第9話 あおいろ
横を見ても前を見ても後ろを見ても。
首をぐるりとひねって、身体をくるりと一回転させても。
世界には、隙間なく素晴らしい色彩に満ちていた。おそらく僕にもっと知識があれば、薄く/濃く混ざりあって輝く様々な色彩の一つ一つを認識できるのだろう。
赤、黄色、オレンジ、紫、緑、黒、白……。
僕は――何色なのだろうか。
ふと、生じた疑問とともに右手を目の前にかざしてみても、何一つ見えやしない。ただただ透き通っていて、そこにあるのかどうかも分からない。
ああ、空っぽだ。
それでも、色彩の輝きならば僕を満たしてくれるに違いない。そんな気がして、周りに浮かぶ星々を掴むため、あるかどうかも分からない両手を精一杯伸ばす。
もう少し、もう少しなんだ。
そんな思いとともに呼吸さえ止めて必死に指先を伸ばしても、この身に色は絡まない。当たり前に当たり前。星に手が届くはずもない。
赤、黄色、オレンジ、紫、緑、黒、白……。
一つずつ、瞬きするごとに消えていき、結局ここには何も残らず世界は暗闇に包まれる。
消えてしまった。全て。
消えていくのか。僕は。
しかし、それすらも許されないのか、僕が唯一見ようとしなかった足元にはいつの間にか、大嫌いな――おぞましいほどに美しい青色が広がっている。
そんな、どこから来たんだ!
みっともなく、際限なく、僕の口からは獣じみた雷鳴が轟く――なんて、気のせいだ。透明な僕の喉からは湿気たマッチでアスファルトを叩くような音しか出やしない。
そして青色がどこから来たのか把握する。
僕の瞳だ。
どろりどろり――とろり。
ぽたりぽたり――ぼたり。
海のような空のような深海のような成層圏のような、形容することもまるで意味のない深い/軽い「青」そのものが僕の頬をつたい、床に溜まっていく。
やめてくれ。やめてくれ。その色彩だけはいらない。いらないんだ。
僕の願いを否定し拒絶しあざ笑い、床の「青」は僕の身体に再度侵入していく。つま先が、土踏まずが、足首が、太ももが、股関節が、へそが、腰が、みぞおちが、胸が、肩が、脇が、二の腕が、肘が、上腕が、指先が青で満ちていく。
優しく真綿で締めるように喉が青くなり、病弱な少年のように頬が青くなり――
最後に、慈しむように僕の瞳は青く錆びていく。
今度こそ獣じみた雷鳴が耳に届き、ほとんど同時に背中に強い痛みを感じる。
足がもつれ、立っているのか、座っているのかよく分からない。
それでも、僕は自分の身体が反射するままに動かし――自宅の洗面所で胃の中をひっくり返す。それとともに思い切り蛇口を開放し、頭から冷え切った水を被る。
口から溢れ出る半固形の物体の中に黒いものが混ざり始めたところで、ようやく胃の反転は止まった。
洗面所の惨状を気にする余裕もなく、僕は鏡の中をにらみつける。
青青青青。瞳は、いつものように青く錆びている。
震える指先で――何かを期待して――目尻をゆっくりと拭う。
予想に違わず期待通り、予想に反して期待を裏切り――僕の涙は、なんの色彩もなく、どこまでも
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