2-4 バングルライトピンクおじさん

 放送が終わっても、三人はカフェのテラス席から動けずにいた。


 端的に言うと、日夏が憤慨しているのだ。

 日夏は今、腕組みをしてふんぞり返り、キノカを一生懸命睨み付けている。つまりは、完全なる「私怒ってますよー」アピールだ。確かに放送事故はなかったし、たくさん設定を考えてきてくれた上で物語に混ざってくれたことはわかる。

 しかし、まさか兄妹設定を崩されるとは思ってもみなかったのだ。


「……あなた、名前は?」


 地声よりも更に低い声で日夏は訊ねる。

 普段の甘さがまったく感じられず、透利は密かに声色の使い分けに驚いていた。まぁ、今はそんなことを考えている場合ではないのだが。


「あっ、はい。ボク、木瀬きせ野乃花ののかって言います! あっ、ボクっなんですよー。よろしくお願いしますっ」


 キノカ――野乃花は、ピリピリとした空気を断ち切るほどに元気な声であいさつをする。どうやら、キノカという名前は本名の木瀬野乃花からきているらしい。一人称が「ボク」なのも変わりないらしく、野乃花という少女はキノカとあまりギャップがないようだ。


「ボク、前々から日夏先輩のファンで。元々、今回のやつも一話目の放送を観てたんですよ!」

「…………そう」

「それで、二話目がこの時間にやるって知って、あわよくば混ざれないかなぁって思ってて。だからボク、今すっごく感激してるんですよ!」

「それは、その……あ、ありがとう」


 おやおや、日夏さんの様子が。

 ……と、透利の表情は自然と緩む。いきなりぐいぐい来る野乃花に圧倒されている――というよりも、単純にファンだと言われて照れている感じだろうか。いとも簡単に不機嫌オーラが消えてしまって、


(意外とちょろいんですね……)


 と、透利はひっそりと思ってしまう。


「何?」

「な、何でもないですよ。そんなことよりも、ええと……木瀬さん、でしたっけ。俺は須堂透利って言います」


 鋭く突き刺さる日夏の視線から逃げながら、透利は野乃花に会釈をする。野乃花はまるで太陽のような笑みを浮かべながらお辞儀を返してくれた。


「はい、須堂さんもよろしくお願いします! へへへ、本当にボク、お二人の物語に混ざれちゃったんだなぁ……」


 何と言うか、野乃花は元気の塊みたいな人だと思った。

 日夏の不機嫌オーラに気圧されることもなく、ただただ興奮気味にテンションが高い野乃花。ついさっきまでシリアスな演技をしていたとは思えないくらい、彼女の笑顔は眩しいほどに華やかだった。


「木瀬さんも高校生なんですか?」

「そうです高一ですっ! 須堂さんも先輩で合ってますか?」

「あぁ、はい。俺は高二なんで先輩ってことになりますかね」

「はえぇ、大人っぽい……」


 野乃花は菫色の瞳を輝かせながらもこちらを見る。

 それはつまり、見た目的にはもう少し大人に見られていたということだろうか。野乃花も背が高めで高校生にしてはスタイルも良く見える。それこそ黙っていたら大学生くらいに見えるくらいだ。


 ――しかし。


「ねぇ、野乃花」

「のっ、のの、野乃花っ!」


 両手を上げながら大袈裟に叫ぶ野乃花。

 どうやら彼女の頭の中の辞書に「黙っている」という言葉はないようだ。いや、この場合は突然名前で呼んだ日夏が悪いのかも知れないが。


「……恋愛要素を入れられたのは正直怒ってる。でも、世界観は壊さずに上手くやってくれたとは思ってる、から」

「は、はいぃ」


 ようやく日夏の怒りが通じたのか、野乃花は背筋をピンと伸ばして頷いた。怯えたような野乃花の姿を見て、日夏はため息を零してみせる。


「次は負けないから」

「……へぇっ?」

「今回はあなたの勢いに負けたから。だから、次は負けない。遠慮なんてしたら面白い物語になんかならないから」


 言いながら、日夏は手を差し出す。

 恐る恐るといった様子で野乃花が握ると、日夏はニヤリと笑った。


「野乃花はもう私達のメンバーなの。遠慮しないでかかってきて欲しい」

「は……はい! よろしくです、先輩っ」

「……ん」


 どうやら日夏は「先輩」という響きが気に入ったらしい。視線を逸らしながらも、ニヤニヤ顔は隠せていなかった。

 日夏と目が合うと、気まずそうに視線を宙に浮かせる。


「とりあえず、次もまた一週間後で大丈夫?」

「夏休み中なので全然いつでもオーケーです! あっ、連絡先……良いですか?」

「もちろん。……ほら、透利くんも」


 自然な動作でスマートフォンを取り出す二人に促されるように、透利も携帯電話――ガラケーを手に取る。きっと野乃花にも「須堂さんガラケーなんですかっ」などという反応をされるのだろう。

 そう思うと、野乃花に向けようとした愛想笑いは引きつってしまった。


「あっ、須堂さんガラケーだ。じゃあメールとか電話になりますね!」

「え? ああ、そうですね。すみません、面倒臭くて」

「いやいや全然! じゃあボク、これから友達と会う予定があるので失礼しますね!」


 ――あれ?


 予想外にあっさりとした野乃花の反応に、透利は思わず唖然としてしまう。

 野乃花は元気で明るいイメージがあって、思ったこともすぐに口に出す性格なのだろうと思った。だからこそガラケーをからかわれなかったのは意外で、


「木瀬さんって、良い子ですね……」


 と、慌ただしく去っていく野乃花を見つめながら呟いてしまった。


「…………」

「? 日夏さん……?」


 野乃花の姿が見えなくなっても、日夏は手を振った状態のまま固まっている。首を傾げる透利の姿に気付いたのは、長めの沈黙のあとのことだった。


「……どうしよう」


 ようやく手を下ろし、俯く日夏。


「え?」

「透利くん。ラブコメ展開になっちゃったんだけど……大丈夫?」


 日夏は頬杖をつきながら、不安げな上目遣いを向けてくる。

 透利は内心ドキリとしつつ、頭を巡らせた。ここで透利が冷静な返事をすれば、日夏も平気な顔をして頷くのだろうか。……まぁ、それ以前にまず透利が落ち着いてなどいられないのだが。


「あ、あの……大丈夫なんですか? その……ピンクじゃないのに、そういう展開にしても」


 ついつい、質問を質問で返してしまった。透利は「やってしまった」と後悔しつつ、目を伏せる。ここでバングルライトの話をするなど、逃げているも同然だ。ちゃんと須堂透利としてどう思うのかを言うべきだった。日夏と出会ってまだ日が浅いけれど、即興シネマパークを通して様々な姿を見てきたのだ。彼女に対して不快に思う部分など一つもなく、むしろもっと知りたいと思っている。


 だから透利の答えは――


「無理」

「…………へっ?」


 俺は構わないですよ、とはっきり言うつもりだった。

 でも日夏に先を越されてしまい、素っ頓狂な声を上げてしまう。


「私、ラブコメは一番避けてきたジャンルだから。今まで何度かバングルライトピンクおじさんに周りをうろちょろされたことあるけど、正直……気持ち悪いったらないもの」

「バングルライトピンクおじさん」


 言いたいことはわかるが、あまりにもワードのパンチ力が強すぎて復唱してしまった。どうやら日夏は相当バングルライトピンクおじさんに参っているようで、さっきから「どうせロリコンに決まってる」だの何だのとぶつぶつ呟き続けている。

 透利は頭を掻きながら苦笑を零した。


「じゃあ、どうにかしてラブコメじゃない方向に……」

「ま、待って。そうじゃないの」

「……?」


 このままラブコメじゃない方向でやっていく、というのが自然な流れだと思っていた。しかし日夏は首を横に振る。透利が不思議に思っていると、日夏は覚悟を決めたように緋色の瞳をまっすぐ向けてきた。


「無理っていうのは、何もかもが無理ってことじゃない。そうじゃなくて、ちゃんと透利くんのことを知らなきゃ無理ってことで……だから…………その」


 逃げずに透利の瞳を見つめつつも、声のボリュームはだんだんと下がっていく。しかし、透利の耳にはしっかりとその言葉が届いていた。


「私と……デート、しない?」


 気付けば、日夏はすっかり赤面してしまっていた。

 コテンと愛らしく首を傾げ、震えを帯びた声で訊ねてくる日夏。

 眉も弱々しく下がり、だいぶ無理をしている様子だ。でも「大丈夫ですか」などと人の心配をしている場合ではない。日夏はただただ照れている訳ではなく、こちらに一歩近付きながら恥じらっているのだ。きっと、透利も日夏と同じような顔色をしているのだろう。

 驚きと嬉しさと戸惑いが混ざりに混ざって、透利の身体は硬直してしまう。


「…………返事」

「あっ、はい! あの、全然……俺でよろしければお付き合いします」

「お……お付き合いっ?」

「ああいや違いますデートにお付き合いをさせていただくということで」


 早口で弁解すると、日夏は「あぁ、そういう……」と冷静を装いながらもますます顔を赤くさせる。透利は思わず「たはは」と苦笑を漏らした。慣れない空気に身体が熱い。演技中よりも緊張している、と言っても過言ではないほどだ。


「明日っていうのは、流石に急?」


 問いかけながら、日夏はまた小首を傾げる。

 緊張も相まってか、日夏の一つ一つの仕草がとんでもなく可愛らしく感じてしまう。まるで「デート」というワードが色んな壁を取り払ったかのような感覚だった。


「いやそんな急なんてことは全然。明日は特に予定もないので大丈夫ですよ」

「……そっか。それは良かった」


 必死になって返事をする透利に、日夏は柔らかい笑みを浮かべる。透利の気のせいでなければ、とても嬉しそうな笑顔に見えた。


(って、それは流石に自意識過剰ですよね)


 まったく何を言っているんだ自分は、と透利は自嘲する。

 これはミズキとひまわりがちゃんと恋人同士になるためのデートだ。役者としての日夏を知る。ただそれだけが目的なのだから、もっとしっかりしなくては。

 そう思いながらも、


「じゃ、そういうことだから。明日はよろしく」

「は、はいっ!」


 透利の心は、どこか浮かれた気持ちに包まれるのであった。

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