1-5 エンディングまで、一緒に。
「ええと……。あ、そういえば気になったんですが、ピンクって使う人いるんですか?」
必死に絞り出した話題を振ると、日夏は何故か不機嫌そうに片眉を上げた。
「使う人はいるにはいる。ただの出会い厨だけど」
「……で、であい、ちゅう?」
「そう、出会い厨」
予想外のワードに、透利の頭の中は本日何度目かのクエスチョンマークが飛び交う。
日夏が言うには、ピンク=出会い厨と言われていて、最近では厄介な印象を持たれているらしい。恋愛を含めたいなら劇団で、というのが暗黙の了解で、基本的にピンクは使わないものらしいのだ。
「十八歳になってからはそんな人ばかりに目を付けられてたから。……だからピンクは嫌い。滅びれば良いのに」
「……すみません」
悪態を吐く日夏に、透利は反射的に頭を下げる。日夏は謝る意味がわからないように首を傾げているが、先ほどの演技を思い返すと謝らずにはいられなかった。
「ホントの妹だと思い込んでいたとは言え、距離が近かったり、頬を引っ張ったり、していたので……」
思い出すだけで顔が青ざめるのを感じる。あれは演技だから、本来であれば気にすることはないのだろう。でも、頬を引っ張った時には怒りが見え隠れしていたような記憶があるし、初対面ではありえない瞬間が多すぎた。
「ふぅん」
なのに、日夏はまだ首を捻っている。それどころか、
「そんなの、気にしなくても良いのに」
と、さらりとした返事をされてしまった。
「えっ、と……?」
戸惑う透利の瞳を覗き込むように、日夏は前のめりになる。緋色の瞳から逃げたくなくて、気付けば身動きが取れなくなっていた。
そんな透利を置いていくように、日夏は言葉を重ねる。
「透利さん……いや、年下だから透利くんって呼んだ方が良いか」
まるで独り言のように囁いてから、日夏は優しく微笑んだ。
本当に、不思議な人だと思った。ひまわりの時とは正反対で、真柳日夏という人間は恐ろしくクールな性格の人だと思い込んでいた――のに。今では違った印象を抱いている。確かに口調は大人っぽくて、年上の先輩なんだなと思う部分も多い。
でも、結局は自分と同じ高校生なのだ。照れたり、怒ったり、見えてくる感情があまりにもまっすぐで、透利は思わず震えてしまう。
「透利くん。私はあなたと、物語を続けたいの」
その言葉は。声は。瞳は。感情は。
あまりにも熱くて眩しい、炎のようだった。触れたら火傷しそうな灯火に、透利はただただ視線を奪われる。
――頷いたら、その炎は自分にも灯るのだろうか?
知らなかった感情が身体中を駆け巡る。
これは本当に自分なのだろうか? と疑問に思うほど、胸が高鳴るのを感じた。真新しいことに手を伸ばすなんて、自分にとってはとてつもなく怖いことのはずなのに。一歩、また一歩と日夏に――即興シネマパークに、心が近付いていく。
もう、後戻りなんてしたくないと思った。
「日夏さん」
「……そんな顔もできるんだね」
ふふっ、と日夏は楽しそうに笑う。
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」
「……それで、ちゃんとした返事を聞かせて欲しいんだけど。私、あなたのために丁寧に説明したんだけど?」
「俺と物語を続けたいからですか?」
あまりにもウキウキした様子で瞳を輝かせるものだから、透利は思わず訊ね返してしまう。日夏は一瞬だけジト目になり、不服そうに唇を尖らせた。
「馬鹿」
いじけている日夏の姿は、やっぱりどう見ても年下の妹のような可愛らしさがあった。ついつい「可愛い」と本音を言いそうになったのを何とか飲み込み、透利はへらへらと笑う。何かを誤魔化すためではなく、誰かをからかいたくて「へらへらと笑う」のは随分と久しぶりな気がした。
「そういえば、どうして俺の役名はミズキなんですか?」
思わず話を逸らすと、日夏は俯きがちにぼそりと呟く。
「ひまわりが花だから、あなたは水でミズキ。……それだけ」
「……なるほど……」
適当に付けたのかと思っていたミズキにもちゃんと意味があって、それがアドリブから生まれた名前だという事実にもまた、心が震えた。
――この人となら新しいことにチャレンジできるかも知れない。
「日夏さん。一緒に、物語の続きを創りましょう」
自分の口から溢れ出る言葉に、自然と胸も躍り出す。
物語だけじゃない。きっとここからすべてが始まるのだと透利は思った。
須堂透利。物語の中での名前はミズキ。
真柳日夏。物語の中での名前はひまわり。
ミズキは長い階段からド派手に転んで記憶を失った。……という認識があったが、あれはまったく関係ないただの放送事故での出来事だ。というよりも、階段から落ちるまで追い詰めた挙句、あのまま演技を続けようとしたあのおっさん三人は本当に酷かった。次にひまわりと出会えていなかったら、今頃どうなっていたことだろう。考えるだけでも恐ろしい。
ともあれ、ミズキは寿命の少ないひまわりから逃げ出し、何らかの原因で記憶喪失になった。半年後に二人は再会し、これからは逃げないとひまわりに誓う――というのが、ここまでの話の流れだ。
ミズキは何故、記憶喪失になったのか。本当に、ひまわりの寿命は一年後に尽きてしまうのか。様々な疑問が浮かんだが、それは今相談すべきことではない。その場で解決していくから面白いのだと日夏は得意げに笑った。
「じゃ、そういうことだから。……ん」
やがて、日夏はスマートフォンを取り出しながらアイコンタクトを飛ばしてくる。これから一緒に物語を創っていく訳だから、連絡先を交換しようということだろう。すぐに理解した透利は、さも当然のようにガラケーを取り出した。
「ネタじゃなくて本当にガラケーだったの……」
軽く引きながら、「SNSでの宣伝も重要なのに」などとぶつぶつ文句を言う日夏。透利は思わず、俯きながら「たはは」と力なく笑ってしまった。いつもの癖だ。いけないいけないと思いながら顔を上げると、そこには想像以上に近い日夏の顔があった。
「……言ったでしょ」
「え、っと……。何を……」
「あなたは面白い人だと思うって。つまり、その……馬鹿にしてるとかそういうことじゃなくて。透利くんは自分を曲げない性格なんだと思う。だから私は行きたいって思うの。エンディングまで、一緒に」
早口で言い放ってから、日夏はすぐさま視線を逸らす。
ひまわりを演じている時の日夏は、守ってあげたいような笑みをしていた。でも今はどうだろう? さっきから引っ張ってもらってばかりだった日夏は、俯いたまま顔を上げようとしない。
そんな日夏を見ていると、「頼りたい」とも「守りたい」とも違った感情が駆け巡った。
「……一緒に……」
自分はこの人と、一緒に協力しながら歩んでいくのだ。
そんな当たり前のことが、透利にとっては嬉しくてたまらない。
「そっ、そうだよ一緒に頑張るのっ。それはそれとして、そろそろ帰るね! またね、お兄ちゃんっ」
ようやく顔を上げてくれたと思ったら、日夏は急にひまわりになった。
顔はやっぱり赤くて、恥ずかしさが限界に達したのだと察する。即興シネマパークの中じゃないのにひまわりを演じるのは恥ずかしくないのか、とも思ったが、それを聞くのは野暮な話だろう。
透利も何とかミズキだった自分を思い出しながら返事をする。
「はい。……あ……お、おう。またな、ひまわり」
とりあえずは、反射的に敬語が出てきてしまうのをどうにかしなくてはいけないようだ。透利は心の中でそっと「たはは」と笑うのであった。
***
今日は、まるでジェットコースターのように目まぐるしい一日だった。
言ってしまえば、即興シネマパークについて何も調べなかった透利に問題があっただけの話なのだが。まぁ、調べていたとしても「真柳日夏」という人物に巡り会っていなければ、今まで何も変わらなかったのだろうと思う。
「父さん、母さん。……聞いて欲しいんだけど」
その日の夜。家族三人で食卓を囲んでいると、透利は自然と口を開いていた。いつもだったら「やっぱり俺には無理だったよ」と呟くのがお決まりのセリフだ。
でも、今日は違う。
「即興シネマパークなんだけど。……もう少し、続けてみようって思うんだ」
まっすぐ両親の瞳を見つめながら、透利は今の気持ちを告白する。
「そうか」
父親から帰ってきた言葉は、思ったよりも素っ気なく感じるのかも知れない。
でも、そうではないのだと透利にはわかってしまうのだ。全然隠し切れていない微笑みを漏らして、同じく嬉しそうに笑う母親と目を合わす。
――あぁ、そうか。……そういうこと、なんですね。
自分の心の奥底が温かくなっていく。
変わることは決して悪いことだけではないのだと、透利はひしひしと感じるのであった。
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