消える思い出、跡を残さず

 地獄を見た。それはわたしにしかわからない地獄だった。その場にいるだけで、心臓が内側から破かれるような、四肢が付け根からちぎり落とされるような地獄だった。

 喉は限界まで枯れ果て、足は一歩とて動かすことができないほど疲れ果て、ようやくたどり着いたその場所は、なにもない更地だった。


 わたしが学生だった時、この駄菓子屋にはよく来ていた。店主であるおばあさんはいつも感情の読めない顔で座っており、会計の時は目も合わせずにぼそっとレジに表示された金額を読み上げるだけだった。正直幼いころのわたしはその顔がとても恐ろしく、いつもお店に入る時はビクビクしていた。

 それでもわたしが小学生から地元を出る高校生までずっとこのお店に通い詰めたのは、ひとえにそのおばあさんが作るラムネが美味しかったからだ。週によって味が変わるあのラムネは、市販のラムネに入っているビー玉なんかよりもずっと価値があった。しかも、それが50円で飲めたのだから破格の安さだ。おばあさんはラムネを頼むと、いつも一瞬嫌そうな顔を浮かべた。けれどすぐにそれを隠し、何も言わず裏へ作りに行くのだ。

 そんなに嫌ならどうして駄菓子屋なんてやっているのだろうか。それは今もなお知ることのないおばあさんの不思議だ。


 そんなわたしにとって地元の思い出とも言えるお店があった場所の前で、わたしは一人立ち尽くしている。爛々と照り付ける太陽は、このような状況でも容赦がない。

 何か飲み物をと思っても、ひとつ残された自動販売機は消灯され、動く気配がない。東京からここまでわたしを連れてきてくれた足は既に動くことを拒否しており、それどころか今すぐ膝を折りたいと要請している。幸いなのはバックパックの中の物資が、たいして入っていないことだろうか。水もなく、食料もない。あるのは小さく小さく折りたたまれた寝袋とテントくらいのものだ。

 穴が開き、その隙間から植物が顔を出すコンクリートの上で、わたしは立ち尽くす。

 右を見れば、瓦の崩れた平屋があり、左を見れば、ツタに侵食された古いプレハブ小屋がある。どちらも中に入ることすらできないような有様だ。

 ここはもうわたしの知っている街ではなくなったのだ。この数年が、この街を大きく変えてしまったのだ。どうしてこうなってしまったのだろうか。

 わたしはやり切れない想いを胸に、足を引きずり始めた。

「とりあえず、実家には顔出すか」

 こうして、わたしの「ひとり歩き帰省ラムネ締め作戦」は失敗に終わった。

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