僕はたぬき

白咲夢彩

僕はたぬき

 僕が暮らすこの国では毎日たくさんの人間が働いている。皆、その日の自分の仕事を終えると家族のもとに帰り、温かいごはんを食べ、しっかり寝て、また働く朝を迎えている。

 もちろん僕も人として働いているし、今は帰る居場所がある。


 僕はやっと帰る居場所が出来たのだ。

 それが何よりも嬉しくて仕事を頑張れている。


 毎日のように職場で怒られて辛いけれど、やっと僕は愛する人の待つ家へ帰ることが出来るようになったのだ。愛する人の為に頑張れる毎日を生きることが出来るようになったのだ。


 でも僕は、本当はたぬきなのだ。

 それを愛する僕の彼女は知らない。


 本当は人間と恋に落ちてはいけないのもわかっている。

 でも、僕は彼女に恋をしてしまった。


 僕はたぬきの姿だった時、人間が行き交う道路でケガをしてうずくまっていた。そこに現れたのが今の僕の彼女だった。


 僕はタダの野生のたぬきで、犬や猫のようなペットでもないのに彼女は僕の手当てをして近くの山に帰してくれた。


 そんな彼女に心を打たれた。

 そんな彼女に僕は恋をした。


 彼女にどうしてもまた会いたいと考えた僕は、山のたぬきの主にそれを相談すると、こんなことを言われた。


「この、〝緑のたぬき〟を食べれば人間になることができる。わしが作ってやろう」


 そして、そう言った三分後にはふんわり温かく踊るそばが入ったどんぶりをたぬきの主が出してくれた。


 僕はたぬきの主が作ってくれた、温かいそばを急いで食べた。そのそばは、心を優しく包む香りと体をじんわり幸せにする味で僕を人間に変えていった。


 緑のたぬきを食べたおかげで僕は魔法にかかったように人間になったのだ。


 それからは彼女をとにかく探した。

 どうしてもお礼がしたくて。


 そして、彼女をやっと街で見つけた時、人間姿の僕は猛アタックをした。


 急に付き合ってほしいと言われて彼女は戸惑っていたが、優しい彼女は見知らぬ僕のことを受け入れてくれた。


 気が付けば、彼女の為に働くようにもなった。


 そして、今、彼女と暮らせる幸せな毎日がスタートしたのだ。


 しかし、僕には注意しないといけないことがある。それは、お風呂に三分以上浸かるとたぬきに戻ってしまうことだ。


 たぬきの主は人間になったばかりの僕に言った。


「お風呂に浸かるときは注意するんじゃぞ、三分も経てばたぬきに戻る」


 もし、彼女が風呂場でたぬき姿の僕を見たら、びっくりして別れを切り出してくるかもしれない。いや、僕だと気が付かず追い出すかもしれない。どうなってしまうかなんてわからない、でもきっと今の幸せは無くなってしまう。


 だから、僕はお風呂に浸かる時間だけは気を付けようとしていたのに。


 僕はあまりにも仕事の疲れがたまっていたらしい。帰宅して体を洗ってお風呂に浸かると気が付いた時にはたぬきの姿になっていた。浴槽でうたた寝してしまったようだ。


「どうしよう!このままじゃ……バレてしまう!」


 僕は慌てた。慌てたけれど、どうにもできなかった。

 一度たぬきに戻ってしまうと、また〝緑のたぬき〟を食べなければ人間になることはできないからだ。


 遠い山に戻らなければたぬきの主とは会えないし……ど、どうしよう……!!


 そう慌てていると、僕の長風呂に心配した彼女がお風呂を覗きに来てしまったようだ。ガチャン!と扉が開いて、たぬき姿の僕は彼女と目が合ってしまった。


「長いから心配できちゃっ……って……え!?た、たぬき!?!?」


 僕は慌てて彼女が開けた扉の向こうに走って逃げた。そしてそのまま、家の外まで駆け抜けた。


「どうしよう、はやく人間に戻らないと……」


 そう思って自分の家の周りをたぬき姿のまま走り回り、たぬきの主が食べさせてくれた〝緑のたぬき〟を探した。しかし、たぬき姿の僕は〝緑のたぬき〟を買うことも作ることもできないのだと冷静になって気が付いた。


「彼女はびっくりしているだろうか、怒っているだろうか、どうしたらいいんだ。早く人間にならないと、人間になって説明しないと。いや、正直に言ってしまっていいのだろうか。待て待て、その前にまずは人間に戻る為に〝緑のたぬき〟を食べなければ……」


 僕は考えても考えてもどうする方法も出てこなくて、気が付けば彼女と住む家の前に戻ってきてしまった。そして、玄関の扉に寄りかかって途方に暮れていた。


「もう、終わりなのかもしれない……、人間と恋なんてやっぱり僕にはできないんだ」


 そう、諦めかけた時、僕が知っている優しい香りが僕のもとに漂ってきたので、急いで立ち上がった。


「あれ?この香りは……!!まさか!!」


 それはたぬきの主が出してくれたそばと同じ香りだとすぐに気が付いた。


「もしかしたら、この香りをたどれば〝緑のたぬき〟が食べられるかもしれない!」


 僕はまだなんとかなるかもしれないと急いでその香りを辿り、〝緑のたぬき〟がある場所を探した。


 それは、彼女と自分の家の中からだった。


 だから、急いで開いている窓に飛び乗って家の中へ入り、必死で僕は〝緑のたぬき〟を探した。すると、ある場所にたどり着く。



「おかえりなさい」



 それは、引っ越し前に彼女とふたりで選んだテーブルの上だった。


 そして、椅子には彼女が座っていた。


 驚くことに彼女は何にも不思議に思わずに、いつもの笑顔でたぬきの僕に言った。



「ちょうど出来立てです。早く食べないと伸びちゃいますよ?」



 そして、たぬきの僕に向かって、彼女は出来立ての〝緑のたぬき〟を差し出しながら、とっても優しい笑顔で続けて言ったのだ。




「私が五分以上お風呂に浸かってしまった時は……〝赤いきつね〟……作ってくださいね」




 その日食べた〝緑のたぬき〟は世界一、いや宇宙一美味しかった。


 心も体も僕を幸せに包んでくれたのだ。




 それから〝緑のたぬき〟は、僕と彼女を繋いでくれるいつまでも大切な味になった。

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