2-3 まさかの恋人編?

 三人でテラス席に座ると、何かのスイッチが入ったようにキノカの顔つきが深刻なものへと変わった。

 決して茶化すシーンではないのだろうと察したミズキは、無言で二人の様子を窺う。果たしてこれは放送事故じゃないのだろうか? と不安になるほどの沈黙のあと、キノカが覚悟を決めたように口を開いた。


「先輩。ボクが説明しちゃっても良いんだよね?」


 確認するように問いかけるキノカに、ひまわりは小さく頷く。このままでは新メンバーであるキノカが主体となって物語が進んでしまうが、今はもうそんなことを言っている場合ではないだろう。「先輩を救いに来た」、「本当は恋人同士だ」などという爆弾を持って来られた日には、そう簡単に軌道修正などできない。

 しかも唐突に恋人設定を持って来るような子だ。シリアスな空気を出しつつもとんでもないことを言ってくるに違いないと、ミズキも内心震えながらもキノカの言葉を待つ。


「二人の記憶を改ざんしたのはね、先輩に頼まれたからやったことなんだよ」

「……え……?」


 やがて放たれた言葉に、ミズキはようやく驚きの声を漏らした。キノカはただまっすぐ、ミズキだけを見つめている。まるで、記憶が戻らずに何も知らないミズキだからこそ優しく伝えてくれているかのようだった。


「今から半年くらい前のことかな。先輩は自分の寿命が近付く度に苦しんでた。近くで見ていたボクも、どうして良いかわからなかったよ」

「…………」


 ひまわりはまだ何も言わない。水の入ったグラスを両手で握りながら、ただじっとカランと音を立てる氷を見つめていた。

 そんなひまわりに視線を向けてしまっていると、キノカは静かに首を横に振る。その顔は作り笑いにすらなっていなかった。


「いっそのこと恋人じゃなくて兄妹にして欲しいって、先輩に頼まれたんだ。先輩の頼みなんて、ボクが断る訳ないじゃない。だからボクは二人の記憶を改ざんしたんだ。恋人じゃなくて兄妹なんだってね」

「…………俺の記憶も、実は改ざんされてるだけだった、のか?」


 ミズキは記憶喪失のはずだ。キノカの話だと記憶を改ざんされただけということになってしまう。思わず眉間にしわを寄せるミズキに、キノカは小さく「待って」と言った。


「あーっと……それは違うよ。最初は改ざんしたけど、ミズキさんの記憶を消したのはそのあとのことだから」

「そのあと……?」


 コクリと頷き、キノカはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「ミズキさんが先輩から逃げ出して、一人で彷徨ってる時、ボク……偶然会ったんだ。妹の寿命がなくなっちゃうって、ミズキさんボロボロで」


 キノカの声が微かに震える。最初はハチャメチャな設定を持ってきたなと呆れたが、どうやら何だかんだ即興劇には慣れているようだ。静かに頬を伝う雫を拭ってから、キノカは二人を交互に見つめる。


「…………結局、恋人でも兄妹でも同じだったんだなって。悲しみには耐えられないんだなって。だったらもう、悲しみ自体をなくせば良いと思った。だから……」


 ――だからボクは、ミズキさんの記憶を消したんだ。


 ほとんど消え失せそうなほどに小さな声で、キノカは囁いた。透かさず、ひまわりが立ち上がってキノカの背中に手を伸ばす。しかし、それよりも早く席を立ったのはキノカ自身だった。


「ごめんっ! 全部ボクが間違ってたんだ。こんなの本当の形じゃない。二人は恋人同士なんだ。寿命だって、ボクのメモリーを差し出せば伸びる。最初からそうすれば良かったんだっ」


 謝って、悔やんで、顔を歪めて、叫んでいる。

 まるで全部自分が悪いかのような言動をするキノカの姿など、見ていられなかった。気付けばミズキは、ひまわりよりも先に動き出していた。


「それは駄目だ!」


 声を荒げながら、キノカを睨むようにして見つめる。

 心の中で何かが燃え上がるのを感じた。キノカは何も悪くないし、キノカが自分の寿命を差し出すのも間違っている。そうじゃない。そういうことじゃないのだ。キノカが苦しむことなんてないし、ひまわりをこれ以上苦しめたくない。

 動かなければいけない人物はただ一人。一度逃げ出した最低な自分だ。


「キノカさん、色々とありがとう。でも、動かなきゃいけないのは俺だから」


 言い放ち、ミズキはひまわりと視線を合わせる。

 すでにひまわりは放心状態で、瞳は赤らんでいた。ミズキはなるべく優しく微笑みかけて、小さく息を吸う。


「ひまわり、デートをしよう。兄妹で遊びに来たんじゃなくて、ちゃんと恋人として。もう、後悔したくないんだ」


 勇気を振り絞ってはっきりと伝えると、ひまわりは瞳に溜めた涙を零しながら頷いた。やがて、耳を澄まさなければ聞こえないような小さな声で「ありがとう」と呟く。


 ここからミズキとひまわりの新しい物語が始まる。


 そう。

 ――まさかの恋人編の幕が上がるのであった。

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