第2話 白黒の親友とサングラスの少女
「おはよう、奉助! 今日もテンション低いねえ」
教室に入るところで一人の女性に見つかる。彼女は一瞬だけ僕の表情を真顔で見てから、ニヤッと笑いで挨拶をしてくる。黒のスキニーパンツにゆるっとした白いポケット付きTシャツ、そしてMA-1。シンプルなコーディネートなのに抜群に洗練されて思えるのは、少し贔屓目が入っているかもしれない。
昨年の入学式で出会い、わずか24時間ほどで親友とやらになった人物――
何よりも特徴的なのはその目だ。大きなアーモンド型のツリ目に墨よりも暗い色。その瞳と白目部分が極限のコントラストを保っており、吸い込まれるように目が引かれてしまう。まるで無理やり真実を暴き出されるような、斧で白と黒を無理やり分断するような――なんてのはただの妄想だ。
「おはよう、灰谷」
「靜でって言ってるじゃーん」
ニヤリと歯をチラ見せして、口角を釣り上げる。悪魔的というより、まあ、いたずらっ子のがきんちょのような笑い方だ。こいつは基本的にニヤニヤ顔なのだが、百種類くらいはパターンがあるだろう。でも、一年も一緒に過ごしているのだから、どういう精神状態でのニヤニヤなのかくらいは分かる。
「結構です」
「ちぇー。二年生になった記念に名前で呼んでくれたっていいのにー」
「そんな記念はないよ」
灰谷は唇を突き出して不満をあらわにする。もう何度も繰り返しているやり取りだが、彼女の反応は相変わらずだ。
「はいはい。いつもどおり、真ん中やや後方の席を三席占拠しているからねー。私は雉を撃ってくるから」
「うん、ありがとう。でもお花を摘むほうがいいんじゃないかな」
「花より雉のほうが美味しいじゃん」
手で拳銃を型取り、「ばきゅーん」なんて僕の胸を軽く突いてから彼女は教室を出ていく。
しかし、このちょっとしたやり取りのお陰かで今朝の陰鬱な気持ちがかなり紛れており、灰谷に心の中で感謝した。
(ほんと、どこまで見抜いているのやら)
僕は彼女の鞄を目印にして、通路側の席に座る。女性の平均身長くらいの灰谷だが、それを考慮してもやたらと大きくて頑丈そうなバックパックを愛用しているため、どこの席を占拠しているかわかりやすい。
この100人収容の講堂は、実に大学の教室らしく、後ろに行くに従って傾斜がついている。灰谷とともにこの一年間試行錯誤した結果、一番後ろよりも、真ん中の席のほうが目立ちにくいと結論づけ、出来る限りこのポジションを確保するようにしている。
廊下側の席が僕、真ん中に二人の鞄、その隣が灰谷という席順もこの一年間ですっかり板についたものだ。僕が先に教室に着いたときは僕が、今日みたいに灰谷が先のときは灰谷が良さげな席を占拠していてくれる。
鞄から買ったばかりのルーズリーフとペンケースを取り出す。今日はは二年生の初日なのでここから二週間程度は様子見だ。しばらくは教科書も参考書籍もない軽い鞄を楽しめる。
ちらりと腕時計を確認すると、8時30分を少し過ぎたところ。授業の開始は45分からなので、教授が来るまではまだ時間があるだろう。
ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出したところで、暗い画面に一瞬僕の顔が写る。瞳の中で、青鈍色が蠢くのが目についた。
(余計なことは、考えない)
すぐに画面を点灯し、ニュースアプリを立ち上げる。昨今の経済事情や芸能人のはれもの事情に興味があるわけではなく、純然たる時間つぶしに過ぎない。
そうしてなんとなくトップニュースを眺めたりしているなかで、徐々に教室が騒がしくなってくる。この授業は1年生か2年生のうちにとる必修授業なので、うちの学部のほとんどの人間が参加するのだ。ちらほら見知った顔も目に入るが挨拶を交わすほど仲がいいわけでもない。
しかし、僕の座るすぐ前の列のところでこちらを見ている人間がいることに気がついた。
(なんだ……?)
ちらりとそちらを見てみると、背の低い女性が鞄を机に置いてこちらを眺めているようだ。シンプルな水色のワンピースに紺色のカーディガン。手にはベージュのロングコートを持っているが、それを置くのも忘れたかのように、じっとこちらに顔を向けている。ついでにぽかんと大きく口を開けており、綺麗に並んだ歯が見え隠れする。
後ろや左右を見てみたりしたが、どう考えても彼女は僕を見ている。しかし、その目線が正確にどこを向いているかを把握することはできない。なぜなら彼女は大きなレンズのサングラスをつけているからだ。背の低さも相まって可愛らしい外見にそのサングラスはいささか――いやとっても不釣り合いで、妙に目立っていた。
「……あの、なにか御用でしょうか?」
あまりじろじろ見られているのも気分が良くない。普段はこういう声がけをしないのだが、つい疑問が口に出てしまう。
彼女は、自分が僕の方をじろじろ見ていたことにようやく気づいたように、「ふわあ!」と驚きの声を上げる。
「あ、あの……す、すいませんでした」
彼女は慌てたように勢いよく頭を下げて、くるりとこちらに背を向けてしまった。
(なんなんだ……?)
しかし、僕のささやかな疑問は彼女のつぶやきで吹き飛んでしまった。本当に小さな声のはずなのに、授業間近でがやがやと騒がしい教室のはずなのに、その言葉は僕の耳に届いてしまう。
「なんて……きれいな青色」
僕の瞳が、ちりりと疼いた。
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