第2話:嵐

 VR空間アルタ――動画撮影・配信サイト〝Dチューブ〟


 俺はその日の夜、自室でソワソワしながら竜崎さんのデビュー動画を、今か今かと待ち侘びていた。


 VR自体にさして興味ない俺はアルタにダイブするアカウント持っていないので、PCデバイスでリアルからの視聴になる。要するに、昔の人がPCのモニター越しに見ていたような視聴スタイルだ。


 Vtuberも、人気になってDチューブでの権限が増えると、リスナーをVR観客として招き入れることができるステージ配信を行える。しかし新人である竜崎さんは、予め取った動画かもしくは生配信を画面越しに行うことしかできない。


 つまり、アルタにダイブしたところで結局画面越しにしか見えないのだ。だから俺はダイブアカウントを作らずこうして普通のアカウントで見ることにしたのだ。


「お、この待機所ってので待っていればいいのか?」


 俺はようやく見つけた、『初めまして、紫竜ひめのです!』というタイトルの動画を見つけてURLをタップした。


 すると画面は真っ黒のままだがコメント欄は表示されており、なぜかそこにはコメントがびっしりと書き込まれていた。


「おお、すげえ注目されてるじゃん! ってなんだ……これ」


 しかしコメント欄をよく読んでみると――


***


・まーた無所属ちゃんだよ。情弱多いなあ

・お前ら嗅ぎ付ける早すぎwww

・どんなアバターかな? まあどんなんでも叩くけど

・お前らちゃんと無所属か確認してから書き込めよ

・ほい、これ主要事務所の今日の配信スケジュール→https:*********

・有能乙

・やっぱ無所属だな。

・大型新人のゲリラ配信かも? こうして俺らも集まっているし

・リスク高すぎだろ。デビューでコケたら、その後もヤバいし

・炎上狙いじゃね?

・どっちにしろギルティじゃねえか


***


「なんじゃこりゃ」


 そこに書かれていたコメントには、とてもじゃないが応援しようという雰囲気はなかった。


「なんだよこれ、なんだよこれ! 無所属ってなんだよ! なんでこいつら、見てもいないのに叩こうとしてるんだ!?」


 怒りが湧いてくる。せっかく竜崎さんがデビューしようって言うのに、なんでこいつらはそれを馬鹿にするような書き込みが出来るんだ!?


 すると、動画が突如始まった。


『は、初めまして……し、紫竜ひめのです』


 モニターに映ったのは、とても可愛らしい少女だった。お姫様のようなドレスは胸元が大胆に開いていて、上品な紫色と白が基調となって竜崎さんと同じ綺麗な黒髪ロングが良く映えていた。頭にはドラゴンみたいな角が左右に映えていて、背中に小さな羽根が、スカートの裾からはトカゲのように鱗の生えた尻尾を覗かせていた。


 竜とお姫様をハイブリッドさせたような、そのファンタジーっぽい見た目はとても素敵だった。竜崎さんの面影が残る小顔も、そこらのアイドルに負けないぐらいに可愛い。


 正直に言おう。コメントに対する怒りなんて、竜崎さん……いや<紫竜ひめの>の前では全部吹き飛んでしまった。


「……すげえ」


 そんな言葉しか出て来なかった。竜崎さんが可愛いのは知っているが、何というかそれを更に垢抜けさせたような感じだ。少なくとも、俺の知っている竜崎さんは決してこんな不特定多数の前で喋るのが好きだったり得意だったりする子ではない。


「Vtuberってすげえ」


 人は変われると、誰かが言った。でもそれは言うほど簡単なことではない。持って生まれた容姿を変えるのには、多大な金と労力が掛かる。中身を変えようと思えば、もっと難しい。


 だけど、Vtuberは違う。ほの少しの勇気と、努力があれば――人はこんなに変われるのだ。 


 だけども、その衝撃も感動も――コメント欄が全て掻き消していった。


***


・おーい、マイク入ってますか~

・声ちっさ

・やる気あんのかよ、パンツぐらい見せろや

・どうせ、クソブス陰キャ女だろ

・今はボイチャの性能良いから中年キモオタの可能性も

・いや、モーションと反応からしてガチ女っぽい


***


『あ、あの、えっと、私は――』


***


・あ、あの、えっと……www

・パンツ見せろって。それで許す。なあお前ら

・それ、規約違反になるから速効BANされっぞ

・↑ばーか、それ狙いだろ

・あー、そういえば東雲ライカがそれでBANされてたな。せっかく収益化までこぎ着けたのに

・エロ系には厳しいからなあ

・ライ様の動画見たくなってきた

・中華サイトに行けばまだあるぞ

・うrl腫れ

・ほいよ→https:*****

・神かよ


***


『ざ、雑談とか、ゲーム実況とか、あのそういうのを……』


 <ひめの>が一生懸命喋っているが、コメント欄は既に別のVtuberの話題で盛り上がっていた。


「こいつら!!」


 彼女の声が震えている。その顔には笑顔が張り付いているが、俺には分かる。その裏で泣きそうになっている竜崎さんがいることを。


 胸がギューッと締め付けられるような感覚に襲われる。俺は、恥ずかしさと怒りがごっちゃになった感情のまま、コメント欄に文字を打ち込んでいく。


 せめて――俺だけでも応援していることを伝えないと、もう<ひめの>に会えない気がしたからだ。


 俺は竜崎さんが好きだ。だから<ひめの>を好きになったっていいのだ。


 だから――


***


・俺は応援してるぞ!! アバター凄く可愛いよ!

・お、身内キター!

・パパかな? ママかな?

・悪い事はいわん。オーディション受けて事務所入ってからデビューした方がいい

・擁護うざ

・視ね

・アバター可愛いのはまあ同意するがね

・素人にしては、そこそこなのは認める

・マイク音量上げろよクソブス

・↑お前はとりあえず再生音量上げろ。確かに声は小さいが聞き取りやすいぞ


***


『あ、ありがとうございます! 私も可愛いと思ってます! あ、いや、自分が可愛いとかじゃなくて、このアバ……じゃない! えっと!』


 流れが変わった……? と思ったのもつかの間、次々やってくるリスナーによって俺のコメントはあっという間に流れていった。


 コメント欄は誹謗中傷、セクハラとなんでもありの酷い有様だ。


 だけども<ひめの>は僅か一分だけだが、その配信を最後までやり遂げた。


『ま、また明日も配信しますので……みにきてくださいね。そ、それでは皆さんに竜の祝福がありますように』


 その言葉で、<ひめの>は動画を締めた。


 俺はすぐに授業用のタブレットを起動させて、メッセージを竜崎さんに送った。


『動画みたよ! 凄い良かった! 俺、感動したよ! 次も絶対に見るから!』


 それ以上、俺は何も言えなかった。


 その日、深夜まで起きて待っていたが――竜崎さんから返信はなかった。


 俺は……無力だ。

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