2-6 日夏の悩み

 一時間半ほどの公演が終わった午後一時すぎ。

 透利は妙に上機嫌な日夏に連れられ、会場近くの中華料理店に来ていた。もっとデートらしいおしゃれなカフェを想像していた透利は驚いたが、


「私、本当は辛いものが好きだから」


 と、激辛の麻婆麺を注文した日夏を見て「なるほど」と察する。

 前にパンケーキを食べた時、てっきり日夏は甘いもの好きなのだと勘違いをしていた。つまりこれは誤解だというアピールなのだろう。透利は微笑ましく思いながらも、日夏と同じ麻婆麺を注文した。


「……それで、どうだった?」


 注文を済ませるや否や、日夏は前のめりになって訊ねてくる。

 どこか期待するように緋色の瞳を向けられ、透利は公演中に思ったことを恥ずかしげもなくすべて話した。日夏の期待に応えたかったというより、もしかしたら自分の意思なのかも知れない。そう思うと、自然と照れが混ざった笑みを零してしまった。


「ビックリした。透利くんがまさか、そこまで感じ取ってくれているとは思わなかったから」

「たはは……それは自分でも驚いてますよ。日夏さんがひまわりとして俺に話しかけてこなかったら、こうはなってなかったと思います」

「……ひまわり、ね。はぁーあ、妹設定を消されたのを思い出して頭痛くなってきた……」


 照れ隠しなのか何なのか、日夏は渋い顔をして頭を押さえる。

 しかし、このタイミングで麻婆麺が運ばれてきて、日夏の表情は一気に晴れやかになった。


「どう?」

「いや、これ想像以上じゃないですか。日夏さんよく平気な顔で食べますね」

「……でしょ?」


 そしてこのドヤ顔である。

 透利が「でも美味しいですね、これ」と言うと、日夏は更に嬉しそうに頷いてみせた。今日はいつにも増して色んな表情を見せてくれている気がして、透利も内心嬉しくなる。思わずぼーっと日夏を見つめていると、目を細めてしっしっと手で払われてしまった。


 しばらく麺をすする音だけになり、沈黙が訪れる。さり気なく髪を耳にかける仕草をする日夏にドキリとしつつも、透利もやがて目の前の辛さに集中した。

 なんとかして完食すると、何故か日夏がこちらを見つめていることに気が付く。透利ほどではないが日夏もうっすらと汗を掻いていて、透利ははっとした。ショルダーバッグからハンカチを取り出して手渡そうとする。しかし、日夏は首を横に振った。


「大丈夫、ありがとう。……そうじゃなくて、ちょっと、その。話したいことがあって」

「話したいこと、ですか?」

「うん。…………私、斑鳩いかるが雪奈ゆきなさんのファンなんだけど」


 話題があまりにも唐突で、最初は誰のことを言っているのかわからなかった。透利は少し考えて、先ほどの公演のチラシを取り出す。


「あぁ、さっきの即興劇の……。確か、声優さんでしたっけ」

「そう。……実は私、声優の世界に憧れてて」


 そっと呟くように告白する日夏に、透利は「ほぉ」と呟き返す。何も考えていない訳ではなく、咄嗟に言葉が出てこなかったと言えば良いだろうか。日夏は元々即興シネマパークで活躍しているし、こうして透利に即興劇の面白さを伝えてくれた。日夏は将来、即興劇で活躍する役者になるのだろう、と。勝手ながら、そう思い込んでしまっていたのだ。


「日夏さんはオタクなんですか?」

「随分直接的に言うのね。……まぁ、その通りなんだけど」


 言いながら、日夏は水を一口飲む。

 一瞬だけ考え込むように目を伏せてから、覚悟を決めたように視線を合わせてきた。


「私、妹が二人いるの。姉妹揃ってアニメが好きで声優にも憧れてて。妹は二人とも歌や演技が上手くって、私には何もないってずっと思ってた」


 自嘲的な笑みを浮かべる日夏に、透利は反射的に「そんなことない」と言いそうになる。しかし日夏に首を振る仕草をされてしまい、口を噤んだ。


「一年前、逃げるように即興シネマパークに通うようになったの。そしたらいつの間にか夢中になってて、それなりに評価をもらえるようになった。雪奈さんも即興劇をやっているし、少しは私も近付けたような気分になってた」


 ――でも、違ったの。


 か弱い声で囁かれた言葉に、心が苦しくなる。だから透利は今度こそ、


「そんなことないです!」


 と否定した。

 迷いも何もなく、まっすぐ放ったつもりだった。自分は声優のことはわからないし、即興劇のこともまだまだ知らないことが多い。でも、妹キャラで甘ったるいひまわりの演技も、恋人同士だとわかってからクールなひまわりの演技も、どっちも好きだと思った。ようやく一つのものに興味を持てた透利からすると、日夏はすでに届かない場所にいるような感覚だ。


「俺は日夏さんの演技、好きですよ。妹さん達がどんなに凄いとか、そんなの関係ないじゃないですか。日夏さんは日夏さんなんですから」


 ついつい、言葉に熱がこもってしまった。

 驚いたように瞳を見開く日夏から徐々に視線を逸らしていく。出会ってから数週間しか経っていないのに、自分はいったい何を言っているのだろう。考えると急に恥ずかしくなって、透利は小さく「すいません」と漏らす。


「……ごめん」

「え、あ、いや。俺が恥ずかしいセリフを言っただけで日夏さんが謝ることは……」

「そうじゃないの。自信がないとかそういうんじゃなくて。即興劇は楽しいけど、雪奈さんを見ているとやっぱり声優に憧れる気持ちも消えなくて。私、どっちに進んだら良いのか……最近、わからなくなってて。透利くんはまだ演技に戸惑いがあるけど、野乃花は心から楽しそうにしてる。……そういうの見てると、私って何なんだろうって思うの」


 日夏から零れ落ちた言葉は不安定に揺れて、虚空に溶けていく。

 透利にとって日夏のその悩みは、酷く遠いものに見えた。自分はまだ、好きになれそうなものを見つけて掴みかけている最中だ。だから今の透利にはまだ、日夏の口から溢れ出す感情の答えがわからなかった。


「そんな顔させて、ごめん」

「いや、そんな……」

「…………私、そのせいで最近スランプ気味だったの。だからあなたとの物語を始める時、変にシリアスな話にしようとした。アンドロイドだったり、寿命だったり、即興でいきなり演じるのは難しい設定ばっかりだったでしょ?」


 日夏の問いかけに、透利は小さく頷く。

 確かに、ひまわり自身は明るい性格だったがそれ以外の設定は重かった。でも、だからこそ透利は日夏の用意した物語に順応できたのだ。あの時は自分達が即興劇をやっているのだという自覚すらなくて、自分にはひまわりっていうアンドロイドの妹がいるのだと本気で思っていた。


「……透利くん?」


 苦笑を浮かべる透利に、日夏は不思議そうに小首を傾げる。


「いや、すいません。本気でひまわりを妹だと思い込んだことを思い出して、本当に馬鹿だったなぁと」


 情けなさたっぷりに言葉を零すと、透利は思わずそのまま俯いてしまった。

 本当に、自分は何も知らない人間だと思う。即興シネマパークに来たきっかけは親で、最初はろくに調べもせずに見学だけのつもりでいた。結局のところ、きっかけを与えられても新しい世界に踏み込む覚悟などなかったのだ。


「あの、日夏さん」

「何? ……というか、本当にごめん。答えなんて出ないのに、あなたにこんなこと」

「それは良いんです。それより……俺も日夏さんに言いたいことができました」


 まっすぐ、日夏の緋色の瞳を見つめながら言い放つ。


「どうして俺が、流行りごとから逃げて我が道を進もうとするのか。……そういうの、日夏さんにはちゃんと話しておきたいと思ったんです」


 自分がこんな性格だから、友達と呼べるような人は透利にはいない。だから、トラウマと言っても過言ではない自分の過去を打ち明けるのはこれが初めてだった。両親にだって隠し通してきた事実で、透利は自分の声が震えるのを感じる。


「大丈夫?」


 日夏にはすぐに心配そうな顔をされてしまった。最早苦笑すら漏らすことができず、透利はだ弱々しく頷く。


「いえ、話したいんです。あ、いや……でも、迷惑だったら」

「そんな風に思う訳ないでしょ。とにかく、場所を変えよう。…………お姉さんが、じっくり話聞いてあげるから」


 聞き取れないほどに小さな声で呟いてから、日夏は伝票を手に席を立つ。そのままそそくさとレジに向かってしまう日夏に、透利は慌てて財布を取り出した。一応これはデートなのだから、ここは男である透利が奢るべきところなのだろう。

 と、思ったのだが。


「話、聞いてもらったから。ここは私が払う」


 ピシャリと言い放ち、そのまま会計を済まされてしまった。

 確かに日夏は一つ上のお姉さんだし、日夏としては格好付けたい気持ちがあったのかも知れない。でも高校生同士であることは変わらないし、酷く自分が格好悪く思えてきてしまった。


「透利くん」

「何ですか。あ、今からでもお金を……」


 店の外に出てから、透利は「今だ!」という気持ちでショルダーバッグに手を入れる。すると、何故か日夏はうっすらと微笑んだ。


「今から透利くんの好きな甘いものの店に行くから。そこで奢ってくれれば良い」

「いや、確かにそうですけど……それは日夏さんもなんじゃ」

「ん?」

「…………気のせいでした。行きましょう」


 全然威圧感のないように見える日夏の猫目は、時々鋭く突き刺さる。

 日夏と接すれば接するほどにそう感じる透利であった。

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