第3話:えんぴつ広場にて
翌日。
教室でチラチラと竜崎さんを盗み見るも、目がちょっと赤く腫れぼったくなっている以外は、普段と変わらなかった。だけども、その心中を察するに余りある。
今でも、あのコメント欄を思い出すだけで怒りが混み上がってくるほどだ。
昼休みになると、俺はタブレットで何度確認したか分からないメッセージアプリを消して、立ち上がった。
「どうしたんだよ、急に」
いつもテストで赤点すれすれの低空飛行を共にする悪友、
「やっぱりちょっと行ってくる」
「まてまて、珍しくVtuberのオススメ聞いてきたのはお前だろ。やっぱりってなんだよやっぱりって」
そう言って、田中はタブレットの画面を俺に向けた。そこには、とんでもない再生数を誇る一人のVtuberが映っていた。
名は――<空乃ステラ>
正直言えば、パッと見はそんな人気が出るような感じではない。Vtuberというと奇抜な格好をしているイメージだが、画面内で楽しそうにお喋りする彼女は、学校の制服風のデザインの服を着ていて、髪色は薄いブルー。
綺麗というより可愛い系の見た目だが、クルクルと変わる豊かな表情は嫌でも目を引く。その所作一つ一つが何か引力めいたものを発しているような錯覚。
そのコメント欄は昨日の<紫竜ひめの>の配信とは比べ物にならないほど多く、そして恐ろしいほどに盛り上がっていた。
「やはりまず知るべきはVtuberのレジェンド! まさに元祖にして頂点! Vtuberの歴史は、彼女以前、以後で分かれるほどだ!」
「悪い、その話また聞かせてくれ!」
俺はなぜかいてもたってもいられずに、教室を飛び出した。
竜崎さんなら多分中庭にいるはずだ。彼女はいつもそこでお弁当を食べて、その後読書をしている。
うちの学校の中庭には、なぜかは分からないが巨大な鉛筆のオブジェがいくつも並んでいて、そのためか生徒達からは〝えんぴつ広場〟と呼ばれていた。そんないくつかある鉛筆オブジェの中でも、竜崎さんはいつも赤色の鉛筆の下にあるベンチに座っていた。
俺は教室を飛び出して勢いのまま、彼女の前へと立った。多分一度でも躊躇すれば、話し掛ける勇気が
竜崎さんは俺に気付かいていないのか、目をキラキラさせながらタブレットを凝視しており、脇には〝Vtuberトークスキル術!〟と書かれた一冊の本が置いてあった。
「竜崎さん!」
「っ! た、立野君……!?」
やはり俺の存在に気付いていなかったようで、顔を上げた竜崎さんが上ずった声と共に目を見開いた。
「……隣、いいか?」
「え? あ、うん! どうぞ!」
慌てて彼女が本をどけようとした結果、本がベンチから落ちそうになったので、俺は手を伸ばしそれをギリギリでキャッチ。
「あっ、ありがとう」
「はいよ。竜崎さんって結構おっちょこちょいだな」
俺は微妙に距離を保った位置に座ると、彼女に本を手渡した。受け取った彼女はそれを膝の上へと置く。
俺は、妙に気まずい間に耐えられずすぐに口を開いた。
「いきなり話し掛けてゴメン」
「……うん。大丈夫。ごめんね、メッセージくれたのに返信してなくて」
竜崎さんの声は不思議だが、小さいのにやけに耳当たりが良い。スッと、その言葉が染み込んでくる。
「あ、いや、それは良いんだ! なんつうかその……」
だけども、俺は言おうと思っていた言葉が何も出てこなかった。なぜなら、真っ直ぐ前を向く竜崎さんの顔を見ていると、慰めとか心配とか、そういうのは不要に思えたからだ。
その横顔は驚くほど綺麗で、そこからは悲壮感も焦りも感じられない。
「立野君、配信見てくれたんだね」
「ああ。凄い良かったよ。あのアバター、めちゃくちゃ可愛かった」
「ありがとう! 私もね……気に入っているの」
「衣装も良いし、ドラゴンっぽい感じとお姫様っぽい感じが良い感じに良かった!」
うぐ、なんだか馬鹿っぽいコメントだが、仕方ない。だって俺馬鹿だし。
「心配してくれてありがとう。ほんとはね……あのあと、ずっと泣いてたんだ。感情がぐちゃぐちゃになって、恥ずかしくて悔しくて……悲しくて」
「うん」
「だから、立野君のメッセージは凄く嬉しかった。本当に本当に嬉しかった。だから、直接お礼を言おうと思ったけど……その……なんだか急に恥ずかしくなっちゃって」
そう言って竜崎さんは俯いた。その頬は微かに赤くなっている。しかし彼女はゆっくりと顔を上げると、まっすぐに俺を見つめた。
春空を映すその透明な瞳に、思わず吸いこまれそうになる。
「立野君……ありがとう。私、頑張るね」
「お、俺も絶対に見続けるから! チャンネル登録もしたし! あのコメント欄だってきっとその内良くなるって!」
俺は思わず顔を逸らしてしまう。あんなもんずっと直視してたら、好きだって言ってしまいそうになる。
「大丈夫。ステ様だって、最初はそうだったもん。Vtuberなんてくだらないって馬鹿にされてた」
再び前を向いた竜崎さんの目にキラキラとした光が宿る。さっきまでは青空だった瞳に星が瞬いていた。
「ステ様?」
「そう! 立野君知っている? <空乃ステラ>! 元祖にして頂点! ずっとマイナーで小馬鹿にされてたVtuberを今の地位に押し上げた立役者だよ! 今はこの業界最大手の事務所<エステライト>を立ち上げて後輩達のサポートに徹しているけども、たまに行う配信やライブは行われるたびに色んな記録が更新されるんだから!」
「あー、名前だけはさっき聞いた」
うん? でもエステライトってどっかで聞いたことあるな。あれは確か……。
「動画もアーカイブあるから見てみて。ステ様は凄いから。歌もダンスもトークも全部全部凄いんだから」
遠くを見つめる竜崎さんは、もはや恋する乙女を通り越して、神に祈りを捧げる聖女のように俺には見えた。
「私もステ様みたいに輝きたい。引っ込み思案で、恥ずかしくがりやな自分を変えたい! そう思ったからVtuberになる道を選んだ。向いてないのは分かってるよ。それでも、きっとステ様だって最初はそうだったはずだもん」
「憧れ、か」
俺にはその気持ちが痛いほど分かる。だけども……憧れは夢の動機にはならないことも、痛いほど知っている。少し右足が疼いた気がして、俺は竜崎さんに気付かれないように、右足で地面を押すように力を入れる。
「だからね。私も一から始めて、一から這い上がる。無所属だけども、後悔はないよ。私、喋るの苦手だし、運動も全然できないから事務所のオーディション受けても絶対に落ちるしね」
「そうか? 今、<空乃ステラ>の話をしている竜崎さん、凄く喋れてるし、輝いているよ」
「えっ!? ほんと?」
驚いたようなその声が、綺麗にえんぴつ広場に響いた。
「うん。声も良く出てる」
「……そうか。私、誰かとステ様の話をしたの初めてかも……ごめんなさい。なんか一人で喋っちゃって」
「いや、全然いいよ! 俺も色々聞けて嬉しいし!」
好きな物を語る時って、なんで人はこうも綺麗に見えるのだろうか。俺に、これほどの熱意で語れるものはあるのだろうか。
なんて考えていると、竜崎さんが再び俺の方を向いた。
「立野君は優しいね」
「そ、そうかな?」
俺を見て、竜崎さんは小さく、本当に小さくだけど、微笑んだのだった。その笑顔は、俺を恋い焦がすには十分なほどの破壊力を秘めている。
ああ……この人はなんて可愛いんだろうか。
「ふふふ……うん、あのコメント欄の中で応援してくれたぐらいだもん」
「これからもし続けるぞ」
「ちゃんと、見てるからね」
その言葉が、なぜか何より嬉しかった。竜崎さんはちゃんと俺のコメントを見て、そして俺だと分かってくれていた。
「立野君だけに言うけどね。私、目標があるの」
「目標?」
「そう。この夏にある、Vtuberの一大イベント<
「へー、そんなイベントがあるんだな。それに出ることが目標?」
「そう。でもね、無所属Vtuberは出場資格が必要となるの」
「条件があるのか」
俺がそう気軽に聞くと、竜崎さんは何の感情もこう言い放った。
「その条件はね、チャンネル登録数……
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