第3話 二つの不思議

 長い髪により目は隠れ、全体的に紫色の装いをしている少年が階段の手すりに立っているのを四人は見た。ついさっき探しても見つからなかった声の主が突然目の前に現れたことに四人の動揺は隠せなかった。

 そして何よりも、彼自身の発言にも彼らが硬直する理由があった。


「ねぇねぇ、どうして固まってるんですかぁ?」


 少年はその場からジャンプし、一回転して地面にきれいに着地した。


「ど、どういうことだい?」


 絞り出した真斗の声は震え、そこには多くの疑問が含まれていた。


「質問を質問で返すなんて酷いですよぉ。まあいいですぅ。ここは危ないのでぇ、近くの教室に避難しませんかぁ?そこである程度は説明してあげますよぉ」


 人差し指を少年の後ろ──に向けながら微笑みかける。


「今は大丈夫そうなので早く行きましょぉ」


 少年はそのまま階段を下りていき、こちらを一瞥もせずに角を曲がって姿を消した。


「今は彼についていかないと。みんな立てる?」


 真斗が立ち上がり、理久に手を差し伸べる。理久はその手をとって立ち上がり、二人もそれに続いて立った。


「理久はん、今は音は聞こえへんのか?」


「ああ、今は大丈夫だ」


 にしてもさっきのは、と理久は五階へと視線を移す。先ほどの情景が思い出され、全身に鳥肌が立つ。


「今でも信じられねぇ」


 人間の口のようなものが理久を食べようと閉じたのは、理久だけ(正確にはあの少年も入っているが)が見た光景だった。理久自身信じられないものだったために、三人にはさっきの出来事は言わないようにした。

 四人は頷き合い、少年を追って階段を下りた。少年は階段を下りて、右へと曲がっていた。月明りもない暗がりの廊下は、永遠に続いているように見えて不気味だった。


 廊下沿いにあるいくつかの教室のうち、一番手前にある教室から一本の腕がひらひらと動いていた。一瞬それが得体のしれない何かに見えた一行は肩をビクつかせたが、少年がそこから目の隠れた顔をのぞかせたことで四人はそこへと小走りで向かった。

 教室までほんの数歩だったが、その間誰の耳にも、理久が聞こえていた鐘の音は聞こえなかった。


「やあやあ、ようやく来てくれましたねぇ。ぜひこちらにお座りくださいぃ」


 四人が教室に入るのを見た少年は、教卓の上から歓迎するように席へと催促する。まるで元からここに呼ぶことを決めていたように、四つの机が教卓の前に用意され、それ以外の机は邪魔にならないように教室の後ろに集められていた。


「さて、今はなかなかに危ない状況ですので、手短に話しますねぇ」


 四人が席に座るのを確認してから少年が話し始めた。


「あ、あの」


「どうしましたぁ?」


 少年が話し出す前に零二が手を挙げた。


「あなたは一体誰なんですか?」


 誰しもが疑問に思っていることを投げかける。少年は投げ出していた足を教卓の上に持っていき、その場で胡坐をかいた。


「僕のことは、さっき言った通りで七不思議の一つ、『なんでも屋さん』ですぅ。とはいえ実は今日は僕の活動日ではないのですよぉ。僕がここにいる理由は単純で、ある人に依頼されてここに来たからなんですよぉ。あなたたちを助けてあげてほしいという依頼でぇ。ああ、誰が頼んだのかなんて質問はしないでくださいねぇ。依頼主の情報は絶対に口外しない主義なのでぇ」


 そう言うと、少年──なんでも屋さんは楽しそうに笑みを浮かべて言葉を続けた。


「先程理久さんを襲ったものの正体はぁ、七不思議の一つの『幻の五階』ですぅ。理久さんが聞こえたというあの鐘の音は獲物を五階へと導くものですぅ。そのためぇ、鐘の音から逃れようとすればするほどぉ、彼の思うツボなのですよぉ」


「じゃあどうすりゃいいんだよ」


「ようは鐘の音はフェイクということなのですよぉ。言いたいことぉ、わかりますよねぇ?」


「鐘の音のなる方へ行けばよい、ということですか?」


「そういうことですぅ」


 真斗の答えになんでも屋さんは満足げに満面の笑みを浮かべる。


「無理に決まってんだろ。あいつの鐘は俺をおかしくした。普通に聞いていいもんじゃねえ」


 理久の考えも他の三人にはわかる。実際に聞いたわけではないが、理久のあの取り乱しようは、理久の聞いたという鐘の音以外の何物でもないだろうことは理解していた。


「あなたの言いたいことはよぉくわかりますよぉ。あの鐘の音は脳に直接鳴らして精神を侵してくるのでぇ、まともに聞くと頭がおかしくなりますぅ」


「は……」


 さらっととんでもないことを言いのけるなんでも屋さんに四人の口が開いてふさがらなかった。なんでも屋さんはそんな彼らに様子が面白いのか少し喉を鳴らして笑った。


「ふふふ、そう驚かなくてもいいですよぉ。こちらを使えばそんな面妖な音も取り除けますからぁ」


 そう言うと、少年はポケットから四つの何かを取り出した。それを四人の目の前にそれぞれの場所に並べる。


「これは?」


 誰もそれには手に取らず、まじまじと見つめていた。真斗が発した質問に少年は不気味に口を歪ませる。


「それは『神経電達装置』ぃ。知ってますよねぇ、ボタンを押せば電気が流れるおもちゃぁ」


 電気が流れるおもちゃというのは、よくテレビのバラエティ番組とかで芸人や有名人が使っているようなやつだ。


「それとは似て非なるものなんですぅ」


「似て非なるもの?」


「はいぃ、一度使っていただけるとわかると思いますよぉ」


 そうは言うものの、得体のしれないものに手を触れるものは誰もいなかった。だが、たった一人だけこの危険だと思われる道具を使ってみようとする者がいた。


「れ、零二はん。ほんまに使うんか?」


「誰かが確認してみないとわからないからね」


「素晴らしい心持ちだと思いますぅ。是非お手に取ってみてくださいぃ。力を強く籠めるだけでいいですよぉ」


 零二は神経電達装置を手に取り、一度深呼吸したあとに掴む手に力を入れる。


「──ッ!!あが……が、はっ!」


「零二っ!」


 装置を握りしめた瞬間手からそれがこぼれ落ち、音を立てて床を転がる。横向きで伏せた顔の口と目は大きく開かれ、制御できないのか、口からは少量の唾液が無造作に垂れ流されていた。


「ナn…あんた!何したんや!!」


 真斗と理玖が零二のもとに駆け寄り、淳は机を乗り越えなんでも屋さんに掴みかかる。

 しかし彼は動じることなくヘラヘラと嗤うだけだった。


「ふふ、この装置を使って身体の制御が効かなくなるのは一時的だけですよぉ。それにぃ、そうなるのは彼が正常だということの表れなのでぇ、安心してくださいねぇ」


「──ぁ」


「零二!」


 微かに漏れた声に真斗が反応する。少しずつ瞼も開閉するようになり、呼吸も安定していった。


「あんた、いくら何でも強力すぎるんちゃうか?」


 意識が戻ったことを確認した淳がなんでも屋さんから手を離した。なんでも屋さんは乱れた服を直そうともせずに楽しそうに笑っていた。


「あれくらいじゃないと抵抗なんてできませんよぉ。彼が意識を失ったのは彼が正常だからといったではありませんかぁ。あの鐘の音に侵された状態ではちょうど目を醒ます程度の威力なので問題ありませんよぉ」


 零二の状態を見てしまうとにわかには信じがたいことではあった。事実、淳と真斗はそれほど彼の言葉を信用していなかった。しかし理久だけはその言葉に妙な信頼感を感じていた。


「……俺は信じるぜ」


 実際に鐘の音に侵された理久の言葉には二人も反論はできなかった。信用こそできないしするつもりもないが、二人はとりあえずは飲み込むことにした。


「どうもありがとうございますぅ」


 その後零二の意識は完全に戻り、話の続きがあるということで、なんでも屋さんの話を聞くことにした。


「ではぁ、零二さんの意識が戻ったところで大事なことを言いますぅ」


 大事な話、これまでの話の流れから幻の五階やなんでも屋さん自身の話、あるいはこの学校の七不思議の話でも話すのかと四人は身構えていた。しかし彼の口から放たれた言葉は想像の斜め上を行くものだった。


「神経電達装置の代金をお支払いくださいぃ」


「……は、はぁ?」


 思いがけない言葉に理久の口から声が漏れた。理久だけではなく、他三人の口も開いたままで塞がらなかった。


「お忘れかもしれませんがぁ、僕も商人の端くれぇ、僕が持っている用品を無料でお渡しすることはできませんよぉ。でもぉ、それがなかったら皆さんはそろってお陀仏ぅ、ですねぇ。払っていただけますかぁ?」


 半ば脅しに近い言葉で請求を迫る彼の姿は有無を言わさぬ迫力だった。商人というのも、七不思議の内容でなんでも屋さんが購買を拠点に活動し、そこに売っている商品を買うと願いを叶えてくれる、という話があるためにそこは嘘の話ではなかったということだろう。


「い、今、俺らお金持ってねえぞ」


 調査のために来ただけの彼らには、当然お金の持ち合わせがなかった。


「そうですかぁ……それは残念ですねぇ」


 突然、もともと暗かった教室は闇に飲まれたかのようにさらに黒くなり、あちらこちらに紫色の火の玉が灯る。空気は雪の降る夜のように寒く、芯から冷えるようだった。空気は重く身体にのしかかり、今にも破裂しそうなほど張りつめていた。


「料金のお支払いをしていただけないのでしたらぁ……皆さんの臓器を何か一つずついただきましょうかぁ」


 ピリピリと軽い電撃のような痺れが身体中を駆け巡る。気が付けば手足は震え、全身の鳥肌が立っていた。

 深く暗い闇の中、なんでも屋さんだけがぼうと紫色に浮かび、見たこともないような不気味で狂気に満ちた笑みを浮かべていた。


 何をしたところで無駄──いや、何かをしようなんて思うことすら叶わない、指の一本でも動かせば命を落とすことは目に見えている、そんな理不尽な現実に理不尽だと思う余裕すら失われていた。


 全員が人生で一度も感じたことのないほどの恐怖を感じていた。そして互いに言葉を発せない中不思議と四人の心が繋がったような錯覚を起こした。しかし実際彼らの心中は同じだった。


 紛れもなく『死』を覚悟した。


「ふふふ、冗談ですよぉ」


 ふっ、と空気は異常なほど軽くなり、教室の電灯はつかないものの、先程の暗闇と比べると月明りが中に入って随分と明るく感じた。


「そんな硬直しなくても臓器もいただきませんしぃ、料金も今はいただきませんよぉ。ただ少しからかってみただけですぅ」


 見た目も見え方も元に戻ったなんでも屋さんが朗らかにほほ笑む。


「……お、お金いら、ない?」


 突然の変わりように反応できない中、真斗だけが言葉を発することができた。


「今はぁ、ですよぉ」


「い、今は?」


 含みのある言い方に一同は困惑する。


「そうですぅ。今皆さんがお金を持っていないのは知っていますのでぇ、明日持ってきていただけたら良いですよぉ。明日は僕の担当なのでぇ」


「わ、わかったよ。明日持っていこう。い、いくら…かな?」


 さっきのは冗談だっとしても、もし臓器に相当する値段だとすれば、そう安々と払えるものではない。

 全員がそう考え喉を鳴らすと、彼はニィと口を歪めて笑った。


「五百円で良いですよぉ。ワンコインですぅ」


「……え」


 数万は優に超えるだろうと構えていた四人にとっては、五百円というあまりにもリーズナブルな値段に呆気に取られていた。


「どうしてそんなに驚いてるんですかぁ?僕が生きていくのに五百円あれば何とかなるのでぇ、それでいいですよぉ」


「わかった。明日五百円持ってくるよ」


「お買い上げありがとうございますぅ。それではここの維持ももう限界なのでぇ、そろそろ出ましょうかぁ」


 零二たちが席を立つと、後ろに除けられていた席たちが元の位置に戻っていく。

 突如、グニャリと視界が揺らぎ、思わずその場にしゃがんでしまう。


「結界で空間を隔離していましたぁ。視界が正常になるときには皆さんは廊下に立っていますぅ。くれぐれも、気をつけてくださいねぇ」


 既に姿を消していたなんでも屋さんの声がどこからともなく聞こえてくる。その声は続けて語りかけてくる。


「あ、最後にぃ、階段には気をつけてくださいねぇ。鐘の横を通り過ぎるときは階段ですと普通に危ないですからねぇ。なるべく鐘の音のそばを通るときは廊下で頑張ってくださいねぇ。やむを得ない場合はぁ、気を付けてくださいねぇ。それではまた明日会いましょぉ」


 完全に視界が揺らぎに支配され、グラグラと徐々に感覚もなくなっていく。すう、と意識も薄らいでゆく。そのまま深く、深く暗い場所へ沈み、沈み、沈み……


「──っ!?」


 身体中の痺れるような痛みに零二の意識が覚醒する。周りを確認すると、暗い廊下が重い空気を漂わせていた。


「そうだ、皆は──!」


 同時にあの教室から放り出された友人たちを考え探そうとするが、そうするまでもなく、すぐ傍で同じように倒れていた。起こそうと右手を伸ばすと、その手になんでも屋さんから買った装置、神経電達装置を握っていることに気が付いた。


「これで起きられたのか……?」


 醒めたとき、あのときほど強い刺激は伝わってこなかった。深い意識の消失から醒めるにはこれぐらいの刺激がなければいけないというのは本当のことだったのだろうか。


「じゃあやることは一つだな」


 幸い『幻の五階』はここには来ていない。今のうちに三人を起こさないといけない。零二は三人の装置を持つ手を自分に当たらないように握りしめる。

 一度の痙攣の後、それぞれの目が開かれる。思いのほか意識ははっきりしているようで、状況もちゃんと見れているようだった。


「零二、助かったよ。早くここから移動しないとね」


 少し気になって後ろの教室の扉に手をかける。一気に扉を開けて中を確認してみるが、いつもの教室の景色で変わったところは見当たらなかった。


「よし、行こうぜ。とりあえず下に行けばいいよな」


「念のために、上ってきた階段は避けて別の階段を使おう」


 この学校の階段は北館には西と東と中央にあるが、東の階段は外に設置されており、そこに続く階段は基本鍵で硬く閉ざされている。南館には西と中央にしか階段がなく、零二たちは南館にいた。

 零二たちが上ってきたのは南階段の中央階段のため、西階段を使わなといけないが彼らは今東側の教室にいた。西階段に行くには一度中央階段の前を通らないといけない。


「やっぱあるし、空気が完全にちゃうで」


 淳が角から中央階段を盗み見ると、依然変わらず五階への階段が禍々しい空気を漂わせて存在していた。見た目だけどうぞ上ってくださいと言わんばかりの普通さに、気が付かなければそのまま上って行ってしまいそうになる。


「慎重に行こう……って言いたいところだけど、中央階段の前はすぐに通り過ぎた方がいいか。どのタイミングで鐘の音が来るかわからないけど全員で脱出しよう」


 零二の言葉に三人が頷く。零二は淳と場所を替わり、周りを見て何もいないことを確認する。

 階段以外の廊下はおどろおどろしい雰囲気が充満しており、一歩を踏み出すことすら躊躇われる空気だった。


「すうー……ふう」


 大きく呼吸をして気持ちを切り替える。視界と気持ちがクリアになり、心拍数が落ち着いていく。そして夜の学校から脱出するための一歩を踏み出す。


──カラン


「……え」


 乾いた鐘の音と同時に視界が大きく揺らぐ。頭が揺さぶられたように視界も動き、歪む世界に吐き気が襲う。キンキンと耳鳴りがうるさく鳴り、何か行動を起こそうとする思考すら回らない。


「──っ!!」


 身体中に痺れるような激痛が走る。その痛みの原因が、手に持つ装置だということに気が付くのにそう時間はかからなかった。

 後ろに倒れている感覚だったのに、正気に戻れば四つん這いになっているという認識の相違に零二の思考が一瞬停止する。


「止まるなっ!!走れっ!」


 零二の後ろで三人が同じように鐘の音から解放されて四つん這いになっていた。誰よりも現実に復帰した理久が放心している零二に叫ぶ。

 その声ではっとしたのは零二だけではなく、淳も真斗も次にしなければいけないことを瞬時に理解した。


「走ろう!」


 零二の一声で全員が走り出す。階段の前はすぐに通り過ぎ、後ろから鐘の音が微かに聞こえてくる。それと同時に前からも鐘の音が聞こえてくる。


「用意して!!」


 真斗の声に右手の装置の存在感を強める。鐘の音は徐々に近づいていき、とうとう目の前で鳴るほどまで近づいた。


──カラン


 脳が揺れ、視界が揺らぎ、腹の奥底から何かが上ってくる感覚が同時に襲い掛かってくる。今度は意識が持っていかれる前に自ら装置を握りしめる。

 全身を電撃が巡り、意識がはっきりとする。音は聞こえなくなり、西階段までは目と鼻の先になった。


 三階へと降りるが、音は下からは聞こえず上の階からと廊下からだった。


「下から鐘の音がせん!迂回するで!!」


 今度は淳が先頭となり、廊下に出る。今度は北館へ移動し、その中央階段から降りることにした。移動中鐘の音を通り過ぎ、また装置を握りしめて現実へと意識を引っ張り上げた。そこから二階、一階へと移動することができた。


 一階に下り切ったところで鐘の音がピタリと止んだことで一旦足を止めることにした。音がしない、ただそれだけの理由で『幻の五階』がどこにいるのかわからないという恐怖心は沸々と増幅していく。


「音が、止んだね」


「ああ、これが撒いたと思いたいがそんな単純なものだとは思えねえな」


 異様なほどの静かさに四人は進もうにも進めずにいた。しかし待てど暮らせど一向に音が鳴る気配はなかった。


「……行く?」


 零二の問いに誰も同意することができなかった。提案した零二自身も今の状態で移動するのは何となく危険だ思っていた。それと同時に、ここで動かなければ何も変わらないというのも全員がわかっていることだった。


「行こう」


 再び零二が声を上げる。それに同意も否定もせずに、それぞれが立ち上がる。心臓がバクバクとうるさく鳴り、冷や汗が頬を伝う。


──カラン


 一歩を踏み出した途端、鐘の音が鳴る。それは四人の誰もが予想していた事態だった。また意識が途切れる前に装置を握りしめて戻ってくる。しかし何かが違っていた。それは誰にも感じていて、誰にも正解が見つけられない違和感。そんな漠然とした違和感を抱いたまま、また一歩足を踏み出す。


──カラン


──カラン


 そのわからなかったはずの違和感は直後の鐘の音で気が付いた。


──カラン

──カラン

──カラン


 絶え間なく鳴る鐘。装置を使い、意識を戻し、学校の外へと歩を進める度に鐘が鳴った。それが違和感の正体だった。


──カラン カラン カラン カラン カラン カラン カラン カラン カラン カラン カラン カラン カラン カラン カラン カラン カラン カラン


 止まらない音。意識が戻っても、また鐘の音で意識が飛びそうになる。


──カランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカラン


 意識があるのか、ないのか、それを判別できるほどの余裕は四人の誰にもなかった。ただ、装置を握りしめていれば意識が途切れることはないという刻まれた本能があり続けるだけだった。


──カランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカラン


 装置を握り続ける手は、緩めることを忘れたようにガッチリと締め付けられていた。


 足の感覚はなかった。手や腕の感覚も既に失われていた。耳はもう機能していないのか、音は聞こえなかった。口は開いているのか、目は見えているのか、呼吸はしているのか、血はめぐっているのか、心臓は動いているのだろうか。


 そもそも生きているのだろうか。


 ただわかるのは、脳みそに直接流れ込んでくる鐘の音と、装置から流れ込んでくる途切れることのない痛みだけだった。


 その音も、痛みも、徐々に引いていっているような気さえしてくる。


──カランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカラン


「あ、ああ」


 ふと、何も感じない瞬間があった。一瞬か、はたまた長い時間だったか、それはわからないが、痛みも吐き気も音も何もかもなくなった瞬間があった。


 零二はその瞬間、自分はどうなるのか、どうなりたいのかを考えた。いや、誰かに語り掛けられたようにも思えた。



──カランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカランカラン


「ああ、ああああ、あああ」


 最初に思ったのは『死』だった。この何も感じない中、自分は今、死と隣り合わせなのだと感じた。だから答えた。


 このまま僕は死ぬのだろう


 どうしたい。それが次に考えたことだった。当然それは考えるまでもない質問だと思った。瞬間、あの子の姿が見えた気がした。自分が恋するあの子の姿が。

 あの子とはこれからもずっと一緒にいたい。遊んで、喧嘩して、仲直りして、笑いあって、泣きあって、彼女の下を離れたくなかった。だから答えた。


 もっと生きたい


『では寿命を一年、いただきますねぇ。まいどありがとうございますぅ』


「あああああぁぁぁあああああぁぁぁぁあああああああああぁぁぁぁああああああぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁああああああぁぁああああああぁぁぁああああああああぁぁぁあああああああああぁぁぁああああああああぁぁあああああああああああぁぁぁあああああぁぁああああああああああああああっっっ!!!!!」


 意識はそこで完全に途切れた。



◇◆◇◆



 目を開けると、雲一つない星が煌めく夜空が広がっていた。事態が読めずにしばらく夜空を見つめていた。零二は仰向けに倒れていた。

 ふと横に顔を向けると、同じように理久と淳と真斗が仰向けに倒れていた。


「……僕たち、生きてる」


「……だな」


「……せやな」


「……だね」


 理久、淳、真斗が静かに返事をする。現実味のない現実に、四人はしばらく黙って夜空を見つめていた。


◆◇◆◇


「どういうつもりだ」


 暗い学校の廊下、一つの大きな人影と小さな人影が対面していた。


「なんのことですかぁ?」


 小さい影は大きな人影に怯むことなくニヤニヤと不敵な笑みを浮かべていた。


「我々の協定を破るつもりなのかと聞いている」


「あの協定ねぇ。それぞれの不思議はそれぞれの狩りの邪魔をしないというあれですねぇ」


「……そうだ」


 小さな人影の態度に怒りが募ってきた大きな影が今にも掴みかかりそうに肩をわなわなと震わせる。


「別に破るつもりはありませんよぉ。ただ、僕は依頼主の依頼を完遂させただけですよぉ。たとえそれが結果的に狩りの邪魔になることだとしてもぉ、それが僕の狩りなのでぇ、あなたにとやかく言われる筋合いはありませんがぁ」


「……ッ」


 暗い廊下の中、一つの小さな人影だけが残っていた。


「まったく、困ったものですねぇ。さて、帰りましょうかぁ」


 暗い学校の中、まるで何事もなかったかのように静寂が広がっていた。

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