ」

「ひどいな」


 ヴィンもそう言うけど、ひどいのは匂いだけじゃない。

 最初のうちは散見されるだけだった建物の陰に座り込んでいる人の姿が、だんだん増えていくのだ。

 年齢層は様々だが、進むほどに子どもが増えていく。

 薄汚いとしか言いようのない恰好で、ぼろきれみたいな服を着て……いや、もう被っているという表現の方が適切かもしれない。

 細い手足。

 中には傷や、顔や手足を腫らした子もいる。


 スラム、って単語が脳裏を過る。

 えぇ……『Crack of Dawn』にスラムなんてなかったよな……?


「……?」


 何の前触れもなく接近して来た悪意に対し、無意識に体が動いた。腰ベルトに引っ掛けていた巾着を狙う細い手首を掴んで、捻り上げる。

 スリだ。

 でも。


「あっ」

「ぅっ」


 顔を確認したら小学校一年生くらいに見える男の子だった。

 驚いたのと、子ども相手に力技はヤバいと思って手を離したら、その子は逃げた。


「あー……」

「逃がしちゃってよかったの?」


 ヴィンが言う。


「実際に何か取られたわけじゃないしな」

「そっか」

「……それにしても荒れているわ」


 レティシャの視線が細い小道の奥――その先の建物の陰で身を寄せ合いながら蹲っている子ども達に注がれている。

 生きているんだろうか。

 さっきから全然動かないんだが。


「雨が降ってないのも確かだね」


 ヴィンはそう言いながら足の爪先で地面をつつく。

 砂埃が舞った。

 大地が乾き切っているのは明らかだ。


「……この先、行くか?」


 本音を言えば行きたくない。

 絶対に辛いものを見る事になるって、口惜しいけど判ってしまう。

 ヴィンとレティシャも同じ気持ちなんだろうことは二人の表情を見れば判るし、だから……。


「やらないより、やる偽善だっけ……。いいよな、タルト」

『構わん。存分に目立つが良い』


 小さい手で鼻を抑えていたタルトからも許可が出る。


「レティシャ、ヴィン、手伝ってくれるか?」

「ええ」

「そのための同伴だしねぇ」

「ありがとう」


 ちょっとだけ表情が緩み、俺は早速とばかりに状況を確認する。


「雨が降らないのはここ一月だって話だけど食糧難ではないのか?」

『まだその域には達していないだけだ』


 まぁこういう状況が続けば確実にそうなっていたって事だ。


「ヴィン、市場で適当に食材を見繕って来てくれ。調理はこっちでするから、調理しないでも食べられるものがいい」

「りょーかい。でも値段は高騰してると思うよ?」

「良識的な範囲なら問題ない」


 市場の人間だってそれで生活していかなきゃならないのだから、不当な値上げでない限り文句はない。

 少し考え、袋に二十万ベルを入れてヴィンに渡す。


「レティシャは料理を手伝ってくれるか」

「もちろんよ、任せて」

「タルトはこれ。ここの最寄りの水場を確認して来てくれ。川が干上がっているならすぐには何ともし難いが、ため池ならこれ一つで満たせるはずだ」


 寄付しなかったBランクの水の魔石を差し出すと、タルトは『ふふっ』と笑い、その身を五メートルくらいまで巨大化させ、大きくなった手で受け取った。


「モンスターや、もし呪いでも見つかった場合には、しっかりと対処しろよ」

『私に可能ならな』


 不敵に笑って飛び立つ神獣。

 周囲の視線が一瞬にしてこちらに集まるが、好都合だ。

 俺はアイテムボックスから作業台に仕えそうな大きなテーブルと、まな板、包丁、鍋、おたまといった調理器具の他、素材にもなるため貯め込んでいた薪、煉瓦、ついでに製作クラフト用の作業台も取り出した。

 使徒だって知られてからはアイテムボックスも解禁済み。

 錬金は『Crack of Dawn』にもあったけど、俺のいまの作業はチェムレの人たちにどう見えているのかな。

 使徒って信じてもらう、だっけ。

 知ってもらうため? そのためにも目立てと言ったのはタルトだからな。遠慮と自重と妥協には久々に旅に出てもらおう。


「……めちゃくちゃだわ、カイト」

「すごいだろ、使徒はみんな出来るんだぞ」


 呆れたレティシャに嘯く。

 サボっているチェムレの使徒候補はどうか知らないが、フィオーナも含め、少なくとも俺の知ってる連中は出来ると思うんだよね。


 製作スキルでぽんぽんと飛び出すレンガ造りの竈が四つ。

 薪を入れて火魔法で着火すれば準備万端だ。

 ついでにブルームテントも二つ。運動会とかで本部が使っている大きなテントって言ったら判るかな。俺達は『ひんやりポーション』を飲んでいるから良いけど、食事が欲しい人達はそうじゃないから日陰が必須。

 更にもう一つ、この匂いの中で食事するのはイヤなので風魔法を発動して匂いを散らし、食事の間はこっちに来ないよう一工夫。

 これで食事する環境は整ったかな。


「人参、玉ねぎ、じゃがいも、こっちがスノウボアの肉。全部なるべく小さめにカットして寸胴鍋に放り込んでくれ」


 根菜はロクロラで作るつもりのそれだから宣伝がてら今日の食材に決定。

 味付けに関しては、カレー粉やコンソメもあるけど、何日もまともな食事をしていなさそうなあの子たちにはくたくたに煮込んだスープの方がいい気がしたので、塩胡椒でシンプルに仕上げることにした。

 そして、パン。

 レティシャも食べた事がある『パンの詰め合わせバスケット』を十個くらい出しておけば足りるだろうか。

 最初は呆然としていた周りの人たちが、パンを見て恐る恐る近付いてくる。

 タルトが巨大化して飛び立った印象が強過ぎたのか、強引に奪おうとする人はいない。


「ぁ、あの……ご飯、食べれるんですか?」


 最初に聞いて来たのは、背丈が半分くらいの妹を背後に庇った女の子だった。だから俺は頷く。


「支度を手伝ってくれたら一番最初にあげてもいいぞ?」

「っ、は、はい手伝います!」


 目を輝かせた女の子の手を洗浄し、頼んだのはレティシャが皮をむき終えた野菜を小さくカットする作業。

 そうして少女が手伝い始めたのを皮切りに、次々と周りの人々が集まって来た。あっという間に刻まれていく野菜。

 器を集めて来て欲しいと頼んだら、幼い子達が「家から持って来る」「母ちゃんも呼んで来る!」と駆け出した。


 鍋に適量の野菜が入ったら、水の魔石でだばーっと給水。

 火に掛けて煮込むこと三〇分くらい?

 沸騰してから十五分だっけ?

 あくもしっかり取ったし、様子を見ながら味付けして、完成だ。


 匂いに人が集まって来る。

 両腕に大量の南国フルーツを抱えたヴィンが戻って来る。


「さぁ、約束のご褒美だ」

「はいどうぞ」


 レティシャがよそった最初の一杯を受け取った少女は、しゃがんで妹と目線を合わせてからスープをスプーンで一掬い。

 念入りにふぅふぅしてから妹の口に入れてやる。


「……ふわぁ……おいち……!」

「っ、そう、良かっ……」


 少女の目から零れ落ちた大粒の涙。姉妹の事情なんて俺達にはまるで判らないけれど、素直に「良かったな」と思えた瞬間だった。

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