2-2 壊される設定
「先輩」
少女の第一声に、ひまわりは瞳を大きくさせる。
きっと、想像とは外れた言葉だったのだろう。正直、ミズキも驚いた。少女はどう見てもひまわりよりも背が高いし、大人びて見える。それに、ひまわりはアンドロイドだ。アンドロイドの後輩ということは、もしかして……。
「ボクだよ、キノカだよ。……思い出した?」
キノカと名乗る少女は、一歩、また一歩とひまわりに近付いていく。
まず一人称が「ボク」であることに驚くが、それ以上に堂々とひまわりに迫っていく姿に感心してしまった。きっとこの子は即興劇に慣れているのだろう。今でも緊張が止まらないミズキとは大違いだ。
しかし、
「…………キノカ、久しぶりだね」
キノカ以上に驚いたのは、ひまわりの対応だった。
目を伏せ、長い沈黙のあとにようやく絞り出したような低い声。普段の妹感満載の甘さとは正反対の、冷静な声色だった。
「ひまわり。ええと……知り合い、か?」
恐る恐る訊ねると、ひまわりは小さく頷く。
やはり、さっきまでの元気はないようだ。弱々しく笑って見せてから、そのまま俯いてしまう。
「ありゃ、ミズキさんは何も思い出せない感じ?」
「さっきから思い出したとか何とかって、いったいどういう……」
一人だけ置いてきぼりにされている感覚で、ミズキは混乱してしまう。
相変わらずひまわりは下を向いたまま何も言わないし、どうやら頼れるのはキノカだけのようだ。
「……そう、だね。まずはちゃんと説明しないと何も始まらないよね」
はは、と苦笑を浮かべるキノカ。
自然と、ひまわりとミズキの視線はキノカに集中する。すると緊張したように瞬き多めになるが、やがてキノカは覚悟を決めたように見つめ返した。
「ボクは先輩を……二人を、救うために来たんだよ!」
「……救う、ため?」
話の流れがまだ把握できないミズキは思わず首を捻ってしまう。キノカは元気良く「そう、救うため!」と返事をし、説明を始めた。
どうやらミズキが感じた「もしかして」は正解だったようで、キノカもアンドロイドなのだという。「先輩」と呼ぶほどひまわりとは親しい仲で、だからこそキノカはひまわりを救いたいと思った。
「だからボクは、ミズキさんの記憶を消したんだ」
「……………………え?」
一瞬、ミズキの反応が遅れる。
あまりにもさらりと衝撃の事実を口にするものだから、上手く反応することができなかった。
(ひまわりを救いたいから、ミズキの記憶を消した?)
心の中で整理しようとしても、やはりまったく理解ができない。ミズキはただただ唖然としてしまう。
「それと、ね。ボク、先輩の記憶も改ざんしたんだ。……いや、改ざんしてた……って過去形で言った方が良いのかな? ボクと再会すれば元に戻るようにしてあるから」
「…………ええ、そうね」
まるで真柳日夏のような返事の仕方をするひまわりに、ミズキは最早思考停止したように固まってしまう。「ちょっと待ってください一度話をまとめなくては」と頭を回転させるミズキに、キノカがとどめの一言を放つ。
「二人は……兄妹じゃないんだよ。本当は、恋人同士なんだ」
――えっ?
と、驚くことすらできなかった。
何も考えられないまま時間が過ぎ、
(こ、この子……いきなり兄妹設定をぶち壊してきたんですかぁ……っ?)
時間差で、頭の中は大混乱になる。
声に出して驚かなかっただけまだマシで、ぶっちゃけ頭を抱えたい気持ちでいっぱいだ。
キノカはミズキの記憶の鍵を握っている。
きっとこれだけなら物語を動かしそうな新キャラが登場したな、とポジティブに捉えられるだろう。ひまわりやミズキのことも理解してくれていて、キノカ――を演じている人はちゃんと研究してから臨んでくれたのだとわかる。
しかし、まさか最初に築き上げた兄妹設定を崩されてしまうだなんて。
いくら何でも踏み込みすぎじゃないのか? と思わなくもない。でも、ひまわりならもしかしたら、この状況を乗り越えてくれるはずだ。
「こ……ここっ……」
――と、思っていたのだが。
「こいびと、どう……し…………?」
「あれ、先輩はもう思い出してるんですよね?」
「…………思い出してる、わよ」
赤い。完全に赤い。赤すぎる。
兄妹設定が飛んでいって恋人設定がこんにちはした瞬間に、ひまわりの透き通った薄卵色の頬が紅潮してしまった。
「もうっ、あなた馬鹿じゃないのっ! いったい何がしたいのよっ!」
最早、ただの本音がだだ漏れである。
半分涙目になってキノカを指差すひまわりに、キノカはやれやれと言わんばかりに腰に手を当てた。いやいや、やれやれじゃないですよ、と心の奥に潜む透利が突っ込みを入れる。
「キノカさん、ちゃんと説明してください。記憶喪失の俺が言うのも何ですが、ひまわりのキャラが迷子になってるんですよ」
「キャラが迷子とか言わないで」
一瞬だけ、ひまわりはミズキを睨み付ける。しかしすぐに咳払いをして、
「でも残念ながら、もう妹だった頃の私は戻ってこないわよ。ただキノカの意図がわからなくて混乱してるってだけで、ちゃんと思い出したから」
と囁いた。
つまりは、キノカが持ってきた恋人設定を完全に受け入れたということらしい。思わず口を半開きにするミズキだが、ふと思い立つ。ミズキだって、今からでも「だんだんと思い出してきたかも」などというセリフを言えば良いのだ。
そうすれば、ひまわりを恋人と認識した状態で物語が進むことになる。むしろ、記憶喪失設定から抜け出すのは今がチャンスなのだ。
だから、ミズキは今すぐに乗っからなくてはいけなかった――の、だが。
「ごめんごめん、ちゃんと説明するよ。そこのカフェにでも入って、ゆっくり話そう」
どうやら、そのチャンスは逃してしまったようだ。
キノカのアイコンタクトにひまわりが頷き、スマホを弄り出す。
カフェまで移動するから一度放送を切るのだろうか? と思ったがそうではないらしく、場面転換中はCMを流すことができるらしい。それは知らなかった、じゃない。というか二回目なのだからもっと調べておくべきだったんじゃないの?
――みたいなジト目を、移動中のひまわりにずっと向けられていた。
たはは……、と心の中で苦笑しながら、ミズキは密かに反省するのであった。
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