エースはまだ自分の限界を知らない 《改編》

草野猫彦

第1話 全敗からの始まり

 蝉が容赦なく騒音を撒き散らし、太陽は遠慮なく灼熱の空気を届けてくる。

 全国中学校軟式野球大会。

 その予選のさらに予選となる、千葉県のブロック大会一回戦。

 最終七回裏、得点差は二点。


 表のピッチングを終えてベンチに戻った直史は、どっかりと腰を下ろした。

「よっしゃ、まだまだー! 二点差はワンチャンスだぞー!」

 監督が声を上げて士気を鼓舞する。チームメイトにも悲壮感はない。

 だがそれは最後まで試合を諦めていないとか、そういったポジティブな理由ではない。

(うちのチームじゃ二点を取るのは無理だな)

 冷静に見て、そうとしか思えない。


 直史のいる栄二中は、名前こそ栄などと入っているが、千葉県の山間にある、過疎化が進んだ中学校だ。

 野球部の部員数は10人。一年生が新しく入ってくるまでは他の部から助っ人を呼ばないと、公式戦にも出場出来ない、弱小校以前の超弱小校である。

 あまりの弱さに練習試合の相手を探すのもままならず、そもそもここ数年一回戦を突破したこともない。合同チームで公式戦に出たことさえある。

 特にこの試合は、相手が悪い。部員数で3倍以上という、地区大会では毎年優勝を狙い、県大会まで突破することもある強豪校だ。

 単に、人数が多いから、選手層も厚いだけ。身も蓋もない数の暴力である。それだけ人数がいて強いチームなら、強い選手もいるものだ。

 勝てると思っていた部員はいないだろう。直史だって勝てるとは思っていなかった。

 中学校最後の試合を、精一杯楽しむ。

 それだけを念頭に、部員全員がそれなりに一生懸命にプレイしていた。

(だけどヒットの数は同じ2なのに、どうして点差も2なのかね)

 直史は声には出さなかったが、心の中では愚痴った。

 それぐらいの権利はあると思っている。


 直史の投球は悪くなかった。地区大会の強豪相手に七回を投げて被安打2。普通なら充分に勝てる内容だ。

 だが問題は、同じく表示されるエラーの数である。向こうが0であるのに対し、栄二中は4。

 わずかな安打と、それに絡むエラー。そして適切な犠打により、敵は二点を取ったのだ。

 直史の自責点は0だ。それはこの試合に限ったことではない。


 攻撃に関しても、二つのヒットのうち一つは直史が打ったものだ。

 そして次の打席、珍しく二塁までランナーを進めた場面で、直史は四球で出塁した。

 どうせホームランなどは打てないのだから、もっと勝負してくれても良かっただろうに。


 敬遠ではないが、四球になってもいいという勝負だった。

 その時は一点差だったので、あちらのチームの選択は正しかったのだろう。


 和気藹々とした野球。そもそもメンバーが少ないため、上下関係もゆるいものであった。

 ただ内申のための部活とか、勝てたらいいなという程度の考えでやるなら、栄二中の野球部は、悪い環境ではなかったのだろう。

 それは別に、直史も反対ではなかった。だから積極的に行動しようとも、チームを引っ張って行こうとも思わなかった。

(でもせめて、一度ぐらいは勝ち投手になりたかったよ) 

 最後の打者に代打が送られ、それがサードゴロに打ち取られて試合は終了した。




「なあ、佐藤君だっけ?」

 整列し礼が終わった後、直史は声をかけられた。

 直史も割りと背は高いが、そいつは縦だけでなく幅もある。他の選手と比べても中学生とは思えない、一回り大きな体格。

 相手校の四番の竹中。なんでも特待生で私立校への進学が決まっていると、噂好きの野球部員が言っていた。

 この試合の成績は、二打数0安打一犠打一四球というものだった。

 その一犠打が、二点目の犠牲フライとなったのだ。

「うん」

 肉体的にはともかく、精神的に疲れていた直史は、早く帰りたかった。

 例年であればこれから、簡単なミーティングをして解散だ。とにかくこの気分を変えたい。

「キミさ、上でも野球するの?」

「多分」


 直史は反射的に答えていた。

 上というからには、当然だが硬球による高校野球だ。野球の華と言ってもいい。

 正直に言えば、意識していなかった。直史にとって高校の選択は、野球よりもその後の大学入試に意識を割いていた。

「続けてくれよ、もったいないから。今日は俺の負けだけど、次はリベンジするからさ」


 リベンジ?


 直史は当惑したが、確かにヒットを打てなかったという点では、竹中の負けだったのかもしれない。

 たとえ犠打でも、点を取ってくれるのは、いい打者だとも思ったが。

「スピードはともかく、コントロールすげえ良かったよな。高校で体作ったら、スピードも絶対上がるぜ」

 それは、竹中にとっては相手を讃えるつもりの言葉だったのかもしれない。

 だが直史の中にある、不完全燃焼のどろどろには、火をつける言葉だった。


 嫌だなとは思いつつも言葉になる。

 大きな声では言わなかった。負け犬の遠吠えと思われたくはなかったので。

「あれ以上速いと、うちのキャッチャーが捕れないんだよ」

 捨て台詞を残して、直史は背を向ける。

 竹中の呆然とした顔を、彼が見ることはなかった。




 その後、直史は受験に専念することとなった。

 比較的近い公立校の中では、一番偏差値の高い普通科高校が、彼の志望校となった。

 学校見学で見た限り、野球部は三年が抜けた後も、充分に試合が組めるぐらいの人数は揃っている。

 それがどれだけのモチベーションの増加につながったのかは分からないが、次の年の四月、白富東高校の入学式に、直史の姿はあった。


 入学式の後、直史はクラスで困っていた。

(分かってたけど、同中出身がいないな)

 元々人数自体が少ない中学校だったし、偏差値高めのこの学校を受ける生徒は、さらに少なかった。

 同じクラスには名簿を見る限りでは、女子の椎名美雪が栄二中出身だが、友達と言えるような関係でもない。

 まあ小学校から順上がりの学校だったので、もちろん顔ぐらいは知っているが。

 確か陸上部で、すごく足が速かったはずだ。だが知ってるのは本当にそれぐらいだ。


 自己紹介を順番にしていくのだが、直史が特筆すべきことなどそれほどない。

「佐藤直史です。中学時代は野球部でピッチャーしてました」

 あまりにも無難な紹介に、自分でも意味不明のやるせなさを覚えるが、それはすぐに消え去った。

「椎名美雪です。中学校時代はシニアで野球してました。高校ではマネージャーをする予定です」

 声こそ出さなかったものの、直史は振り返って美雪の顔を確認してしまった。

「椎名さんってシニアで野球してたの?」

 小声の直史に、椎名も小声で応じた。

「そだよ。だってうちの中学弱かったじゃん」

 それはそうなのだが。


 シニアとは学校での部活動とは全く違った、地域に根ざしたクラブチームである。小学生はリトル、中学生がシニアと通称されることが多い。

 特に野球に関しては全国にシニアのチームがあり、全国大会まで行われる。

 そのレベルは、中学の学区をまたいでメンバーを集めているため、おおよそ一般の中学校のチームよりは強いと言われている。

 実際高校野球の強豪校は、中学の軟式野球で結果を出した選手ももちろんだが、シニアで結果を出した選手を勧誘することも多い。

 なおボーイズというまた違った団体もあるのだが、関東は基本的にシニアチームの方が多い。


 直史ももちろんその存在は知っていたが、自分がシニアのチームに入るという選択はなかった。

 近隣のシニアチームが比較的遠く、共働きの直史の家の場合、送り迎えをしてもらう余裕がなかったからである。

 また備品などにかかる費用も高く、貧乏ではないが裕福でもない直史の場合、とても無理は言えなかった。

 野球は直史にとって、それだけの金をかけてするようなものではなかったのである。

 それにしても、まさか女子の椎名がシニアで野球をしていたとは。

 確かにシニアチームの選手は、学校の部活では出場できなかったはずだ。それにしても全く接点がなかったとは。


 直史はそれで納得して終わりだったのだが、椎名はまだ続けて呟いてきた。

「佐藤君、ピッチャーだったんだね。今日から部活来ない?」

「いや、だってまだ部活説明会もしてないだろ」

 オリエンテーションで説明を受け、その後見学期間の後、入部という手はずになっていたはずだが。

「入部自体はもう出来るよ。あたしと同じシニアのメンバーなんか、春休みから参加してるし。それでもベンチ枠が余ってるから、今なら先着順で春季大会のベンチに入れるよ」

「マジか」


 春季大会は春の選抜高校野球とは全く関係ないが、夏の甲子園地区予選のシード校を決める、それなりに重要な公式戦である。

 シニアのメンバーが何人入ったのかは知らないが、普通の公立校である白富東なら、いきなり試合に出られる者もいるだろう。

「正直なところ、ピッチャーは何人いてもいいしね」

 そうなの、だろうか?

 直史は自分が、そこそこ強い学校でもピッチャーが出来ただろうとは思っている。

 だが中学の部活は軟式であり、一般的な高校野球の硬式球とは扱いが違う。

 ただそれは、少しでも慣れるために、早く入った方がいいということでもあるだろう。


 疑問は浮かぶが、どのみち野球部に入るというのは決めていたことだ。

 練習道具も着替えもないが、顔を出すだけでも印象は良いだろう。

 中学までの全員が知り合いの馴れ合い野球に比べれば、シニアを含めた高校野球が厳しいのは、直史にも想像出来ることである。

「そうだな、じゃあ紹介たのむよ」


 後から思えば、これが直史の人生の、巨大な分岐点であった。




 揃いのユニフォームに身を包んだ6人が、練習準備を始めている。

 白富東高校の野球部グラウンドは、校舎からは少し離れている代わりに、野球部専用としてグラウンド全体が使える。

「あれって、シニアのユニフォームだよな? SAGIKITA……鷺北っていうと まさか全国行ってたあの鷺北?」

 舞台は違えど同じ野球。その県下強豪シニアチームの名前ぐらいは、直史も知っていた。

「そうだよ。レギュラー5人と二番手投手。そんでもって元セカンドのあたしの7人が、鷺北シニア出身」

「元ってことは、女でレギュラー取ってたの?」

「すごいっしょ」

「すごい」

 椎名のドヤ顔も、当然であろう。


 シニアまでは男女混合でチームは作られる。別に女子専門の野球団体もあるが、全国に行くチームで男子と競争してレギュラーを勝ち取るのは、相当に難しいだろう。

 素直に感心した直史に、にかっと笑って椎名はグラウンドに声をかける。

「ジーン! 経験者連れて来たーっ!」

 その声に反応してやって来たのは、中肉中背だが見るからに動作がきびきびした少年だった。

「シーナ、経験者って?」

「うん、同じ学校の佐藤君。ピッチャーだったって。佐藤君、こっちが大田仁(ひとし)、通称ジン。正捕手だったよ」

「へえ」

「よろしく」

 ジンと呼ばれた少年は、自然と手を差し出す。直史も素直にそれを握る。

「へ~」

 にぎにぎとジンは直史の手をまさぐった後、ぺたぺたと腕や肩に触れてくる。

「あの、ちょっと気持ち悪いんだけど」

「わりーわりー、筋肉見たかったんだよね」


 名門のキャッチャーはこんな気持ち悪いのだろうか。そんなことを考えながらも、直史はなぜか嫌な気分ではなかった。

 自分の内面を分析すると、ピッチャーに対して関心を強く持つキャッチャーだから、と判断したからだろう。

「シーナと同じガッコって、成績はどんなもんだったの?」

 その問いは椎名に向けられたものだったが、肝心の彼女は知らない。まあシニアにわざわざ行くような人間が、弱小校の成績に興味は抱かないのかもしれないが。

「地区大会一回戦負けだったよ。けど言っとくけど、俺の自責点は0だったからな」

 言ってから気付いたが、負け惜しみにしか聞こえなかっただろう。

「へえ、相手どこ?」

「棚橋」

「あれ? 竹中いるとこだよね? 勝負した?」

 やはりりシニアにまで名前は届いているのか、と直史は打ち取ったはずの相手に嫉妬した。

「内野ゴロ二つに外野フライ一つ。敬遠はなし」

「変化球主体だよな?」

「どっちかというとな」


 直史は器用だった。そして指の関節も含めて、全身が柔らかかった。

 ストレートだけでは勝負出来ない相手を封じるため、ろくな指導者なしでも様々な変化球を試した。

 数自体は多いが、変化量が大きく安定して投げられる球種は少なかったため、あまり実戦では使えなかったが。

「何投げられるの?」

「カーブが二種類、スライダーが二種類、シュート、スプリット、チェンジアップはいける。コントロールが微妙でいいんなら、あとナックルカーブとフォークだな」

「はあ?」

「ええ?」

 今度は二人が驚く番だった。

「つっても硬球で投げられるかは試してないけどな」


 直史はその家の地理の特殊性から、一人で投げ込みをすることが出来た。

 基本的に練習量が足りない中学時代も、一人で幾つもの変化球をマスターした。

 しかしそれが本当に通用する変化なのかは分からなかったし、大半の球種は実戦で検証していない。

 キャッチャーが捕れなかったからだ。

「スパイク持ってきてないよな。じゃあさ、シーナとキャッチボールやっててくれよ。準備したら受けるからさ。あ、受験で体鈍ってる?」

「勉強中も気分転換に犬の散歩がてら走りこんでたし、投げ込みはけっこうやってたよ。でも全体的にはやっぱ鈍ってると思う」

「じゃあまあ、今日はお試しだな」

 



 グラウンドに戻っていくジンを見送り、シーナは直史にグラブを渡す。

「予備のグラブ。軽く投げてみよっか」

「ああ、了解」

 硬球自体は扱ったことはあるが、誰かに向かって投げるのは初めてだ。

 軟式と違って明らかに重さも違う。縫い目を確かめながら、直史はシーナとキャッチボールを始めた。


 シーナの投げる球は、伸びがあって胸元にずばりと決まる。

 正直中学時代にバッテリーを組んでいたキャッチャーより、ずっといい球を投げている。

(上手かったんだろうな。つか、キャッチャーやってくれてたらな)


 直史の内心は知らず、シーナもまた感心していた。

 まだ軽く投げているだろうに、ストレートにちゃんとバックスピンがかかっている。

 やや軸は傾いているが伸びもあるし、これは短いイニングなら、すぐに試合でも使えるのではないか。

「あの~、すんません」

 そんなキャッチボールに没頭する二人に声をかけたのは、制服姿の男子であった。

「野球部って、こんだけなんすかね?」

 シーナと同じぐらいの身長しかない、小さな少年だった。

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エースはまだ自分の限界を知らない 《改編》 草野猫彦 @ringniring

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