第17話:うちの神様


 結局その後、俺が何か言う前に<空乃ステラ>は転移してどこかへと消えてしまった。


 残された俺は混乱のまま、VR空間アルタからログアウト。


「どういうことだよ……なんなんだよ!」


 自室で、俺はそう叫ぶ他なかった。


 光岡さんが只者ではないことは分かっていた。だけども……まさかあの<空乃ステラ>だなんて想像もしていなかった。


 しかも、対になれだって?


「どういう意味だよ……くそ」


 今になって、あの柔らかい感覚と甘い女性特有の匂いが蘇ってくる。


 汗ばむ感覚。鼓動がいやというほどうるさい。


「だめだ……頭がぐちゃぐちゃだ。こういう時は……」


 俺はデバイスのお気に入り機能からすぐに動画を再生する。


 そこには、今日配信されたばかりの<紫竜ひめの>の可愛らしい姿が表示されていた。


「はあ……可愛いなあ……」


 ふう……頭が冴えてくるし、声を聞いていると本当に落ち着く。

 やっぱり医学的になんか効果があるんじゃないか……?


 そう思いながらも……チャンネル登録登録者数が五百人を超えたことを喜ぶ<ひめのん>の姿を見て、複雑な心境に陥る。


 今のままでは……夏までに三千人なんて無理じゃないか?


 光岡さんに言われた言葉が、こびり付いて離れない。


「いや、そんなことはない! みんな気付いていないだけだ。見てくれさえすれば、きっと評価される」


 そうに違いない。


 そうだと……信じたい。


「大丈夫だ。ダンスだって始めたし、ASMRには一定数に需要がある」


 でも……ダンスだってそんな数ヶ月で劇的に上手くなるものではない。ASMRは専用のアプリやら機材が必要だ。ただの学生である竜崎さんにどこまで準備できるか分からない。


 きっと事務所に所属していれば、すぐにでも用意してくれるのだろうな。


 もし。

 もし夏までには間に合わなかったら。


 竜崎さんは、来年まで粘るのだろうか。


 俺はそう信じてる。だけど、リスナ―達はどうだろうか。あの<粗相団チャンネル>の団員達だって今は面白半分でついてきてくれているが、来年までとなると……なんとなくだが、誰も残らない気がする。


「いかんいかん……ネガティブシンキングは病の元だ。前向きに考えないと」


 なんて俺がブツブツ呟いていると、いきなりドアが跳ねるように開いた。


「入るよ」

「うおっ! びっくりした!」


 入ってきたのは、ショートパンツにタンクトップというラフな姿の姉――綾香だった。


「勝手に入ってくんなよ! つーかノックしろ!」

「おんたがブツブツうるさいから大丈夫かなあって。別にナニしてるって分かったら黙って通り過ぎるぐらいの優しさはあるから」

「ナニってなんだよ! つうかしてたらスルーっていうのも優しさではない気がするぞ!」

「うるさいわね一々。相変わらず、ムカつくぐらいに綺麗な部屋。あたしの部屋も片付けてよ」


 姉が俺の話なんて聞いていないとばかりに、俺のベッドへと腰掛けた。無駄に長い足が目に入るが、姉に欲情するような性癖は持ちあわせていないので、ウザいだけである。


「お前の部屋が汚すぎるんだよ。だから彼氏が出来ねえんだろうが」

「馬鹿ねえ。あたしは出来ないんじゃなくて、作らないだけ」

 

 姉がドヤ顔でそう言うが、俺は去年、この姉が数年付き合っていた彼氏と別れて、それ以降彼氏がいないのを知っている。そういえば、あれは何が原因で別れたのだろうか……? 考えてみればあの頃から妙に姉はVtuberを敵視していた気がする。


「アラサーになって必死に婚活してる女性はみんな、若い頃そう言ってたらしいぞ」

「あんたぶっ殺すわよ」

「で、なんだよ。俺は色々忙しいんだよ」

「ふーん、どうやって<紫竜ひめの>ちゃんを応援するかを考えるのに忙しいの? まあ、今の動画内容じゃ。あんたのやり方だとすぐに飽きられるわよ」


 ……へ?


「な、なんの話?」

「――<>の話。あれ、あんたでしょ」


 まってまって、なんでこの人、それ知っているの!?


 俺が<盾野リッタ>だなんて誰にも言っていないのに! まあか幹也叔父さんから聞いた? いやあの人はああ見えて口は堅い。Vtuber業界とはなんの関係もない姉に話すとは思えない。


「なに、〝なぜそれを知っている!? まさか幹也叔父さんから聞いたのか!? いやでもあの人は適当に見えて実はそうではないから、その線は薄い〟みたいな顔をしているのよ」

「どんな顔だよ」

「あんたねえ……他の奴ならともかく、あんたがクソガキの頃からダンスを通して身体の動きをずっと見てきたあたしが見抜けないとでも? 声は上手い事は変えてあるけど、動きや身振り手振りがまんまあんたじゃない。ママも、〝あらあ、りっちゃん可愛くなっちゃって~。うふふ、りっちゃん用に今度女物のお洋服買ってこようかしら~〟なんて言っていたわよ」

「おかんにもバレてる!? そして違う方向に誤解されてる!」


 女装癖とか女になりたい願望とかそういうのじゃないんです!!


「ま、でも気付くのは家族ぐらいで、心配しなくても真姫ちゃんにはバレてないよ。あたしから言うつもりもない」


 当たり前だよ! バレたら死んじゃうよ!


「ま、とにかくさ、あんたが何をどうしようと好きにしたらいいけど、真姫ちゃんを泣かしたらぶっ殺すからね」

「……えらく気に入ってるな」

「あの子はいい子だし、あんたが惚れるのも分かるわ~。だからちょっとだけあんたのこと見直した。中々女作らないから拗らせて変な女連れてきたら八つ裂きにしてやろうってママと言っていたけど、あの子なら安心」


 八つ裂きが冗談に聞こえなくて怖い。


「余計なお世話だよ……分かったらもう放っておいてくれ。竜崎さんのダンスについては任すから……」

「うーん。その件なんだけども、あの子運動神経は悪くないけど、どれだけ努力しても辿り付くのは中の上ぐらいね。はっきり言うと、見せられるレベルまではもっていけるけど、レベルまでは無理って感じ」

「……そうか」


 俺もそうだし姉もそうだが、長年ダンスをやっているだけにその辺りに対する考えはシビアだ。


 努力だけで補えない世界がある。センス、才能……そういう類いの何かを持っていないと、一定以上からは上がれない。


 そういう、世界なのだ。


「ま、でも、そこらの凡百よりはマシな出来にはしてあげる。でも、それだけ」

「……うーん、ダンスだけじゃなあ」

「あの子声が良いから、声優とか歌とかそっち系の方が良いんじゃない? ASMRだっけ? あれをやりたいって休憩の時に言っていたわよ」

「専用のアプリとか機材がいるんだよなあ……素人には中々難しい」

「……専用の、ねえ」


 なぜか姉が難しい表情を浮かべる。


「ねえ、一つ提案」

「なんだよ」

「あんたらさ、?」

「……はい?」


 何を言い出すんだ?


「別に、ソロである必要はないんでしょ? アイドルだってコンビもいるしグループもいる。あんたは歌は絶望的に下手くそだけど、喋るのは上手いしダンスだってプロレベル。あの子はちょっと天然なところあるし、喋るのは苦手そうだけど、声もいいしきっと歌も上手よ。お互いにないものは、補えばいい。二人が並んだ画は……中々素敵だと思うけど?」


 それは……確かにそうかも。アバターのデザインだって綾瀬さんによれば関係性があるらしいから、きっとそうなのだろう。


 まさか、あの豆腐はそこまで見越して……? いやまさかな。


「……でも、俺はともかく向こうはきっと嫌がるよ」

「なりふり構ってる場合じゃないと思うけどね。夏までに三千人、でしょ? 今のままじゃ無理だよ。でも、二人が力を合わせれば――いけるかもしれない」


 姉がそう言って立ち上がった。


 つうかなんでこの人、こんなにこっちの事情に詳しいんだよ……色々察しすぎだよ……。


 ほんと、この人には勝てないな。


「じゃ、まあそういうことで頑張りな」


 姉が去ろうと背を向ける。


「おう。でも、姉さん。Vtuberキライなのになんでそんな協力的なんだ」


 俺が思わずその細いけど、引き締まった筋肉が見える背中へと問いかけた。


「――今日ね、真姫ちゃんに、なんでVtuberなんかになりたいの? って聞いたんだけどさ。あの子、なんて言ったと思う? 〝空乃ステラに勝つ為です〟……よ? あたしもう爆笑しちゃって」

「笑うなよ。本人は真剣だぞ」

「違うわよ、嬉しくて笑ったの。だからね、あたしはあんたらに全面的に協力することに決めた」

「は? なんで?」


 俺がそう言うと、姉は綺麗にターンを決めてこちらを向くとこう言い放った。


「だってあたし――<空乃ステラ>が


 その顔には、なんとも妖艶かつ恐ろしい笑みが浮かんでいたのだった。


 あの絶対無敵最強な姉がここまで嫌いと言ってのけるなんて……。何があったかなんて怖くて聞けない。


「というわけで、こないだ合コンで知り合った音響メーカーの男にちょっと話付けてくるわ」


 姉がそう言って今度こそ部屋から出ようとするので、俺は慌てて引き留めた。


「音響メーカーの男? 話?」

「アルタ関連の音響会社に務めているらしくね。そいつならVtuber用のASMRのアレコレ……用意できるんじゃない?」

「あんたは神かよ……」

「あんたが生まれる前から私はこの家の神様よ。崇めなさい」


 手をヒラヒラとさせて、姉は乱暴に扉を閉じたのだった。


 こうして俺……というより竜崎さんは、立野綾香という強力な助っ人を手に入れたのだった。


 この時の会話がきっかけで――俺達は大きく飛躍を遂げることになる。

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