第16話:我が対となれ、と星は言った。


 その日の夜。

 いつものように<紫竜ひめの>について大いに盛り上がった配信のあと、俺はリアルの姿と同じアバターに切り替えて、VRエステライト事務所へとやってきた。


 転移ポートに予めメッセージで送られてきたパスワードを打ち込むと、とある会議室への転移の許可が下りた。


「なんの用件なんだろ……」


 光岡さんと言えば、最初から俺のVtuberのやり方に否定気味だった。今の俺の現状を見て、苦言を呈するつもりだろうか?


「だとしたら、すみませんと平謝りするしかないな……」


 エステライトはこの業界では最大手だが、俺との関与については〝エステライトがこんな回りくどいことをする意味がない〟という謎の信頼を得ていて、あまり疑われなかった。


 なので迷惑を掛けたという感じではないと思うのだが……


 なんて考えている内に転移が終わる。


 そこは小さめの会議室で、テーブルと椅子だけが置いてあるシンプルな部屋だ。


 その奥に、一人の女性が立っている。


 リアルと同じ姿の光岡さんだ。


「すみません、お待たせしました」


 俺が頭を下げると、光岡さんが振り向いた。その顔からは何の感情も読めないが、その振り向く動作だけで少しドキドキしてしまう。


 なんだろう、一つ一つの動作が綺麗というかなんというか。


「いえ、こちらこそすみません、急にお呼びだてして」

「それは大丈夫ですけど……」

「ひとまず……チャンネル登録者数……おめでとうございます。無所属としては最速レベルでしょう」

「ありがとうございます。リアルタイムでチェックしてくれていたんですか?」


 ついさっき二千人超えたばかりなのに、光岡さんもうそれを知っていた。


「私だけではありませんよ。うちの事務所のVtuberもそうですし、他社の者達を皆貴方に注目しています」


 そうなの? それはなんというか……恥ずかしいな。


「おそらく……どこもまだ様子見の段階でしょう」

「様子見?」

「――スカウトのですよ」

「スカウト!? 俺を?」


 なんの話だそれ。


「さっきも言いましたが……無所属かつデビューしてからの短期間でこれほどの話題性を得て、かつチャンネル登録者数を増やした者は他にいません。将来性に期待しておそらくどこの事務所のスカウトチームも、貴方を狙っているはずです――うちを除けばですが」

「大丈夫です、ちゃんと覚えていますよ。どこの事務所にも所属しないって約束」

「その通りです。だからスカウトが来ても……受けないということは分かっています。でも……この条件には一つだけ例外があります」

「例外……?」


 そんなのあったっけ? いや、そういえば叔父がなんやら言ってた記憶があるな。


「社長はこう仰っていましたよ――〝もし万が一、お前が一定レベル以上の人気が出た場合、うちの事務所に所属することだけは許可する。ただしこれも条件付きでな〟、と」

「ああ、言ってましたね。でも、その一定レベルってどれぐらいなんです?」

「今の時点では全く届いていません。エステライトからデビューする新人の、最初の一週間でのチャンネル登録者数の平均は――。少なくともその十分の一……一万人が最低ラインと言ってもいいです」


 十万人って……すげえな。ま、ならどうでもいい例外だ。そもそも俺はここに所属するつもりなんて一ミリもないし。


「ただしそこから増えるか減るかは……本人次第ですが。なので私達から見れば、貴方の活躍も躍進も……何のことはない、些事」


 ……こいつ褒めてるのかケンカ売ってるのかどっちなんだ?


「貴方のやり方では、一万人にすら届かないでしょう。三千人も怪しいところです。貴方が思っている以上に――リスナーの飽きは早い。もし本当に、<紫竜ひめの>を応援したいと思っているなら、今のままでは無理だと断言する」


 まっすぐに俺を見つめる光岡さんのその言葉は厳しいが、真剣さは伝わってくる。


「……分かってるさ。分かっているが、それでも足掻くしかない。俺は……いや<盾野リッタ>は、<紫竜ひめの>と共に三千人を超えて、<燎夏りょうか大祭たいさい>に出場する」

「無理よ。あんたも無理だけど、彼女はもっと無理。どう足掻いても、彼女は千人が良いところね」


 俺が言葉を崩したのを見て、光岡さんがいつか聞いたあの口調になっていた。


「分かんねえだろそんなの! 彼女だって努力してるんだ、それを知りもせずに否定すんなよ」


 俺は竜崎さんの努力を知っている。きっと彼女はもっと努力するだろう。


 俺はその努力が報われてほしいだけなんだ。その為にならなんでもやってる。


「――だから提案。彼女はともかくとして、あんたのチャンネル登録者数とファンを劇的に増やす方法がある」


 光岡さんがスッと目を細めた。


「……一応聞くだけ聞いてやる」

。マネージャーと戦略部の言う通りにやれば、あっという間に十万人、いえあんたなら三十万人も余裕よ」

「はん、何を言うかと思えば。矛盾してることを言うなよ。一定レベルの人気……登録者数一万人だっけか? それを突破してからの話だろ? したとしても、所属するするしないの意思決定は俺にある」

「ええそうね。でもそんなのあんたと社長の間で交わした口約束。いくらでも、どうにでもなる」

「……お断りだ。俺は、<紫竜ひめの>と共に無所属でやるって決めてるんだ。今さら事務所に入るなんて選択肢はねえんだよ」


 なんだよ、結局スカウトしたいってだけじゃねえか。


「あんたは何も分かってない。<紫竜ひめの>とあんたでは話が全く違う。彼女は無所属に、ならざるを得なかった。でもあんたは自ら、無所属を選んだ。この二つの差は……時が経てば経つほど埋められない溝になっていく。そして、もう一つ……<紫竜ひめの>が……どうするつもり?」

「なっ……それは……」


 待て待て! その可能性は一ミリも考えてなかった。


 だがもし、光岡さん、いやが俺をこの事務所に入れたいと考えているなら……攻めるなら俺ではなく<紫竜ひめの>であると気付いてもおかしくはない。


「あんたはきっとこの事務所に入るでしょうね」

「いや……でも」

「簡単な話よ。あんたがうちの事務所に入る。すると、チャンネル登録者数も劇的に増える。つまり、それだけ<紫竜ひめの>のことを応援と宣伝できるってことよ。ねえ、あんたがVtuberになった理由はなに? 彼女を応援するにはリスナーのままでは難しいと感じたからでしょ? それと一緒。無所属のままでは難しい、と言っているの」

「それは……」

「あんたがうちに所属し応援したら、<紫竜ひめの>の人気もきっと上がるわ。そうして彼女の登録者数が一万人を超えたら――うちにスカウトすればいいわ。これで全ては解決する。後は万全のサポートの下、好きに活動すればいい」


 ……その話は正直魅力的だ。

 

 だけども、やはり気になることがある。


「――その話は分かる。だけども、まだ肝心なことを聞いていないな。それは……誰の思惑だ? 誰がそれを求めている。別に俺や<紫竜ひめの>なんてこの事務所にとってはどうでもいいことだろ? ここまでの話はあくまで、こちら側の都合、つまりいかに俺達の人気を出すかって話だ。はっきり言うけども、あんたの言う提案にそっち側のメリットがねえんだよ、だから信じられないし、話に乗る気もない」


 俺が一気にそう言いきると、光岡さんがフッと表情を緩め、微笑んだ。


 不覚にも、恋に落ちそうなほどに魅力的な笑顔だ。


「それもそうね。ふふふ、私ってそういうところ、ちょっと抜けているのよね。まあそういうところが愛されている部分だって、社長は言うけども」


 ――光岡さんの雰囲気が激変する。


 誰だこの人は。


 なんだこの人は。


 俺はゾワゾワと鳥肌が全身に立つのを感じた。


 いや、俺は知っている。この人を――知っている。


 俺はこの人を――画面越しだが見たことがある。


「別に、隠すつもりはなかったんだけど……話しやすいかなって。でも確かに君の言う通り。だから私も……本音を言うね」


 光岡さんがそう言って、指をパチンと鳴らした。その小気味よい音が鳴ると同時に、彼女の姿が光に包まれ――


「初めまして、立野律太君……いえ盾野リッタちゃん。私は……空乃ステラ」


 俺の目の前には――レジェンドと呼ばれる、Vtuberのトップオブトップ、空乃ステラが立っていた。


 そうして光岡さん、いや、<空乃ステラ>は俺の首に腕を回して抱き付いてくる。


「あ、ちょ!」


 動揺してドギマギする俺。


 そんなことは知らないとばかりに彼女は耳元で、こう囁いたのだった。


「――君には、。その、資格がある」


 それは何とも――甘い毒のような言葉だった。

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