鉄も錆びれば赤くなる
鉄は錆びるものだ、と誰かがいった。だから、定期的に錆を落とす必要があるのだと。
今の私の心は、溜まりに溜まった錆が表面を覆っていて、それを落とす時間が必要らしい。私と同い年ほどのうら若きお医者様が、初々しくそう説明してくれた。
そう言われても、私にはピンとこない。料金を払い忘れた最後のガスのように、使い切って最後に残っていた寂しい燃料に頼ってなんとか心療内科というあまり良いイメージもない場所へと足を運んだのだ。お医者様のむつかしいお話を理解するだけのエネルギーはとうに尽きていた。
家へと進む1歩は小さく遅い。そういえば行きにどれだけの時間がかかったのか覚えていない。徒歩以外を用いるという選択肢を検討する力さえ、私にはないのだ。
道中、国道が左右になが~く伸び、信号がとんと見当たらない場所がある。青銅色にペンキで塗りたくられた歩道橋だけが、ここを渡る人の命綱だ。私はその階段をゆっくり上っていく。
——1歩…………1歩…………1歩。
踊り場を無視して、リズムよくゆっくり上る。階段を上りきると、遮るもののない風が私の顔面を殴りつけた。まるで堪え性がない私の足は、せっかくの1段2段を戻ってしまう。それがどれだけ大変なことかは知っているくせに。
ほぼ四つん這いになって最後の2段をリカバリーすると、私は指の腹で手すりを擦りながら対岸へと渡っていく。
先ほどとまったく同じ形をした階段を今度は下っていく。上るより下るほうが大変だ。なぜなら重力は下に向かっているから。私の体重が私の身体を下へ下へと誘ってくれる。さっきよりもリズムを早くすることを余儀なくされ、1歩1歩進むたび、カクンと折れそうな膝に全集中力を注ぐ。これが難しい。1歩でも間違えたら私の身体は地面まで転がっていくのだから。
私は踊り場の目前まで来た。踊り場は妙に長く、越えるには2歩は必要だ。そしてようやく私の足が踊り場を踏みしめた時、私の歩みは止まってしまった。
止めようとしたわけではない。重力に、体重に頼って進んでいた私の身体は、1歩前に踏み出すという重労働を拒んでいた。いや、それは自分の仕事ではないと心底から思っているようだった。
一度止まった足はもう動かない。私は階段に座り込んだ。ああ、これで本当に当分はここにいることになる。見ただけで不健康だとわかる細い足に、同じく細い腕を添えて、私は横を通り過ぎる車たちに目を向ける。しかし、そこにはペンキの剥がれた手すりとフェンスが、鉄格子となって私の視界を遮っていた。
私はペンキの剥がれた手すりを触る。指の腹が真っ赤に染まった。錆びた鉄は、酸素の多い血の色によく似ていた。
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