第3話 サングラス少女

「へいへーい、どうしたんだね?」

授業が終了し、次の教室に移動しながら灰谷はニヤニヤと僕に話しかけてくる。

一限目の授業は大学のメインストリートの端にある教養棟で行われていた。去年できたばかりなのでぴっかぴかで、個人的には結構気に入っている(灰谷は「ビルみたいで趣がない」なんて言うけれど)。

かつては各学部の棟で教養の授業が行われていたので、新入生が授業に出るためにキャンパス内を走り回るというのが名物だったらしい。いまでは多くの新入生向けの授業がこの教養棟で行われるので、その名物もかなり鳴りを潜めている、らしい。が、当事者としては、結構な頻度でバタバタと移動している気がするので、その印象にはやや疑問である。

しかし、今日については、二限目もこの教養棟内なので楽ちんである。ただ、新しい問題として、この教養棟はやたら広く、教室数も多いので、いちいちそこらにあるマップを確認しないと目的地までたどりつけない。正直、ちょっと面倒なのは否めない。

「なにがだよ?」

灰谷の疑問にぶっきらぼうに答える。内心のイラつきが表にでないように努めるが、目ざとい灰谷はささいな感情のゆらぎも手に取るように察しているのだろう。

「いつもよりさらに変な顔しているからね。何かあったのかと思ってさ」

「変な顔の自覚はあるから、ナチュラルにけなすなよ」

もちろんお互いにじゃれついているだけだ。

灰谷とは、この一年間かなりの頻度、というかほとんど毎日つるんでいる友人だ。

彼女はとんでもなく美人で、その切れ長の大きな瞳で見つめられれば一般的な人間であれば多少なりとも好感を抱くであろう。それにもかかわらず、僕と一緒で友人がほとんどいない。まあ、僕とは馬があった、ということになる。

ただ、僕に対して悪態をついたり、変に絡んできたりすることが多い。しかし、それでも本当に嫌な気持ちになったことがないのは、彼女の感情を読む能力が恐ろしく優れていることの証左だろう。

「おっと、いつもよりキレがないツッコミだ。ほんとに何があったのさ?」

灰谷は自分の唇をぷにぷにと人差し指でいじりながら、小首をかしげる。

「いや……なんか、変な女の子に嫌なことを言われただけ」

端的に、単純に、それだけのことなのに、ここまで心を乱されるのは自分でもどうかと思う。

「んー、君の顔面がぶちゃいくって言われた?」

「違うよ。……きれいな青色ってさ」

「あー……。見事に、地雷を踏み抜いているねえ」

灰谷は、ニヤニヤ顔も忘れ、いーっと口を横に伸ばすという微妙な表情になる。僕にとっての急所、逆鱗、そういうところを的確に突かれたことを分かっているからこそ、灰谷もそういうなんとも言えない表情になるのだろう。

そう、酒に酔った勢いもあって灰谷には「僕の瞳」のことを話している。その代わり灰谷の個人的事情も聞いているから、まあ丁度よいトレードオフといえばそうなのだろう。

……未成年飲酒? いったいなんのことだろうか?

「しかし、なかなか目ざとい女子だ。普通、人の目の色なんてそこまで気にしないだろうに」

「たしかに……ってあれ?」

彼女の姿をなんとなく思い出して、おかしな点に気がついた。

「ん?」

「そういえば、その女子生徒はサングラスをつけていたような?」

あんまり似合っていなかった、顔の半分を隠すほどの大きなサングラス。加えて、本当に前が見えるのかっていうくらいの真っ黒なレンズだったはずである。

「ほう、それはますます奇妙だね。ちなみに色は?」

「どんな日光も遮れそうな黒いやつ。フレームは……銀色、かな?」

僕の言葉を聞いて、彼女は口を真一文字に結びつつ、むむむと奇妙な鳴き声を発している。

「形はもしかしてロイド型……つまり丸っこい形のやつだったりしない?」

「よくわかったな、明治の文豪がつけてそうな形だったはず」

いまどきの流行りなのかはしらないけれど、どことなく似非占い師っぽい感じ。「当たるも八卦当たらぬも八卦」とかいうつまらないセリフが脳裏をよぎる。

「……ちょうどあんな感じの?」

灰谷が正面に向かって人差し指を向ける。それにつられてそちらを見ると――

「あっ」

そこにいたのは確かに先程の女子生徒だ。あいかわらず大きなサングラスが顔にかかったままでその表情をしっかり見ることはできない。彼女は廊下の曲がり角から身体を半分だけ出したままこちらの様子を伺っている。しかし、僕らが見ていることに気がついたのか、彼女は慌てたように身を隠してしまった。

「……奉助の隠れファンかな?」

目を逆月の形に曲げてニヤニヤしながら灰谷はふざけたことを抜かす。

「それならお前のファンの可能性の方が高い」

だからこそ、灰谷が嫌がりそうなことをあえて返した。しかし、ぐぬっと一瞬怯むものの、彼女は負けじと言い返してくる。

「確かに、君のファンなんて趣味の悪い人間は何人もいるはずないか」

「灰谷のファンっていう趣味のいい人間は無数に存在するはずだろうけどね」

しかし、結局僕の返しに、灰谷はオエーというモーションとともに心底嫌そうな顔をする。顔立ちが整っている奴は何をしても絵になるとかよく言われるけれど、灰谷のこの表情は何度見ても妙な凄みがあってちょっとなんとも言えない。

「ツッコミにキレが戻ってきたじゃないか」

「そらどーも……しかし、本当に何なんだろうね?」

「ま、なにかあればあっちから接触してくるでしょ。気にしすぎないのが吉とみた」

「さすが、ファンが多い奴は慣れていらっしゃる……いてぇ! いま本気で叩いたろ!」

「言いすぎなんだよっ!」

べぇ、と舌を出して灰谷は不満をあらわにして、次の授業の教室に入ってしまった。もちろん本気で怒っているわけではないので、昼休みどころが教室に入った瞬間にはいつもの僕たちになるのだが。




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