極寒の夜の国ロクロラ編
第1話 女神の名前は創造主ファビルというそうです
意識が戻ったという自覚は薄いまま、視界に映る景色に眉根が寄る。
広い、……とても広い空間だ。
上空を仰ぎ見ると、夜空の色に所狭しと散りばめられた小さな輝きの大群。たぶん星空なんだけど、自分が知るそれとはあまりにも違い過ぎて。
宇宙、なんて単語まで思い浮かんで来て。
そんなわけがないと、心の奥の方がひどく冷たくなった。
次いで周囲を見渡すと、青白く光る何本もの柱が円状に並んでいた。
柱の配置的に、自分もその柱の一つになっているのが判る。
他の柱の中は見えないので、向こうからも見えていないと思うが、自分の視界が鮮明過ぎるせいで周りからも見られている気がして落ち着かない。そこには誰がいるのだろうか。
「ふぅ……」
それでも、自分自身に落ち着けって言い聞かせる。
こんな経験は今までなかったけど、冷静さを失うのが命とりなのはどんな場合でも同じだろう。
体は、……たぶん大丈夫だな。
手を握ったり、開いたりが普通に出来るし、周りの柱の太さと同じくらいの範囲は自分の足で自由に動き回れた。
じゃあ次は?
少し考えて、記憶の確認をすることにした。
ここに来る直前に確認した時刻は午後十一時だ。いつものようにリビングで、弟とオンラインゲーム『Crack of Dawn』をしていて、終わりの時間だったから間違いない。
ゲームではシンとアンが一緒だった。
ログアウトするために手を止め、……そしたら、そう。
唐突に何かの通知が来たんだ。
そしてそれはシンとアンにも届いていて――。
「二人もあの柱のどれかにいる……?」
もう一度ぐるりとすべての柱を注視する。
どんなに見ても真っ白い柱でしかないが、自分を含めて柱の数が十二本あるのは確認出来た。
「通知にも12名って書いてあったっけ……」
あれは一体なんの通知で、誰が送ったもので、そして此処はどこなのか。
答えの出ない疑問を何度も心の中で繰り返していたら、不意に頭上から声が降って来た。
『あーあー、テストテストぉ』
校内放送みたいな、エコーが掛かった女性の声。
聞き覚えはなく、無意識に身構えていたようで、身体に力が入っていると気付いたのは声の主が陽気に笑い出してからだった。
『ふふっ、皆さん警戒度MAXって感じですね! あ、何かしら予想されている方も何人か……ふふふ。最近の流行ですもんね、異世界転移』
目を見開く。
心臓が、自分でも聞こえるくらい大きな音を立てた。
『さぁさぁちゅーもーく! 皆さん落ち着いて下さいね。今から順番にお話ししますよぉ。えぇえぇ、そうなんです。私が主神になる予定の女神様、創造主ファビル様ですからねぇ。神様の言う事はちゃぁんと聞いてくれなくちゃダメですよ♪』
「マジか……」
思わず漏れた呟きに自分で驚き、慌てて口元を手で覆った。そんな動作まで全部見透かされているようなタイミングで創造主を名乗った女神が笑う。
『マジですよ? ふふっ。こうして見てみるとぉ、自分でも感心しちゃうくらいバランスよく集められました。良いですね。ではでは、まだるっこしいのは苦手なのでズバリ結論から発表しちゃいます! 此処にお招きした12名の皆さんには、今から地球とは異なる世界『アリュシアン』に転移してもらっちゃいまぁす!』
「……っ!」
アリュシアン――オンラインゲーム『Crack of Dawn』の舞台となっている世界の名前だ。
二年近く、毎日欠かさずにログインして楽しんでいるあの世界に、転移する。
突然のことに、もっと怖がったり、警戒するのが普通だろうって頭では分かっているのに、心臓は誤魔化しの利かない期待で早鐘を打つ。
握った拳が震えた。
『はいはぁい。質問はあとでゆっくりと受け付けますので、まずは聞いて下さいね。えっと、神様って基本ヒマなんですヨ』
にっこり笑顔がポンと浮かんでくるような声音で語られた内容を要約すると、世界を管理している神様は大忙しだけど、担当を持たない神様はそれほどでもなく、後学のために発展している世界を見て回るのが一般的らしい。
で、地球で異世界転移や転生物語が流行っていると知った女神様は自分もそろそろ担当する世界が欲しくなった、と。
『興味が湧いたので調べてみたら、地球のあっちこっちに孵化可能な世界の卵がたっくさんあるって判明! 中でも特に心惹かれちゃったのが、皆さんが参加していた『Crack of Dawn』でした。パパに問い合わせたら「いいよ」って即答だったんで、私が主神になる事に決定です♪ わぁいパチパチパチ~』
「えぇ……」
異世界転移に暴走しそうだった感情が急に萎れ始めた。
軽い。
大切な『Crack of Dawn』の世界を任せるにはあまりにも頼りないというか、むしろ不安を煽られる駄女神の予感!
しかもパパって誰だと思っているのは俺一人じゃないはずだ。
『んん? 理解するの難しいですか? うんとぉ、世界の卵っていうのは、今回のケースで言うと『Crack of Dawn』っていう一つの創作物にたくさんの人たちの愛情が集まる事で宿った魂みたいなものでぇ、それを孵化させるっていうのは、その魂に神様が力を注ぐことで、地球みたいな一つの世界を誕生させるってことなんですよ。ふふふ~、無機物に魂与えちゃう人間ってすごいですよねぇ』
今のは褒められたんだろうか。
いや、読み取れない裏を感じる……?
『ただぁ、ゲーム世界って小難しいコードで組み立てられている仮想世界じゃないですか。それを現実世界に切り替えるとどうしても不具合が出ちゃうので、その修正に皆さんの手を借りたいなぁって。『Crack of Dawn』を愛しちゃってる皆さんならきっとお手伝いしてくれると思ってました♪』
……日本語がおかしい。
ツッコミを入れたくなる俺はたぶん間違えていないと思うんだが、主神になるという女神が頼りないって文句を言ったところで『Crack of Dawn』が一つの世界になるのは決定らしい。
それなら、こうして関与出来るのはこの上ない幸運だと考える方がずっと良い。
『さぁでは概要を説明し終えたところで、こちらにサインくださぁい。雇用契約書になりますヨ。あ、その前に労働条件通知書でしたっけ?』
声が言い終えるより早く、目の前に現れた二枚の紙。空中でしっかりと固定されているのはどういう理屈なのか。
文字は小さく細かいが、労働条件通知書の最初に『声に出してきちんと読み上げ、理解すること』と記載されている。
「声に出して……ん」
唾を呑み込み、ゆっくりと目で追いながら音読する。
「1、労働契約期間は未定。アリュシアンが一つの世界として問題なく自立出来たことが確認されるまで。私の予想では半年くらいかな☆ ……私?」
たぶんあの女神のことだろう。
契約書だ、通知書だと言う割には文章が乱れ過ぎだが、……たぶんこれは気にしちゃいけない部分なんだろう。
「2、アリュシアンに存在する六つの国に十二名をランダムに転送予定だったけど、恋人同士が二組いるので、その人達はペア決定。残り八人はランダムだよ。六つの国は以下の通り。ジパング、オーリア、トヌシャ、ロクロラ、チェムレ、ウラルド。どこに行くかは運次第……」
どれもゲームで慣れ親しんだ国の名前そのままだ。
シナリオを進める過程ですべての国を散策済み。どこに飛ばされても問題は無い、……と思う。
ちなみにジパングは和、オーリアは西洋、トヌシャは東洋風の文化を汲んだ世界観で、多くのプレイヤーにとって馴染み易く、人気の高かった国だ。
対して常に雪に覆われた極寒の夜の国ロクロラと、熱帯雨林が広がる太陽の国チェムレは、素材集めのために通いはしたが、長居した事はないし、拠点にしているというプレイヤーの話もあまり聞かない。なんせフィールドを歩くだけで冷気や熱波が行動阻害を起こしHPを減少させるのだ。回復のために都度ポーションを使うことを考えたら目的もなく滞在したい国ではない。
そして最後、ウラルドは、同じ大陸の国々を支配下に置いた帝国だ。大きな大陸だから気候や文化も様々で、一言で表現するなら「賑やか」だ。
「あなた達の任務は、ユーザーの愛情により魂を得たアリュシアンが、ゲームから
通知書がそれでいいのか。
更に読み進めると、各自に『デバッグ』というスキルを付与するので、詳しくはそちらを確認しろとあった。
……もう何も言うまい。
「3、労働時間、残業、休憩、休暇は自由。不具合等がいつ、どこに現れるかは神様にも判らないので、発生した時にきちんと対処してくれればOK。4、お給料は10日ごとに10万ベルを支給。契約期間終了時には働きに見合った報酬をそれぞれに。あなた達の肉体はちゃんと保護してあるから心配しなくても大丈夫……保護、か……母さんや天真が傍にいたし大丈夫だろう、たぶん」
自分でどうにか出来る状況じゃなかったとはいえ、家族を心配させていると思うと申し訳ない気持ちになる。
「5、アリュシアンの自立後は地球へ帰還出来るけど、希望者はアリュシアンに永住も出来るから、残りたい時は気軽に言ってネ。地球への帰還時に記憶を消す予定はナシ。口外禁止もしないよ。でも転移は二度と出来ないし、アイテムの持ち帰りも不可なので、あとは各自の判断でどうぞ……って」
これは、ちょっと。
せめて一緒に転移しているメンバーの事は言えないようにしておいて欲しい。
何かがあった時に怖すぎる。
「以上、確認完了したらサインをお願いしまぁす……、うおっ」
最後の一行を読み上げた直後に、目の前に真っ白な羽ペンが現れた。と思ったら頭上から再びの声。
『はいはぁい、いま質問があったのでお答えします! サイン拒否は出来ませんよー。サインしなくても、此処に喚ばれた12名はアリュシアンの自立が確認出来るまで地球に帰還させてあげられないので、お仕事しないなら私のおうちで軟禁ですぅ。それよりはデバッグ作業を頑張った方が楽しいと思いまぁす』
「……質問なんてどうやったら出来るんだ?」
『そうやって呟いてくれればいいですよぉ』
「!」
あまりにも絶妙のタイミングで、確かに呟けば良いのだと判る。
ならば。
「通知書の5番だが、帰還後、一緒に飛ばされた……仲間? の、ことは口外出来ないようにして欲しいんだが」
『なるほど。いま要望がありましたので、此処にいる12名の個人情報を帰還後に口外することは禁止したいと思いますが、いかがですかぁ? うんうん、過半数が承認したので、そこ書き換えますねぇ』
言うが早いか通知書の文面が目の前で変更されていく。
魔法なのだろうか。
とにかく謎過ぎる現象で、思考が追い付いてこない。
それからしばらくは皆の呟きを拾った女神の回答が続く。
時間や曜日は地球に準拠。身分証は冒険者登録した時に貰ったタグがそのまま使えるので家や土地が欲しければ購入可。
不具合さえちゃんとしてくれれば他国への旅行も問題無し。
あと、此処に在る自分が、招き寄せた精神体をアリュシアンに存在する自分――つまり、さっきまで動かしていたキャラクターの中に同化させたものだって事も判った。
本来の体は、地球でコールドスリープみたいな状態で眠り続けているそうだ。
『ふむふむ、なるほどそれも気になりますよねぇ。アリュシアンで死んだ場合は地球の体がどうなるのかっていう質問なんですがぁ、しばらくは私の権限で、瀕死になっても命だけは守られる仕様になってます。でも世界が自立するって事は、ゲームが現実になるってことなので、時間が経てば経つほど本当に死んじゃう可能性は高まると思ってください。精神体の皆さんが死んじゃうと、地球の本体も衰えて最終的にはご臨終ですよぉ。はい、他に質問はありますか?』
他にも聞きたい事……と考えている間に、他から声が上がったらしい。
『あ、ご飯のことですね! そうですそうです、此処にいる皆さんには他の方々と違うドロップアイテムを設定していたので、いっぱいご飯が落ちたでしょぉ♪』
それは同じく気になっていたため、注意して聞いていると、あの譲渡不可のハンバーガーセットや寿司特上セット、調味料、米俵、野菜、果物といったアイテムは女神なりの配慮だったようだ。
曰く、慣れ親しんだ食材が食べられないのはストレスになる。目的があって招いた十二名には健康を維持し、めいっぱい働いてもらわないと意味がない、と。
ここにいるのはβ版から『Crack of Dawn』の世界に嵌まり続けているプレイヤーばかりで、この二年弱で貯めた貨幣、素材、装備、アイテム、それらすべてが収納されているアイテムボックスは異世界アリュシアンでも使えるようにするし、今後の生活で消費して構わないそうだ。
貯めていた貨幣もそのまま使えるのはありがたいと思う。
だが、裏を返せば女神は早い段階から俺達十二人を選んでいたって事だし、ただの高校生でしかない俺にだって何かしらの意図がある事くらい察せられるわけで――。
『さぁ、全員がサインし終えたようなので、いよいよ各国に転送しますよぉ。あ、皆さん「ステータスオープン」って唱えてください。デバッグスキルを付与しておきましたので確認お願いしまぁす』
言われて、唱えると、途端に目の前にガラスプレートのような青白い画面が現れた。
名前、年齢、レベル、所持金、保有スキル、所持品一覧。
どれも先ほどまで動かしていた自分のキャラクターデータそのままだ。
変化していたのはただ一点。女神が言うように、スキルの欄に『デバッグ』という文字が追加されていた。
「俺の名前は二階堂健也じゃなく、カイト……」
その部分を指でなぞる。
まだ全部を呑み込めたわけじゃない。
不安や恐怖を感じているのは確かだ。でも、それ以上に、ワクワクする。
『それでは皆様、これからしばらくお世話になりまぁす! よろしくネ♪』
女神の声。
視界は再び暗転した。
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