隕石が落ちてくるまで、およそそばにいたくなるくらい
二葉ベス
隕石が落ちてくるまで、およそそばにいたくなるくらい
あと3日で地球は滅ぶらしい。
詳しくは分からないけど、避けられない系の隕石が落ちてきて、地上の状態が激変し地球で住めなくなってしまうような環境になってしまうとのことだ。
地球で住めない環境ってどんなのなんだろう。例えば大洪水が起きて、それこそカルネアデスの板やノアの箱舟のような、選民思考が生まれるのかもしれない。
単純に大きな津波で、その辺一帯が全部海に沈むのかもしれない。
そう考えたら、確かに住めないなって思うわけで。
そこで出てきた救済案。それこそが宇宙に旅立って、近しい環境の星に移住するとのことだ。
目処は決まってるらしくて、火星とか、別の星とか。まぁそんなところ。まぁ要するに宇宙に逃げて地球は捨てるってことみたいだ。
でもこんな時でも仕事はあるわけでして。
家族は生きていてほしいけど、自分自体はぶっちゃけどうなってもいいっていうか、宇宙とか不安だし、仕事も全部やり終えて、あとは逃げるだけだし、いっそ地球と一緒に心中してみようか。みたいな達観的諦めの感情が、私を支配していた。
「って言っても、あと3日。どーしよ」
3日で滅ぶ地球にもはや電気やガスの概念などはない。
秋口ぐらいの気温に少し肩を震わせながら、私はコートを羽織る。綺麗に使っていたけれど、もう使うことはないんだろうな。確か最初のお給料で買ったんだっけ。思い返してみれば、意外と長持ちするものだ。だいたい4年ぐらい?
大気の状態も不安定なのか、おおよそ正午という時間なのに、周りはといえば曇り一色。どんよりしてるなー。ともはやシャッター街となった商店街を通過していく。
ここも確かにぎわっていたはずだ。仕事が忙しくて、素通りしていたけれど、あそこのお弁当屋さんにはお世話になっていた。主に夕食として。
思っていた通り、シャッターは閉まり切っていて「ご自由にどうぞ」と書かれたチラシとお弁当を置いていたと思しきテーブルは人類の生活の見る影もなく、地面に突っ伏している。
「酷いことするなぁ、地球さんや。あ、隕石さんの方か」
暇つぶしにとテーブルを元の位置に戻す。そうだったそうだった。こんな感じだったわ。風が強くなければ、ずっと眺めていたいけれど、身体を動かさなければ風邪をひいてしまいそうだ。滅亡3日前にして風邪をひくなんて、どんな運なし女なんだか。
想像の私に対して軽く苦笑。またもや誰もいない商店街を抜けていく。
「そういえば、この先公園だったっけ」
本当に気まぐれな思考。どうせ死ぬのなら、広々と大の字になって死んでみたい。なんていうのは誰もいないからだろうか。でも面白そう。派手ではないけれど、地味でもない死にざま、みたいな。へへへ。
流石にくだらないことを考えすぎているだろうか。
でもそれぐらいゆるーい考え方でなければ、これからの人生生きてはいけない。たった3日の生存戦略である。
少し砂利が混じった石畳を突き進んでいく。
この辺は変わらないな。確かこっちに行ったら観光名所で、こっちに行ったら遊具がいっぱいあるとこだっけ。
誰もいないし、今なら服を脱いでブランコではしゃいでも許されるだろう。そう、誰もいなければね!
ぎぃこ、ぎぃこと鉄と鉄さびが重力によって噛みあう接続部分。
こんなところで聞こえるほど、風は強かったっけと思ったけど、そんなことはなかった。
だから自然と、その音の正体に気づくことになる。
目に入ったのは茶色い髪の毛。それから紺色のブレザー服に緑色のリュックサック。
最初に思ったことは、なんだこいつ。家出娘か。というちょっと面倒な奴に絡まれそうだな、嫌だなぁという気持ちだった。
でも少女は上の空で。ただひたすらに晴れることのない分厚い雲を眺めている。
やることないのかな。黄昏てるだけにしか見えないけど。なんて、漠然と考える。
興味が出たわけではない。だけど、惹かれないほどの魅力がないわけではないのでして。
私ももう片方のブランコに座り、ぎぃこぎぃこと、かかとを引っかけながら軽くぶらぶら。わざとらしく家出娘に合わせてぶーらぶら。
「……何か、用ですか」
そんな不服そうな声が1つ飛んでくる。まぁ世界の危機だ。そんな声にもなるか。
「別に。ただブランコに乗ってただけ」
だから返事は決まって当たり障りないもの。悪意がないかと言われたら嘘になるんだけども。
そんな返事だからか、彼女は私への興味を失ってまたもや灰色の空を見上げる。
私も興味はないんだけどさぁ。なんか気になるっていうか、この子学生でしょ? 行く当てあるのかな。
それとも3日間両親から逃げ切って地球と心中ENDかな。どっちでもいっか。
「ねぇ」
「……なんですか?」
私にも厄介者に噛まれてもいいと思える神経回路はあるみたいだ。ブランコからゆっくりと立ち上がる。ぎぃぎぃと聞こえる鉄さびの音に少し不快感と、寂しさを混ぜながら、私は一言、こう言ってやった。
「ウチくる?」
「……は?」
思ったよりも反抗的な態度であった。
◇
そういえば、仕事以外で女の子に話しかけたのはいつぶりだろうか。
記憶する限り、だいたい3年ぐらいな気がする。あれはそう。迷子の女の子を助けようとして、なんだかんだ交番に送り届けたものの、女の子が泣きじゃくって困ったのを思い出す。
どうして幼い子供というのは泣きじゃくる生き物なのだろうか。
それでも助けてしまったのは、あの子と同じくこの女子高生も迷子だったからだろう。どこのって? そりゃあ人生のに決まってる。
女の子を誘拐、もとい私の家に案内して数十分。彼女は体育座りをして隅っこの壁を見つめている。
何があったらそんなつまんないことができるんだか。
まぁ、私の家も大概つまらないんだけど。料理と言えるほどのものは作れない。だから非常食を片手に、テーブルの上に食事を並べる。んー、質素を超えた質素飯。
「おーい」
「…………」
「おーい、ご飯だぞー」
まったく。終末の女子高生はご飯はいらないってことかい?
なんてくだらない冗談を口にしようとした矢先、彼女はこちらへ四つん這いになりながらのそのそとやってきた。
「面倒くさがり?」
「関係ないです」
やっぱり反抗的な態度だ。思春期ってみんなこんなだったっけな。いや、そうでもなかったか。
缶詰を開けて今日の食事は出来上がる。
電気やガスはないから、寂しいのろうそくで明かりを作って今夜の夕飯会場の出来上がり。
「いただきます」
「……いただきます」
消え入るような声を吐き出して、乾パンを一口。
悪い子ではなさそうだ。でも終末3日前にあんなところにいて、この子はいったいどこから来たのだろう。考えても考えても、特に目ぼしい理由は見当たらない。彼女のことを知らないのだから当然か。
「ねぇ、名前は?」
「…………言っても無駄じゃないですか?」
「まぁまぁ、3日だけの付き合いだと思って」
「マナ、です」
「ありがと、マナちゃん。私はフウナね」
冷たい返事を聞き流して、私は缶詰を一口食べる。
どうして、とは聞いてみたい。けれど、あまり聞く気になれないのは、まだ彼女との間柄がそこまで深くないからだろう。
でもいざ聞いてみたら、終末だからってことであっさりと白状してくれるかもしれない。親とのいざこざか、それとも恋人との別れ話か。いろんな候補はあれど、大して盛り上がる話でもない。
「どこから来たの?」
「隣町です」
「歩いて?」
「交通機関、全部止まってますし」
「それもそっか」
聞いて、一言思ったのは、多分この子は真面目な子なのだろう。
最初の出会いはああだったにせよ、聞けば答えてくれるし、求めれば応じてくれる。
でなければ、こんなところにはいない。
それから会話は私から始めることで、弾むとは言い難いけれど終始無言というわけでもなかった。
夕飯を食べ終える頃には、少しだけ彼女との仲が縮まった気がした。
「ふあぁ……」
「眠い?」
「……少し。ずっと歩いてきたので」
「お疲れさま。一緒に寝る?」
「嫌です」
「ふふ、そういうと思ってた」
まぁ布団は1つしかないのだがな!
私はソファーの上にでも横になって、寝るとしよう。
どうせテレビもスマホもゲームも、何もかも電気を使うし、やることはないのだから。
星を見てみたいけど、今からその星に殺される運命。あまりロマンチックな気持ちにはならない。
それに曇ってる。多分見れない。
「ベッドで寝てていいよ。私はソファーで寝るから」
「でも、フウナさんは寝れなくないですか?」
「別に不健康でもあと3日もしたら、死んじゃうし」
「そんなものですか?」
「そんなものだよ。ほら、良い子は寝た寝た!」
不安げな瞳を見せながらも、彼女はベッドルームへと向かおうとしたのだが、視線は私にずっと向いたままだ。
「どうかした?」
「……パジャマ、持ってないですか?」
あー、制服のまま寝るのが嫌なのか。可愛いところもあるもんだ。
まぁブレザーとは言っても固いし、寝付きづらいだろう。どこかにあったかなー、パジャマ。
ガサゴソと漁って見つけたのは洗濯かごの中。
仕方ない、これを使うか。
「汚いけど見つけたよ」
「どういうことですか?」
「洗ってないやつ」
「加齢臭したりしません?」
「私まだ26だよ!」
暗いけれど、くすりと笑う彼女の声で少し気が休まる。
マナはそう言って、パジャマを抱きかかえると、そのままベッドルームへと消えていった。
終末まであと3日もない。けれど面白い出会いはした、気がする。
◇
世界が終わるまで、あとだいたい2日。
だいたい、というのも、ラジオすら受信されないのだから、情報のかけらも入ってこないから、明確な終わりが分からないのだ。だから周りの空気感で何とか理解する。
昨日よりも分厚い灰色の雲と、一段と寒くなった気温。そして周りの寂れた空気感。
世界が終わるのもあと2日なんだなー、と嫌でも分からせられる。
それでも気分だけは少しだけ浮ついていた。何故か。それは分かっている。
「はい、今日の朝食」
「……また缶詰ですか」
「缶詰あるだけでも嬉しいことだと思うけどな」
「分かってますよ……」
昨日の晩に使ったお箸を再利用して、ぱくぱく。
洗うための水はもう出てこないんだから仕方ない。
「本当に暇ですね」
「だね。今から川にでも出かける?」
「移動手段はあるんですか?」
「社会人を舐めないで。車はちゃんとあるから」
サムズアップして、そう伝える。
多分ガソリンがあったはずだから、それで川まで行って暇つぶしというのも悪くないだろう。
気温が低いとは言っても、石切りを極めたら1,2時間は軽く経過するはずだ。水に入らなくても、やることはたくさんある。
「と思ったんだけどなぁ……」
「ガソリン、抜かれてますね」
「してやられた」
終末ともなれば、人の民度も落ちていくわけで。
窃盗まがいのこんなことや強盗に強姦。あぁなんという終わりの世界。何やってもいいと思ってるんだもん。私はそんな無粋な連中になりたくないし、おとなしく家に引きこもっていよう。それはそれで暇なんだけど。
「どーしよ。何かあったかなー」
クローゼットを漁ってみるけれど、見つかるのは人生ゲームだけ。マジか。これやるの?
ちらりと箱をマナの方に見せてみて、1つため息をかけられる。やらないよりはましか。
「しりとりと人生ゲーム、どっちがいい?」
「人生ゲームで」
そんな感じで始まったのが、2人だけの人生。
とは言ってもやったことなんてほとんどないわけで。
こういうのって、基本は友達が泊まりに来た時しかやらない。友達も地元に置いてきた私だ、持ってきたはいいものの、やる相手がいないから埃をかぶっていた。
世界が終わる前に億万長者になれるんなら、それに越したことはないか。
ルーレットを回して出た目で止まって、今と変わらない職業を手に入れて。
って、これじゃあ今の私と同じじゃないか。それでもじきに私の人生からは離れていくだろう。例えば、この結婚のマスとか。
「結婚マスって、なんで必ず止まらなきゃいけないんだろうね」
「ルールだからじゃないですか?」
「そういう概念が古いと思うんだけどな」
旦那さんを1人とともに、ため息も一緒に置いておく。
これでも昔はちゃんと恋をしたし、彼氏もいたことがある。けれど、高校生のカップルなんて長続きするものではない。別れてそれっきり会話もしなくなった。
だから地元に置いてきて、私はここで仕事に励んだ。励んだ結果が、浮いた話のない真面目なOLなわけでして。
「でも、分かるかもしれないです」
「許嫁とかいたタイプ?」
「違います。……なんというか、一生一緒にいるんだろうなーって人がいたんですけど、他に好きな人ができたとかで別れちゃったから」
やっぱり男か。それも結構天然なクズ。移り気な性格の男を選んでしまったことに同情しながらも、少しだけマナちゃんの重たいところが見え隠れした気がする。
「それで嫌になって隣町から逃げてきたと」
「フウナさんに分かりますか?! 世界が終わるからって好きな人といたいって一昨日言われて……。ユウキくん、やっぱり私よりもレイのことが好きだったんだ……」
しばらく口に出してから、ようやく気付いたようで口を手で覆う。
そうだよね。気づいたら自分の身の上話を知らないお姉さんに口走っていたんだから。
しょんぼりとした様子で、すみませんと口に出す。別に謝ることじゃないのに。
「それはユウキくんが悪い」
「え?」
「彼女を世界が終わる前にほっぽり出して、別の女のところに行くの、どう見てもカスだよ!」
「カ、カスって。ユウキくんはそんなんじゃないです!」
「仮にそうだったら、今隣にいるのは野暮ったいOLじゃなくて、彼氏くんだったでしょ?」
「うっ……」
正論をぶつけるべき相手ではないのは分かっている。
でも私だって、話を聞いているだけでキレていいと思った相手だ。きっとマナちゃんもそう思っているに違いない。
「た、確かに最近付き合い悪かったですけど……」
「でしょ? だったら叫ぼう!」
「で、でも。ここ街中ですし」
「誰もいないし、聞こえたって2日後にはみんな死んでる!」
「そうですけど!」
私の勢いに思わず笑いが混じった返事をするマナちゃん。
真面目なんだろうなってのはあったけど、もう1つわかったことがある。押しに弱い。
「ユウキくんのバカ……」
「声出して!」
「ユウキくんのバカ」
「もっと!」
「ユウキくんのバカ!!」
「もう一声!」
息を思いっきり吸い込んで、茶色い髪を翻して窓の方に向かって……。
「ユウキくんの、バカァアアアアアアアアア!!!!!」
カラスがワーッと飛び出し、空へと昇っていく。
息を切らせながら、全力の声を出した彼女は今までの鬱屈とした表情はなかった。
「なんか、すっきりしました」
「それはよかった。家に帰る?」
「帰りません。ユウキくんと一緒に死ぬって言って別れちゃいましたし」
「あーらら」
「だから。……フウナさん。死ぬまで一緒にいてくれませんか?」
スカッとしたり、ともすれば自分の胸元を掴んで。
まるで恋する乙女のようにも見える眼差し。私がもう10年若かったら、きっと2つ返事でOKすると思う。
なら今の私なら? 答えは決まっている。
「じゃ、人生ゲームの続きでもする?」
「……っ! はい!」
素直じゃないと言われてもかまわない。けれど、言われて年甲斐もなく嬉しくなって、コマを動かす手が弾んでしまう。まったくちょろい生き物だこと。
死ぬまで一緒にいてくれませんか? か。一生で一度は言われたいこと、今言われちゃったかー。
◇
人生ゲームで白熱すれば、時刻の短針は真下を過ぎていた。
ご飯を食べて、星の見えない空を見上げて。それから今日のところはおやすみ。
就寝時間になると、マナちゃんは手招きしてベッドルームへと誘導してきた。
「一緒に寝ませんか? 最後の夜ですし」
「寂しいんだ」
「別にそんなことはありません。ありませんが!」
もごもごと口を動かす女子高生。初い奴よなぁ、と老婆心を胸の奥で覚えながら、その後の言葉を待つ。
それからしばらくして、開いた言葉というものは予想通りで、私でもこっぱずかしいものだった。
「ちょっと、人のぬくもりを感じたいって言いますか……」
「寂しいんだ」
「そうじゃ……うぅ……」
まったく、昨日までの態度が嘘みたいだ。
この1日でとても仲良くなったと言ってもいい。私は一人っ子だったから、姉や弟はいなかったけど、妹がいたらきっとこんな感じなのかな。
「じゃあ、私は寂しいよ。一緒に寝る?」
「じゃあってなんですか、じゃあって」
「素直じゃないなぁ」
「そんなこと……まぁ、フウナさんがそういうなら」
そういうところが素直じゃないって言ってるんだけどな。
昨晩はそんなことがあって、今日。抱き枕代わりにされながら、寝る時間はまぁまぁ窮屈だったけど、寂しくないと言われたら、その通りだった。
起きて、洗ってないお箸で食べる最後の朝食を食べる。
「今日、なんですよね」
「らしいね。どのみちうちにはもう食材はないし、終わってくれた方がありがたいや」
「なんですかそれ」
生きる理由なんて人それぞれだと思ってる。
きっと目の前のマナちゃんにも、隣の今はいない住人にも。
私は、なんだろう。日々をなぁなぁに生きていたから、ただ仕事をしてお金を稼いで、稼いだお金をどうするか考えて、そして寝て起きて。
そんな日々をずっと続けてたから、小金持ちにはなったけど、夢や生きる意味なんてものを見つけずにいた。
でも今は、なんとなく。そうなんとなく意味を見出している気がした。
「マナちゃん。最後の日に、楽しいことしない?」
「え?」
クローゼットからカバンを取り出す。
開けてみて、とお願い。不思議な顔をしながら彼女がそのチャックを開ければ、数えるのも億劫になりそうな万札が詰められていた。
「こ、これ?!」
「ふふ、全部自腹です」
「強盗とかではなく?」
「そんなことするわけないよ」
そもそもそんな豪胆なことができるなら、夢がないわけない。
だからこれはコツコツ溜めた膨大な私の過去たち。そしてそれを今から……投げ捨てる。
「これを公園でばらまこうよ!」
「本気で言ってます……?」
「もちろん! どうせ今日で消えるお金だし、誰もやったことないことしようよ!」
この世界でこの札束は紙切れ同然の価値しかない。
それでも価値があったものには変わりない。だから今からこれを風吹く地上で振りまくのだ。なんという無駄使い。金をどぶに捨てる行為。だけど、それができるのは今日限りだ。
「……今日で、終わりですもんね」
「そうだよ。私のワガママに付き合ってくれる?」
「仕方ないですね」
そう言いながら、顔はウキウキに表情が崩れている。まったく素直じゃない。
だが、そんな彼女の姿が可愛らしくて、私の中になかった何かがふつふつと芽生えていくのを感じている。
例えようのない何か。でも多分、過去味わったことのある何か。
「どうしたんですか? 行きますよ!」
「あ。そうだね!」
重たいカバンを肩にかけて、家から別れを告げる。
ま、もう戻ってくることもないだろう。だから今日初めてのさよならを言い渡す。
それからえっさほいさと階段を下りて、すぐ近くの公園へと躍り出る。
風はすさまじく強い。台風並みに。これから終末が訪れるのだろうと言う暗雲立ち込める雲と、空に重なる黒い影。あれが、隕石か。
「これならいろんなところに飛びそう」
「私たちも飛んじゃいそうですね」
「そしたら一緒に飛ぶ?」
「何言ってるんですか!」
さて。そう言って。チャックを少しだけ開けて、カバンからまず100万円の束を取り出した。
もちろん風に吹かれないように必死で。
結束をほどいて、空へとぱぁーっとばらまけば、簡単に100万円が空へと消えていく。
ふわりふわりと舞いながら、風の行くまま気の向くまま。
私の過去の一部が、まさしく虚空に飛び立っていった。
やばい。これは癖になる。
「マナちゃんもやってみて!」
「分かりました!」
それからカバンの中身がなくなって、カバン自体もどっかに行ってしまうぐらい100万円を振りまく遊びに熱中していた。
総額2000万かな。だいたい2人で10回。これがまさしく散財というべきだろうか。思った以上に快感だった。過去も未来もすべてを投げ捨てて、ただただ今を生きるだけ。きっと今日で終わらなかったら、私たち2人で野垂れ死んでしまうことだろう。
それも悪くない。よく分からない感情からはそう聞こえる。
はしゃぎきった女たち2人は、とりあえず近くのベンチに座る。
最後の水を2人で共有して飲みあってひと段落。
「はー、楽しかった!」
心の底からよかったと思えるのはきっと1人だけではないから。
ちらりと見た横顔は、少し不安に満ちていた。
「よかったんですか? こんなことして」
「いいの。さっきも言ったけど、今日は終末だし」
「週末みたいなノリで言わないでくださいよ」
「週末は散財するものでしょ?」
「そうかもしれないですけど!」
言いたいことがそうではないのは分かっている。
だからあえて口にはしなかったけど、マナちゃんはそれを許してはくれないようだ。
「私とでよかったんですか?」
「…………言ってくれたでしょ、死ぬまで一緒にいてほしいって。あれ嬉しかったんだよ」
きっとそれ以上の意味はない。
女子高生特有の勘違い。この人が運命の相手なんだと錯覚してしまう、ただの呪い。
それがたまたま世界の終わりが重なっただけ。私じゃなくても、よかったかもしれない。
彼女には彼女を受け止めてくれる人が必要だった。
それが親や兄弟。はたまた赤の他人。それが私だっただけで。それ以上の意味はない。
でも偶然を運命と例えるなら、それも悪くないと思えるわけで。
「変な話ですね。世界が終わるのに、新しい関係が生まれるなんて」
「人間、そんなもんなんだよ。宇宙に行った人たちはこれ味わえないなんて、もったいない」
「ですね!」
きっともうすぐだ。
あの黒い影が雲を突き抜けて地上に到達するまで、あと数分程度。
言い残したことはあるだろうか。伝えておきたいことはあるだろうか。考えておきたいことはあるだろうか。
それらすべては、イエスだ。
「ありがとうございました。最後まで、一緒にいてくれて」
「うん、私も」
ベンチに座る私たちの手が重なる。
つやつやしていて、柔らかくて、張りがあって。若いっていいなぁ。私にもこんな時期があったのだろうか。
何事にも意欲的で、生きる意味があって、それで夢破れても立ち上がるだけの力がある。
今の彼女そのもの。失恋しても、新しい出会いがあった。それが私は嬉しくてたまらない。
――私が?
「あ……」
「どうかしましたか?」
覗き込む彼女の顔は世界の終末なんかより、私のことを心配していて。
この言葉は、墓まで持っていってもよかったのかな。でもお墓も一緒に壊れちゃうしな。だったら、今言っちゃっていいか。
「私さ。今気づいたことがあるんだ」
なんですか、それは? と問いかけるマナちゃん。
世界が刻一刻と終わりに近づいているのに、私はそんなことよりもマナちゃんの顔を見ていた。
「恋をするって感覚。こんな感じだったなーって」
「……え?」
光が落ちてくる。雲を切り裂き、天を焦がし。大地を裂かんがために。
まぁそれでも、最後に伝えられたし悔いはないかな。
あ、でも。1つ悔いがあるとすれば……。
「もうちょっと、そばにいたかったな」
生きる理由はいくつかある。その1つが、今見つかっただけ。たったそれだけだ。
世界がもうちょっと続くのなら、もっといろんなことがしたかったなぁ……。
そして世界は、光に包まれた。
隕石が落ちてくるまで、およそそばにいたくなるくらい 二葉ベス @ViViD_besu
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