こんなこと起きはしない

 おそらく、私たちの世界が狂ったのは十七世紀、大航海時代の末期だ。かの有名なイギリス東インド会社によれば、1679年、世界のあらゆる上空に大きな穴が開いた。その穴の向こうには大地が広がっており、まるで私たちの世界を反射しているようだったという。その穴からは、それまで神話や伝説上の生物だといわれていたドラゴンが雨のように私たちの世界へ降り注いだ。路傍の石を川に投げ入れるように数百数千のドラゴンを吐き出した中空の穴は、何事もなかったように閉じたとされている。そのドラゴンたちが何をしに私たちの世界へとやってきたのか、それは今も解明されていない。ただ、私たちの世界にやってきたドラゴンたちが殺し合い、異世界の死骸をそこらに吐き捨てていった事実だけが残っている。

 3022年。私は雨に晒され、溶けかけている右の義手を乾かしながら、ぼうっと空を眺めている。私が生まれてこの方一度もその覆いを譲らない雲のヴェールは、大きな人の顔にも見え、雨の音が支配するこの世界で空の顔は、創造主の悲しみに思われた。ドラゴンの死骸が撒き散らした異世界のウイルスは私たちから直射日光を奪い、「抗体の獲得」という形で人類を選別した。

「私たち現代人は選ばれた人間なのだ」

 そう無邪気に無防備に無知蒙昧に勝鬨をあげたいところだが、抗体を獲得した人類に待っていたのは魔子と呼ばれる素粒子による物理法則の崩壊だった。これは私には知る由もないことだが、正史ならば私たちの世界には電子と呼ばれるものが存在し、私たちはその恩恵を生活のあらゆるところで受け取るはずだった。異世界のウイルスが汚染したのは生物だけにあらず。世界中の電子はウイルスと結合し、後に魔子と呼ばれる物質へと変異した。これには万有引力を発見したばかりだったアイザック・ニュートンも涙を流したといわれている。何世紀も昔、ギリシャやエジプトで培われてきた人類の英知はダイヤモンドから綺麗な形の石ほどの価値へと落ちた。

 寄りかかり合うビルの狭間から、雷を纏うドラゴンが飛んでいくのが見えた。そろそろ雨が止む。この崩壊した世界に国はない。政府はない。故郷もない。どこに行こうか。まずは、相棒の右足を探しに行こう。

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