第6話 喫茶店にて/怒り

「えーっと、僕は葵奉助。文学部の二年生です」

「同じく文学部の二年生の灰谷靜。よろしくー」

「わ、私も文学部です。よろしくお願いします、先輩方」

彼女はペコリと頭を下げる。背の低い彼女は、その仕草も相まって、どことなく小動物を思わせる。彼女の目にはすでに色の濃いサングラスが戻っているのだが、改めて見ても本当に似合わない。

ここは、僕と灰谷が月に二、三回ほど通っている喫茶店。少し前までは夜だけ開店という奇妙な店だったらしいが、ここ最近はバイトを雇って午後の時間帯もやっているとかなんとか。

重要なのは、我々の目の前にあるホットコーヒーと……モンブランだ。コーヒーも美味しいのだが、モンブランは本当にずば抜けている。軽やかな味わいのケーキも美味しいが、このモンブランは真逆でとにかく重厚。シンプルな栗のクリームと柔らかなスポンジに、ギリギリの加減で強すぎない栗の甘みが口中に幸福をもたらしてくれる。

まあ、ごく簡単にいえば、そこまで甘党ではない僕からしても絶品で、これだけをたらふく食べたいという灰谷の気持ちは僕にもよく分かる。

しかし、今はケーキよりもこの眼の前の少女のことである。あまり目の前の幸せに浸っているわけにはいかない。僕がどう話を切り出したものかと逡巡していると――

「そんで、その瞳は一体なんなのさ?」

聞きにくいことを灰谷はあっさりと質問する。流石である。

「えへへ……ちょっと目立って恥ずかしいので、すいませんがサングラスはこのままでお願いできますと幸いです」

「ああ、お構いなく」

彼女はこの状況に物怖じしていないのか、リラックスしているというか、口元のニヤつきを抑えることが出来ない様子だ。やっぱりちょっと変な人なのかもしれない。

「ありがとうございます。まあ、端的にいうと、私の瞳は他の人のカラーが見える不思議なものなんです」

彼女――美井路が嘘をついているようには見えない。が、何を言っているかよくわからないのも事実だ。

「カラー?」

灰谷も意味を掴みかねたのか、確認するように聞き直す。

「はい。もう本当にそれだけなんです」

彼女はむふーと鼻の穴を大きくしつつ、コーヒーに口をつける。まるで言うべきことはいった、とでも言うかのような感じだけど……

「……え、説明終わり?」

いやいや、灰谷よ。流石にそんなことは――

「はい!」

美井路は力強く断言する。モンブランにも手を付けて実に満足げだ。どうしよう。この後輩は説明が絶望的に下手くそのようである。

隣の灰谷も流石に少し困り顔だ。仕方がないので、僕が質問をする。

「その色っていうのはなんなの?」

さっきまでは敬語を使っていたが、ぽやぽやした彼女の雰囲気も相まってタメ口でいっかと判断した。

「えーっと、なんか人の性格とか? 性質とか? 心根とか? そういうものが色に反映されるみたいな?」

「……なるほど」

なんとも不思議で、信じがたい話。もしかしてこの女子の頭はおかしいのではないか、普通ならそう判断するところだ。

しかし、残念ながら――本当に残念なんだけど――僕自身もではない。僕の表情がこわばったことから、灰谷は僕の動揺を察したのだろう。さっと話の主導権を取り返す。

「じゃあ、奉助のは青く見えたっていうこと?」

聞きたくはない、聞きたくはないが……確認しないことには話が前に進まない。

「そうなんです! とってもきれいな色でしたよ!」

おそらく僕は感情を押し殺すような無表情。しかし、内心の動きを艶やかに反映する僕の瞳は、間違いなく青々と燃えている。

「……」

なるほど。僕としては彼女が嘘を言っているようには思えない。おそらくすごく正直に話しているのだろう。

「普通の人は色々なカラーが混ざって見えるんです。当然ですよね、人の性格や性質なんて一色で表せるはずがないですから。だから、画家が使うパレットのようにカラフルなんです。でも葵さんの色は真っ青なんです。秋の空のようなきれーな青色です! でもですね……!」

彼女は早口でまくし立てる。身振り手振りが大きく、どうやら興奮しているような感じだろう。

そんなにも僕の「青色」とやらがきれいだったのだろうか。

楽しそうに人の内心を暴くような行為をするなんて、人の逆鱗を無邪気にベタベタと触るなんて……クソだな。

「……ふーん」

未熟で幼稚な僕は、溢れ出る感情のまま言葉をぶつけようとしたのだが、灰谷がそれを遮るように口を挟んでくる。

「へえ、じゃあ私の色はどうなんだい?」

歯をむき出しにしてニヤリと笑う表情は、彼女をよく知らない人からすれば楽しそうに見えるのだろう。

しかし、そこそこ付き合いの長い親友たる僕は、灰谷がとてつもなく怒っているのが分かった。それを横目で確認して、すんでのところで僕も自分の感情をなんとか抑えることができた。

「そうですね……」

そう言って美井路はサングラスを外して、胸のポケットにさしてから、灰谷の方をじっと見る。それに合わせるかのように彼女の瞳の中の瑪瑙がきらきらと蠢き、こんな状況でもやはり美しい。

「……灰谷さんのカラーもものすごいですよ。こんなの初めて見ました! もちろん、色々なカラーは少しあるんですけれど……なんというか圧倒的なまでに白黒です。おそらく好き嫌いがはっきりしているのではないですか?」

「うん、あっているよ。ある意味ではね」

灰谷はそれで美井路が嘘を言っていないことを十分に確信したのか、獰猛な笑みを深める。彼女と出会ってから丁度一年程度だが、ここまでの怒りは初めて見た。止めるべきか一瞬迷っている間に話は進んでしまう。

「あはは、ありが――」

美井路は――馬鹿なのか、興奮のあまりなのかは知らないが――灰谷の様子に気がついた様子はない。

「だから、はっきりと断言するけどお前はクソだ。嫌いと言ってもいいね」

あくまでも灰谷はだ。美井路は何が起こっているのか分からないのか、ぽかんとしたまま口を大きく開けている。

「……へ?」

美井路が続けて何か言葉を発する前に、灰谷は立ち上がる。僕もそれに合わせて伝票を掴みつつ席を立つ。

「痛みを伴わずに他人の心を暴こうなんて、だよ、。ヘドが出てしまうね。そういうわけだから、私達はここで失礼するよ。ま、人間なんて呼吸をしているだけで他人を好きになったり嫌いになったりするもんだ。私の言葉なんてあんまり気にすんな。そんじゃあねー、良い大学生活を」

灰谷は冗談めかしながら一息にそういうと、手をひらひらと振りながらレジに向かったので、僕も後に続く。振り返ることなんてしない。

美井路が、灰谷がどんな表情をしているかを確認する気にはなれなかった。

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