第8話 【SIDE:ギルド黒影の賢狼】 副長クリスの憂鬱


「クリス副長。本日の討伐結果です」


 私は部下の男から差し出された報告書を受け取る。


「ああ、ご苦労。今日のところは上がって休んでくれ」

「え? しかし……」


 部下が困惑した顔を浮かべている。

 まだ残務はあるはずだと、そんなことを言いたそうに。

 だから私は小さく息を吐いて笑う。


「安心しろ。私もすぐに上がるさ」

「ですが、ただでさえアリウス部隊長がいなくなって大変なのに、副長お一人残してというのは……」

「いいから。今日は君の妹の誕生日だろう? 今日くらいは家に帰ってやれ」

「あ……、ありがとうございます!」


 部下は何度も礼を繰り返し、私の執務室を出ていった。


「やれやれ。本来、定時で切り上げることにそこまで恐縮しなくても良いのだがな」


 とはいえ仕方のないことかもしれない。


 レブラがギルド長に就任してからというもの、ここ《黒影の賢狼》の勤務体制は大きく変わってしまった。

 休みもロクに与えられず、課されたノルマを達成するためにモンスターと戦う毎日。

 ギルドに戻ってからは疲れ切った体で事務処理等の雑務をこなす。


 ほとんど無報酬の残業にしても「残業は時間内に仕事を残した者の義務だ」とレブラから言われる始末。

 そもそも「仕事が定められた時間内に終わらない」というのは「定められた時間内に終わる仕事を設定してやれていない」とも言えるはずなのだが……。


 ともかく、そんな体制というべきか、風潮とでもいうべきか、現状に部下たちは慣れてしまっているのだろう。


 過労は人の思考を奪い、常識的な判断を難しくする。

 そしていつしか異常な状態にあってもそれが普通なのだと錯覚してしまうようになる。


 まったく、実に嘆かわしいことだ。


「と、あまり暗くなるのも良くないな」


 沈鬱な思考に傾いているのを感じて、私は頭を振る。


 机上にお気に入りの紅茶を用意。

 そして、部下から受け取った報告書を整理して並べた。


「よし、あとは……」


 窓辺にいた猫のぬいぐるみを抱きかかえ、執務用の机の上に座らせた。

 私は続けて兎や犬、豚など動物のぬいぐるみを所狭しと並べていく。


 そして最後に大きめの熊のぬいぐるみを膝の上に乗せて準備完了だ。


「よしよし。一緒に仕事頑張ろうな、ゴンザレス」


 私は熊のぬいぐるみ、ゴンザレスの頭を撫でながら、頬が緩むのを感じた。


 もふもふ、もふもふ、と。

 可愛さを凝縮したかのような物体を撫で続けた。

 そうしていく内に心の内に溜まりかけた黒いモヤが浄化されていくのを感じる。


「な、何をしてるんだ、クリス君……」

「……」


 一気に気分を害された。


 そこにはギルド長のレブラが立っていた。

 ぬいぐるみに埋め尽くされている私を見て呆気にとられた顔を浮かべている。


「何と言われましても、残務を処理する上で最適な環境を整えているだけです」

「そ、そうか」


 何故そんな引かれるのか理解できない。

 まあ、この男のことを深く理解したいとも思わないが。


 レブラは咳払いをして「まあ、いつものことか」とか呟いている。


「ご用件は?」

「ああ、これをギルド協会に届けてほしくてね」

「これは……?」


 レブラが手渡してきたのはズッシリと重い麻袋だった。

 口のところからチラリと見えるが、予想通り銀貨が詰まっている。


「今度、王都で開かれる《大武闘会》の参加料さ。この参加申請書と一緒に渡しておいて欲しい」

「参加料にしては随分と多いようですが?」

「そこはほら、ギルド協会に対する建前・・というやつさ」


 なるほど。

 つまりはギルド協会に向けた上納金というところか。


「分かりました。ですが、あそこの協会長が軽々に受け取るとも思えませんので、その時は悪しからず」

「キール君か……。まったく忌々しい。彼さえいなければボクがギルド協会の長になっていてもおかしくなかったというのに……。ボクより剣の腕が立つからっていい気になりやがってさぁ!」


 レブラは不愉快極まりないといった様子で近くにあったソファーに拳をぶつける。

 劣っているのは剣の腕前だけではないと思うが。


 多めに用意した参加料も、レブラが優越感を得たいがためのものなのだ。


 こんなところに見栄を張るならギルドメンバーに還元してやれば良いものを。

 そう思ったが、マイナスにしか働か無さそうなので口には当然出さない。


「ああ、あとそうだ。これも持っていってくれ」

「これは……、依頼書? 請負不可の印……」

「ああ。なんでも、田舎の村の近くで大型モンスターの痕跡が見つかったから討伐して欲しいって依頼でね」

「そんな……、下手をすれば人命に関わる案件ではないですか! どうして請負不可なのですギルド長!?」


 レブラは私の言葉を意に介さず、冷めた表情で耳をほじくっている。


「だってねぇ。大型モンスターの討伐案件でそんな安い報酬じゃあねぇ」

「た、確かに依頼報酬は少ないかもしれませんが。田舎の村ですよ? そんなに大金を払えという方が無理――」

「既にギルド長の請負不可の印が押されているんだ。覆せないんだから、諦めて協会に届けたまえよ」

「くっ……」

「それとも、キミもアリウス君と同じ道を辿るかい? そんなことになれば、キミの可愛い部下たちもさぞ困るだろうけどねぇ。クックック」

「……」


 本当に、虫唾が走る。


 私はそれ以上同じ空間に居たくなくて、銀貨の詰まった麻袋や書類を持って足早に部屋を出ていこうとする。


「そういえば、アリウス君は今頃どうしているやら。まぁ、あんな大外れのジョブを授かったんじゃあ、どこのギルドも雇ってくれないだろうけどねぇ」

「……」

「彼、どうするんだろうねぇ? 故郷の妹を救うために強くなりたいとか言ってたけど。クックック、それで女神様から外れジョブを授かるとか本当に滑稽――」


 ――バタンッ!


 レブラの言葉を遮断するかのように扉を閉める。

 ゴンザレスに癒やされた気分が台無しだ。


 とにかく今は外の空気が吸いたい。


「アリウス、か……」


 本当に、彼は今どうしているのだろうか?


   ***


「いやぁ、凄かったな! 昼間の決闘」

「ホントホント。あのキール協会長に勝っちまったんだからな!」


 私はギルド協会の前まで来た時、そんな声で足を止める。


「アリウスっていえば外れジョブを授かったせいでギルド《黒影の賢狼》を解雇されたんだろ?」

「ハハッ、あそこのギルド長もいい気味だぜ! キール協会長に勝つような奴を追い出しちまったんだからな!」


「――っ!?」


 驚愕の事実を聞いた気がして、私は思わず会話の聞こえてきた方へと振り返る。


 アリウスが、キール協会長に決闘で勝った……?

 キール協会長といえばこの王都でも五指に入る剣の達人のはず。

 その人物に、勝ったというのか?


「すまない、その話を詳しく聞かせてくれないか!」


 気付けば会話していた男たちの肩に手をかけていた。

 男たちは驚いていたものの、見聞きしたという内容を話してくれた。


 その話によると、アリウスが見たこともないジョブ能力を使ってキール協会長に勝利したということだ。

 ちなみに、ギルド協会にたむろしていたチンピラどもも追い払ったというおまけ付きだった。


 そして、キール協会長にその実力を認められ、異例のC級スタートとしてギルドを立ち上げたらしい。


 実に痛快な話だった。


 レブラは戦闘能力が無いと評価していたジョブ能力。

 アリウスはその力を使って、レブラよりも剣に優れるキール協会長に勝利したのだ。


 このことを知った時のレブラの反応が楽しみだと、そう思ってしまったのは不謹慎なことだろうか?


「あの、彼はその後どこに?」

「いやぁ、それが何だか、決闘の後にすぐ駆け出して行っちまったよ。何だか可愛い女の子も連れてたなぁ」

「そうですか……」


 せめて言葉を交わしたかったのだが。


 しかし、そうか……。

 アリウス、君はギルドを立ち上げたのか。


 私は男たちに礼を言い別れた後で独り呟く。


「おめでとうアリウス。いつかまた共に戦いたいものだな」


 ふつふつとこみ上げてくる何かよく分からない感情に押し出されるようにして笑う。

 そこで私はふと、先程の男たちから聞いた言葉を思い返した。


 ――何だか可愛い女の子も連れてたなぁ。


 ……。


 …………。


「女の子、だと?」


 かなり置いてからその言葉を理解し、私はまたも独り呟いた。


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