2-5 新しい世界

 翌日。

 いつもより早めに目が覚めた透利は、妙にそわそわとしていた。

 両親からは今日も出かけるのかと驚かれ、咄嗟に「即興シネマパークに興味が湧いてきたから」と言い訳をしてしまう。確かに、興味が湧いてきたというのは嘘ではないのかも知れない。しかし、今日の目的地はシネマパークではないのだ。


 今日は演じる側ではなく、観る側……と言えば良いだろうか。

 日夏から提案されたデートの内容は、舞台劇の鑑賞だった。どうやら日夏には憧れの役者がいるらしく、今日はその役者が出演する即興劇があるらしい。日夏はすでに一度、別日の公演を観に行っているようなのだが、


「即興劇のこと、透利くんにもっと知ってもらえると思って」


 とのことで、急遽当日券での参加が決定したのであった。



「あ、日夏さん。ここです!」


 時刻は午前九時。会場付近の駅で待ち合わせていた透利は、日夏らしき人物を見かけて手を振る。日夏は大袈裟にビクリと反応し、何故か訝しげな顔でこちらにやってきた。


「……嘘でしょ。今、三十分前……」

「あぁ、すみません。実は約束の一時間前に着いてしまいまして」

「それは流石に早すぎ……」


 ドン引きしているような視線を向ける日夏に、透利は「たはは」と笑う。自分でも驚きの早さだと思ったが、どうしても家の中でじっとしていることができなかったのだ。


「それより日夏さん、いつもと雰囲気違いますね」

「ああ、まぁ……こっちが本来の私だから」


 誤魔化すように話題を振ると、日夏は何でもないことのように呟く。

 トレードマークだったひまわりのヘアゴムはなく、下ろされたセミロングの黒髪が風に吹かれてなびく。服装もいつもだったらスカートだが、今日はギンガムチェックのチュニックにジーンズ姿だった。


「…………ごめん」

「え?」

「デートって名目だったの忘れてた。……私、衣装としてしかスカート履かないから、つい」


 言いながら、日夏は目を伏せる。

 透利は思わず心の中で首を傾げた。日夏はいったい何を申し訳なさそうにしているのだろう、と。透利としては正直、ひまわりじゃなくて素の真柳日夏がそこにいるのだと感じると緊張が高まってしまう。だからなるべく意識しないように言い放った。


「いや、あの。可愛いと思いますけど」

「…………っ」

「やっぱり、ひまわりの印象が強いから……その、新鮮な感じで、デートって感じがするのではないでしょうか」


 おかしい。意識しないどころが全部本音を言ってしまった。

 日夏を見ると、案の定ピタリと動きを止めている。口だけは何か言いたげに動いているが、どうやら言葉にならないようだ。


「あー、えっと。当日券、売り切れたら大変なので行きましょうか」


 透利の提案に、日夏は我に返って小刻みに頷く。

 とりあえず、デートと意識するのはやめた方が良いんだろうな、と透利は思った。



 それから無事当日券をゲットした透利と日夏は、開演時間までカフェで過ごしてから再び会場へと向かった。

 待ち合わせたばかりの時は変にドギマギしてしまったが、今は比較的落ち着いている。確かにデートという名目ではあるが、透利も気になってはいたのだ。傍から見た即興劇はどういう風に見えるのか、単純な興味が芽生えていた。


 結局のところ、透利に必要なのはきっかけだったのかも知れない。


 用意された世界観の中で自由に動き回る役者に、ダイレクトに伝わってくる観客の反応。時には客席も物語に巻き込む奇想天外さ。

 上手い具合に物語が進むこともあれば、お互い探り探りの緊張感もある。コミカルなシーンから急にシリアスになる瞬間なんて、観客ごと静まり返るピリピリ感がたまらなかった。よくわからない会話ものちに伏線になったりもして、それを回収した瞬間は役者自身が驚いたりもする。噛んだり笑ってしまったりする瞬間もまた楽しくて、結局、即興劇に正解などないのだと感じた。

 完璧でも、完璧じゃなくても、たくさん準備をしてきても、その場の発想力でも、どれもが正解でありエンターテイメントだ。

 終わった瞬間の役者の表情だったり、アフタートークで裏話を聞いたり。最初から最後まですべてが楽しくて、気付けば目の前の世界に夢中になっていた。


 ――そうか、これが即興劇なんだ、と。


 波打つ鼓動が、自分の心情の全部を表していた。

 自分はちゃんと、楽しいものを楽しいと感じられている。

 流行りものは苦手だからと色んなものから逃げ続けていた透利が、新しい世界に足を踏み入れられているのだ。


 そう思うだけで、透利は密かに嬉しくなっていた。

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