第7話 白い手

 あの日から3日──だが、あれから竜には、再び会えていない。


「…そんな事を、竜くんが…?」


 乾一さんには竜が話してくれたことの一部始終を話した。もちろん、竜が俺の事を『恭平ではない』と断言した件については言っていない。なぜなら今それを告げたとしても、熱に浮かされた竜が勘違いしたのだろう、と軽くあしらわれて終わりになるのは目に見えていたからだ。


 だが、それでもどうしても俺は、竜が言い残した『あること』が気になって、これだけは他の兄弟達にも知っておいて欲しかった。


 あの時、突然、容体が悪化した竜は、苦しい息の下、それでも切れ切れの言葉で俺に忠告してくれたのだ。


「白い…手の、女…気を付けて…」


 危険だ、と、言外に込められた竜の言葉に、俺は、言い様の無い恐怖と衝撃を覚えた。


「なんでそれを…?」


 夢の中の女。縋りついてくるような白い手。

 嫌悪と恐怖をしか覚えない、夢の中の顔のない女。


 俺は、あの夢のことを兄妹の誰にも話していない。

 正直『ただの夢だ』と思うから黙っていただけだが、それをなぜ初めて出会ったはずの竜が知っていたのか。そして『気を付けろ』とはいったいどういう意味での警告なのか。


「夢の女が危険…?」

「なんでしょう…気になりますね」

 食卓に竜を除く全員が集まった時を狙って、俺は、竜が口にした言葉を皆に切り出した。ついでに、俺が恭平として目覚めて以来、ずっと悩まされていた白い手の女の夢についても。

「女のお化けかな?」

「ストーカーとかじゃないの?」

 弟達は呑気な調子で冗談っぽく話していたが、乾一さんは相談した俺が少し引いてしまうくらい真剣な顔で、最後まで夢の話を聞いてくれた。それからしばし何ごとか考え込んでいたが、結局、申し訳なさげな顔で今は竜に会わせてやれないと首を振る。

「竜くんに聞いてあげたいですけど…あれからずっと眠ったままなんです」

「………そう、なんですか」

 会えても話を聞けないのでは意味がなかった。

 残念ではあるけどそれより何より、眠ったままという竜の様子が気にかかる。病院へ連れて行った方がイイのではないか?それが無理だと言うなら、せめて医者に往診を頼んでみるとか。

「竜くんのことは心配しなくても大丈夫。けど、それよりも恭平君こそ気を付けてください」

「え…………?」

「あの子が危険だと言うなら、本当にその『白い手の女』は危険なんです。ひょっとすると恭平君に害をなす存在かも知れません」


 まさか。そんなことある訳が。

 ただの夢なのに。現実で会った覚えもない女なのに。


「……はは、そんな……」

 『単なる夢なんだから、マジに脅かさないでよ』と明るく茶化しかけた俺だったが、乾一さんや他の兄弟達の真剣な表情や気配を察すると、そんなふざけた軽い言葉は口から出て来なくなってしまった。

「もし、変な女に絡まれたら、俺らに言うんだ。良いな、恭平?」

「あ……う、うん」

 ちょっと苦手に感じていた強面の真也さんが、ひどく心配げに俺の肩を両手で掴み、さらには俺の身を案じる言葉をかけてくれたのには少なからず驚いた。なにしろ大変申し訳ないが、俺、彼のこと『夢の話なんか、まともに取り合ってくれない人』だと、勝手にそう思い込んでいたからだ。

「……………」

 ひょっとしてこの人は、その強面の顔と体格の良さとで、損をしている人なのかもしれない。などと、初見の印象を脳内でほんの少しだけ改める。

「この商店街の周辺なら、顔見知りも多いことですし、そう心配することはないかも知れませんが…学校の行き帰りと、遠出する時は気を付けてください」

「あ……はい」

 邦彦さんは『念には念を』と食器棚の引き出しを開けると、そこからテレフォンカードを数枚取り出し、俺の手に押し付けるようにして手渡してくれた。万一の場合はこれで、公衆電話から連絡しろと言うことだろう。それを見ていたカオルくんが、ふいに何か思い出した顔で、

「こういう時さ~100年前まであったケータイ?スマホ?だっけ?あれがあったら良かったのにね」

 と、残念そうに言いながら、目には見えない何かを耳に当てる仕草をした。

 

 カオルくんの言う通り、100年前、G.Gが起こる前までは、持ち歩き出来るほど小さな電話機があった。


 だが、前にも言ったように、大災害後の混乱で失われた技術や知識は数多く、そのため、過去にあって未だ再現できぬ商品もまた、数え切れぬほどたくさん存在していたのである。

「ロスト・テクノロジーか……」

 携帯電話機──スマートフォンとか言ったか?それも、その失われた技術の内のひとつで、わずかに残された資料や遺物などを基に再現しようと、各国の研究機関で開発が続けられているようだが、成功したというニュースはどこからもまだ聞けていない。

 少し前にG.Gの特番で有識者とやらが言っていたが、100年前、電子機器のほぼすべてがオシャカになり、また、奇病で科学者や知識人も多く亡くなったこと──そしてさらに、災害後の混乱を収束するのに20年もの月日を要したことが、ロスト・アイテムを多く出すことになった要因なのだとか。


 ちなみに100年かかって復興した科学技術は、せいぜい日本で言うところの『昭和』時代まで。

 G.G前までの水準に戻すには、あと10数年はかかる見通しらしい。


「まあ確かに、ケータイあれば、なんかあってもすぐ伝えられるよな~」

「あれひとつで色々調べられるんだってね!凄いよね!」

「そんな便利なのあったら俺も欲しいな~」

「ええ。確かに。あと、カオルくんと空くんにはGPS?あれも必要ですね。どこで道草喰ってるか、何を食べ歩きしてるか、すぐわかりますから」

 無い物ねだりの空想をして楽しんでいた空くんとカオルくんは、乾一さんにやんわりとくぎを刺されると、2人揃ってばつが悪そうに『うへえ』と首をすくめたのだった。

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