第6話 竜

 あれから2週間ほどが過ぎていた。


 記憶は相変わらず、ちぐはぐなままだ。


 俺は、俺自身が「恭平」という人物とは「違う」と感じながら、しかし、他に何者にもなりようがないから仕方なく、そのまま「矢部恭平」を名乗って7人の兄弟達と共に生活している。


 学校へも通い始めた。

 ちなみに「恭平」は今年17歳で、高校2年生らしいが、その年齢と学年に対して違和感は覚えない。たぶん、俺自身が覚えている「俺」の年齢も、「恭平」と同じだからなんだろう。

 おかげで授業にもきちんとついて行けるのは助かった。クラスにも比較的すぐ馴染めたので、今の所、生活になんら不便を感じないでいられる。兄弟達とも、最初の頃よりは、よほど打ち解けてきた。


 要するに、この2週間の俺の生活は、ちぐはぐな記憶を除けば、かなり快適だったと言えるのである。


「ただいま…」

 兄達の経営する喫茶店は、客の入りも評判も上々で、売り上げもまあまあ良いようだ。学校でも「ハンサムな店長と美味しいコーヒーが飲める店」として結構話題になっている。商店街の人達からも好意的に迎えられたみたいだから、まずは順風満帆な出だしと言って良かった。

 店は通常、邦彦さんと、真也さん、乾一さんの3人が回していて、俺は、忙しい時の買い物くらいしか手伝っていない。下の弟達も同じく。母親みたいな立ち位置の乾一さん曰く「学生は勉強優先で」という事らしい。

『それに、恭平君、接客とか苦手そうだしね』

『……はは。お察しの通りです』

 まだ短い付き合いながら、そこら辺をすぐさま見破るのは、さすが接客のプロって感じだ。

「…手伝いが居るなら、内線で呼び出されるよな…?」

 今日も忙しそうな店内を、ウインドウ越しに見やりながら、俺は、店舗すぐ横の細い路地に入った。そして、建物の側面に設えられた住居用玄関から家の中へと入る。

「…ただいま」

 誰もいないのか返答はなく、家の中はしんと静まり返っていた。空もカオルも、アズサも帰っていないのか、それとも3人で遊びに行ったのか。

「珍しいな…?」

 家の方に誰も居ないなんて、ここ2週間では1度もなかった事だった。


 何故なら、まだ、1度も顔を見ていない弟…病弱だとかで部屋から出て来たことがない空の双子の弟「竜」の容態を、誰かしらが見ている必要があったからだ。


「……大丈夫なのかな?」

 自分の部屋にカバンを置いた後、俺は、気になって1階の「竜」が寝ているはずの部屋の前まで来た。

 容態が改善したら正式に紹介する、と言われたきり、未だ面通しさえさせて貰っていない弟。そこに勝手に踏み込むのは、何となく悪いような気がして、ふすまに伸ばしかけた手を止める。

「…………?」

 そのまま、部屋の前で室内の気配を探るが、人の声や気配はほとんど感じられなかった。寝ているのかも知れない、と、邪魔しないよう、そっと離れようとしたら、まるで待っていたみたいに室内から小さな咳する声が聞こえてきた。

「……えっと、あの、だ、大丈夫か?」

『………恭兄?』

 断続的に咳き込む声と一緒に、誰何する小さな声が聞こえてくる。思わず心配になってふすまを開けると、薄暗い室内に横たわる小さな影が見えた。

 この部屋は本来、空と竜の2人部屋であるらしく、部屋の中には勉強机や本棚の他に、2段ベットが置いてあった。その、下の段に「竜」と呼ばれる子供はいた。

「ええと…俺は…」

 誰何の声に応えようと、しどろもどろに口を開きかける。


 だが、しかし、次の瞬間俺は、初めて見る弟の姿に、驚愕のあまり声を失ってしまっていた。


「………っ!!」

 薄暗闇にもはっきりと映える青白い肌。全体に病人らしくやつれた感じはあるものの、そこにいる存在は、俺が、この世に生まれて初めて見る「奇跡的なもの」だったのだ。


 陶磁のような透き通る白い肌。濡れてるみたいに黒くつややかな髪。長い睫毛に彩られた黒曜石の瞳。幼いけれど整い過ぎるほどに整った貌は、『美少年』という言葉が恥ずかしくないほど相応しい。


 俺の形容詞に関する語彙が乏しくて、どうにももどかしくなるが、とにかく、そこに居たのは正真正銘、まごう事なき美少年──それも超1級、伝説レベルの──だったのだ。


『ええと…確か空と双子、とか言ってなかったっけ…??』

 脳裏にやんちゃなイタズラ坊主そのものな空の容貌を思い浮かべ、『全然似てねえ』とかなり失敬な事を考えながら、俺はまじまじと竜の容姿に見惚れてしまう。

 ほんとにもの凄い綺麗な子供だ。

 女の子ならそこらの男が一斉に一目惚れしても仕方ないくらい。

「えっと、俺は…その…」

 そんな呑気なことを考えつつ俺は、自分のことをどう説明するか?と言葉選びに四苦八苦する。


 恭平であって恭平でない。

 その事を、すでに兄弟の誰かがこの子に伝えているのか、いないのかが解らなかったからだ。


 病に伏す小さな子供に、余計な心配をかけるのも悪い。

 かといって堂々と自分も信じていないことを口にするのも、嘘を付いているようで後ろめたかった。

「うーん………」

 すると、そんな俺の気配を察してくれたのか、竜は可愛らしい顔で小さく笑って、

「聞いてるよ。恭兄、記憶を失くしてるって…だから、初めまして、僕、竜です」

「あ、え…あ、は、初めまして…」

 屈託ない竜の言葉に『なんだ、知ってたのか』とホッとする。

 そして布団の中から伸びてくる小さな手を、俺は、壊れ物みたいにそっと掴んで握手した。

柔らかくて、すべすべした竜の手は、意外にしっかりと俺の手を握り返してくる。

「……ああ」


 そうして彼は、彼の小さな手の感触に気を取られていた俺に、驚愕の言葉を発したのだった。


「ああ、ほんとだ。恭兄じゃない…」


「───えっ?!」

 竜は、驚いた風に大きな目をさらに見開くと、改めて俺の顔を凝視し…それから、何かを確信した様子で俺の事を『恭平ではない』とハッキリ断言したのである。


 そう。俺自身が疑い続けていた事実を、初めて肯定してくれたのだ。


「……え?、な…?え、今、なんて…??」

「…は、強い…ね、本当の……だ…」

 どういう事だ?この子は、何を知っている!?

 もしかして、知っているのか?俺の事を。


 俺だけが知っている、知っていた筈の、本当の俺の事を!?


「…りゅ……!?」

 聞きたい。もっと詳しい話を。

混乱しながらも俺はそう焦ったが、竜の様子は見る間に悪化していた。

「あ…あっ、ウ……っ」

 気が付くと竜の白い顔には、大粒の汗が浮かんでは流れ落ち、肌の色も白から青へと変貌していた。

「う…くっ、ううっ」

 小さな竜は苦しみに喘ぎつつ胸を押さえ、それでも必死に何か喋ろうとしていたが、すでに声すらまともに出ない様子でせき込み始めていたのである。

「おい、だ、大丈夫か!?」

「…………」

 連続する激しい咳込みの合間に、ぼそぼそと小さく囁いたのを最後に、カクリ、と、竜は気を失ってしまった。そんな彼の異常な様子を見て、さすがに自分の事を気にしている場合ではないと判断した俺は、慌てて部屋を出ると他の兄弟を呼ぶために廊下を駆け出した。


「どういう事だ…どうなってんだ…俺は…俺は…!?」 


 けれど、兄弟に知らせに走る間も、そして、その後になってからもずっと、竜の言葉が…『俺は本当は何者なのか』という疑問は、俺の頭の中から離れる事は無かった。

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