第4話 優等生

 この高校には、文武両道、そして優しく、美しく、可愛らしい一面も残す、いわば完璧という言葉を体現したような、そんな少女が在籍している。

 そういう訳で、彼女を妬ましいと嫉妬する人もいたが、彼女を尊敬し、羨望の眼差しを向ける人はそれ以上に多かった。


 しかしそれほどまでに完璧であるが故なのか、いつも一人でいることから、多くの人に『高嶺の花』や『雲の上の存在』などと言われている。


 その少女は、名を神崎めいと言う。


◆◇◆◇


「はー、酷い目にあったよー!」


 そう机に突っ伏して愚痴を漏らすのは、昨日の高熱から復帰した真野まの香耶かやだった。


「そうだけど、皆から一日も差を開けられてるんだから、今のうちにこれやっておかないと後々面倒よ?」


「だからってこんな朝からしなくていいじゃん〜」


 香耶と対面するように座り、同じ教材を開く小沢おざわ瀬楽せらの言葉に香耶が不満の声を漏らす。


 早朝、誰もいない教室で香耶と瀬楽は熱で休んで遅れた分の勉強を取り戻そうと、教科書とノートを開けていた。

 板書や問題の答えは親友の河西かさい蓮花れんかから写真で送ってもらい、それを基に自主勉強をしていた。


「今やらなかったらいつやるのよ。今日はこれの授業があるんだから、何もしなかったらあんたわかんないでしょうが」


「はぁ〜い」


 瀬楽の言葉に気だるそうに返事をしながら、ペンを手に取る。

 その後瀬楽は黙々と、香耶は休み休み進めていった。そうこうしているうちに、徐々にクラスメイトが来る時間になっていた。


「ふぅ、そろそろ終わろっか。香耶はどこまでいった?」


「ギリギリ終わったよー。瀬楽ちゃんは?」


「わたしは今日の授業の予習まで終わった」


「予習!?速すぎだよー」


 二人が教材を片付ける中、ぞろぞろと多くの生徒が教室に入ってくる。その中には蓮花の姿も見えた。


「やあやあお二人さん。体調はもう平気なのですかな?」


 自分の席に荷物をおいてきた蓮花が二人の元へ来た。


「うん!バッチリ元気!!心配かけてごめんね蓮花ちゃん」


「わたしも大丈夫。朝起きたら昨日のしんどさが嘘みたいにな無くなってた」


 一昨日、夜の学校に行った香耶と瀬楽と蓮花はそこで七不思議の一つ、『神隠し』と遭遇した。命からがら学校を脱出した三人だったが、蓮花を除いた二人は翌日40度を掠める高熱を出した。

 普通の病気での発熱ならば、一日二日で治るようなことはあまりないだろう。


 原因は憶測の域を出ないものだが、それでも『神隠し』との遭遇、そして二人の様子の変化が原因と考えてもおかしくはなかった。


「あ、めいさんだ」


 香耶の、全てのクラスメイトの目の端にチラと映る人物がいた。たとえ誰かと話していても、作業をしていても、勉強をしていたとしても彼女の存在を無視することは至難の業だった。

 それほどまでの存在感を放つ、凛とした少女、それが神崎めいだった。


 二人が熱から回復し、三人のいつもの日常が戻ってきた。しかし一つだけ、たった一つだけ違っていた。それは──


「瀬楽さん、香耶さん、おはよう御座います」


 神崎めいが話しかけたことだった。


「……へ?」


「神崎さん心配してくれてありがとう。珍しいこともあるのね、あなたが言いに来るなんて」


 憧れであるめいに話しかけられて固まる香耶とは対照的に瀬楽の反応は冷ややかなものだった。

 そんな瀬楽の態度を気にしていないのか、めいはいつもの変わらない様子で香耶に話しかけた。


「香耶さん、風邪引いていたのですか?」


「あ、ああ……はい」


「それはとても大変でしたね。無事に回復されて、わたくしも大変嬉しい限りです」


「は、はは、はいぃ……」


 未だに話しかけられてることに実感の湧いてない香耶は、返事の声が震えていることに意識を向けることができなかった。


「瀬楽さんも、お元気そうで何よりです」


「別にいいわよ。くたばってやるものですか」


 二人の間にだけ、異様に重たい空気が漂っていた。互いの視線が交差する中、薄く微笑むめいの姿は、絶対的強者のそれだった。


「そうですね。お互いに頑張りましょう」


 そう言って、めいは自分の席へと戻っていった。二人が放ったピリピリとした緊迫感、強者と、それを追う者を表しているようだった。

 事実、そうであることに変わりはなかったが。


「はぁ、めいさんに話しかけられたぁ……」


 そんな二人の空気を、香耶は気づいていない様子でうっとりとしていた。


「あんたねぇ」


 一年の頃から学年二位、しかも一位は常にめいであった瀬楽にとっては、めいは超えるべき障害であり、ライバルだった。たとえそれが一方的なものだとしても、そう考えなければ心が折れてしまうような、そんな気がしていた。


「瀬楽ちゃん、そこまで気にする必要はないですぞ」


「……ええ、そうね」


「完璧な人間なんていないからの」


「うん、ありがとう、蓮花」


 瀬楽の沈んだ様子に気づいた蓮花が、励ましの声を投げかける。


「瀬楽ちゃんはすっごく大切な親友なんだよ!確かにめいさんは色々と凄いけど、それ以上のものを持ってるんだから」


 香耶も瀬楽に本心からの言葉を伝える。

 瀬楽は二人の言葉に元気をもらったように微笑む。


「やめてよ、こっちが恥ずかしくなっちゃうじゃない」


 ふい、と顔を二人から背けるも、照れた顔を隠そうと下唇を噛む顔は隠しきれていなかった。


◇◆◇◆


「「キャー!!」」


 黄色い歓声が上がる。その声の主たちは、体育館の壁にずらりと並んだ女の子たち。

 その声の矛先は、バスケットボールのシュートを華麗に決めた、めいだった。


 体育の授業、体操服に身を包んだ女子たちは、それぞれバスケットボールを楽しんでいた。そんな中、一際目立つチームがあった。

 出席番号で分けられた即席のチームであったが、神崎めいがいるというだけで全勝の結果が待っているということは明白だった。


「負けないんだから!──パスッ!」


 めいの全勝、それに異を唱え対抗するものがいた。それはバスケットボールエースの倉林くらばやし日向ひなただった。

 勉強でめいに勝てないことは良くわかっていた倉林は、せめてバスケットボールだけは負けるわけにはいかないというプライドを胸にめいと対峙していた。


 たかが授業されど授業、バスケットボールを愛してやまない倉林は、一切の手を抜かず、試合のように戦う。


 キュッキュッ、と体育館と靴の擦れる音と、ボールがバウンドされる音とが混ざり合い、両者がせめぎ合う。

 

 一時めいのチームに得点の先行を許していた倉林チームだったが、リーダーの倉林の猛烈な追い上げにより、同点へと引き戻した。

 残り時間はとっくに消化しきっており、延長線へともつれ込んでいた。


「──はっ、はっ」


 敵陣を華麗にすり抜けた倉林は最高のチャンスをそのままに、敵陣のゴールへと一直線に走る。しかし目の前にはいつの間にか自陣のゴールへと戻っていためいが守っていた。


「──はっ!」


 めいを相手に懐に潜り込んでシュートを決めるのは至難の業と判断した倉林は、めいが守るゴールの少し手前、スリーポイントラインからゴールへとボールを投げる。

 ボールは完璧な弧を描いてゴールへと向かう。その時だけ一瞬時間が遅くなったように、誰もが感じていた。


「──え?」


 ふっ、と何かが倉林のすぐ横を通り抜けていく感じがした。思考は一瞬止まった反動でグルグルと高速で回り始める。そして初めて──否、改めて自覚した。


 ボールがゴールへと入る直前に、めいによってそれを防がれたということを。


 その事実を正しく認識した倉林は慌てて自陣へと戻ろうと後ろを向いた。しかし時すでに遅し、倉林同様、敵陣を華麗にすり抜けためいが高くジャンプする。


 ガシャンッ、とゴールの方から音がなるのと同時に審判の笛が体育館中にけたたましく鳴り響く。

 倉林チームとめいチームのゲームは、めいチームの一点リードでめいチームが勝利した。

 決め手はめいが最後に放ったシュート──見事なまでのダンクシュートだった。


 倉林はその場にへたり込み、悔しそうに下唇を強く噛んで、溢れそうになる涙を必死に堪える。


「倉林さん」


 呼ばれて顔を上げると、そこにはめいが立っていた。


「神崎さん、あなた本当に強いのね」


「あなたも流石はバスケットボール部のエースですね。とてもいい勝負でした」


 めいは薄く微笑み、倉林に手を差し伸べる。


「はあ、私が全力でやって負けたんだから皮肉にしか聞こえないね」


 倉林はめいの手をとって立ち上がる。


「……次は負けないんだから」


「私も受けて立ちますよ」


 どっ、と周囲から歓声が上がる。取り合った手を強い握手へと握り変え、お互いに礼を尽くした。


「……ちなみにうちの部活に入ってみない?」


「い、いえ。私は部活に入らないことにしてるので」


 こんな会話があったというのは、小声で話していた二人以外、知る由もないだろう。


◇◆◇◆


 その日、阿藤零二はある現場を目撃した。それはきっと、当事者たちなら他の人には見てほしくない場面なんだろう。

 別に零二も見たくてみているわけではないし、見ようと思ってここに来たわけじゃない。ただ、話し声が聞こえて、気になったから来ただけなのだ。


 放課後、夕日が校舎を照らす中、廊下から少し外れた死角となっている、普段橋を踏み入れない場所に、一人の見覚えのある男子生徒と神崎めいが向かい合っているのが見えた。

 零二は瞬間的にこの状況を意味することを察したが、何となくこの先の展開が気になってその場から動けないでいた。


「ごめんなさい。あなたとはお付き合いできません」


 耳に聞こえた最初の一言目がそれだった。言葉や状況から察するに、男子生徒がめいに告白をしているという場面であるのだろう。


「そう言うなって。めい、君がどれだけ拒もうともオレは君のことは諦めない」


 その一言が聞こえてきた瞬間、ぞわりと全身の毛が逆立ったような気がした。こういう人にはあまりなりたくないなと零二は密かに思った。


「しつこい人は好かれませんよ、新城あらき先輩」


 新城、という名前を聞いて一つの違和感が解消された。新城先輩というのは、学年全体を見てイケメン集団に、しかもその上位に君臨するほど顔立ちが良い先輩だ。それにも関わらず彼女がいないというのは有名な話だ。


「失礼なことを言うのだな。まあ全然構わないが。でも諦めないのは絶対だ」


「そうなんですね。では一つ提案があります」


 めいが新城の近くに寄り、彼の耳元に潤った口を近づける。小さい声で、零二の耳には彼女が新城先輩に伝えた言葉は聞き取れなかった。しかしその間、新城先輩の顔がニヤついたのを見て悪い話はしていないのだと察した。


「そういうことですので、お願いしますね」


「ああ、わかった。他言無用なんだな?」


「そうです。くれぐれも漏らさないようにしてくださいね」


 そう言ってめいは踵を返しその場から移動しようと零二のいる方へ近づいてきた。零二は慌ててその場から走り去り、めいがメイン廊下へ出た時にはそこには誰もいなかった。


「これは?」


 ふと床に落ちているのものがめいの視界に入った。拾ってみるとそれは学生証だった。


「阿藤零二……」


 開くと名前と顔写真がしっかりとあった。同じクラスの人であると認識しためいは学生証を静かに自身のポケットにしまう。


「聞かれてたかな?」


 ぽつりと一言呟き、めいはその場から立ち去った。


 数日後、三年の新城が行方不明となり学校中が騒然となったのは零二含め、誰も予想だにしていなかっただろう。

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