第3話 GG~グレイトオブグリーン~
「…とにかく一旦、皆、下へ降りましょう…話の続きは、朝食を食べて、それからです…ね?」
一番年長らしい男が静かにそう言って、記憶の事で頭を抱えて悩み始めた俺を階下へと誘う。すると、他の兄弟達は素直に彼の指示へ従い、俺に気掛かりそうな視線を送りながら、順に部屋を出て階段を降りていった。
しかし、
「…………」
俺は、どうしたら───?
室内から1人、また1人と消えていく人影を見送りながら、俺は、俺1人だけは身動きできずに、ただひたすら困惑し続けていた。
そんな俺の戸惑いを、気配からでも察してくれたのか、年長の男は、もう1度やんわりと俺を促してくれる。
「解らない事は、今、無理に考えたってどうしようもありません。だから、さあ、君も」
「……は、はい」
確かにそうだ。彼の言う事は正しい。ここで1人悩んでたって、都合良くすぐに記憶が戻るとは限らない。
まずは情報が必要だ。
とにかく、今この現状を、正確に把握するための情報が欲しい。そしておそらく、俺の欲するそれらの情報を、彼らなら知っているはずなのだ。
俺を、自分らの『兄弟』だと呼ぶ彼らなら。
「そうですね…とりあえず先に私達の自己紹介をしましょうか?」
気まずい空気の中で朝食済ませた後、ことの初めから場を仕切っていた年長の青年が、なんだか自信無さげにそう呟いて周りを見回した。それから、ゆっくりと口を開いて、俺に向かって自己紹介を始める。
「…まずは私、この『矢部家』8兄弟の長男で家長の邦彦です」
気弱げにニコリと笑った『邦彦』さんは、背中までの長髪を緩く結び、タレ目でボーっとしていて、何となく眠そうな雰囲気の男だ。まだ24歳と若い長男の彼が『家長』というからには、この『矢部家』には両親がおらず、8人の兄弟だけで構成されているということだろう。
「自信持てよ、兄貴。つーか、もっと保護者らしくできねーのか?ったく」
その隣りに立っていた背の高い男が、呆れた様子で悪態をつく。俺はつられて男を見たが、こちらは三白眼で目付きが悪く、凄まれるとかなり恐そうな感じだ。ていうか、目線が合った途端ギロリと睨まれた。怖え。
「…………」
体格が良いからスポーツでもやっていそうなものだが、どうもそんな雰囲気がしないのは、全体に暗いイメージがあるせいかも。それはいいとして、この人、俺のこといつまで睨んでる気なんだろ。黙ったまま自己紹介もしてくれないし。うう、いたたまれない。
「あ、すみません。彼が次男の真也くんです」
「……おう」
「あ、ど、どうも……」
困惑していたら気配を察してくれたのか、邦彦さんが代わりに紹介してくれた。ドスの利いた声に内心ドキッとしながらも、俺は慌てて真也と紹介された次男の彼に会釈する。今年22歳の彼は現在大学4年生で、何と医者を目指しているらしい。顔の作りは良いけど、なんか怖い医師になりそうだ。
「それから次は……」
と、こんな調子で次々と、俺の『兄弟』とやらを紹介され、俺は、それにひどく恐縮しながら、ギクシャクと機械的な挨拶を返していった。
「なんだか変な感じですね。兄弟に紹介されるのって」
俺の隣でそう呟いたのが、三男の乾一さん。彼は女かと見紛う美青年で、色も白く、掘りが深くて、とても日本人離れしていた。20歳。次男と同じく大学生。
そしてその隣で、興味深げに俺を覗き込んでいるのが、最初に部屋へ飛び込んできた少年で、五男の空くん。
「ホント、なんか変な感じ」
初めて見た時はそれどころではなかったが、改めて見ると、くりっとしたどんぐり目と、そばかすの浮いた彼の顔は、独特な愛嬌に満ちていて人好きする感じだ。コミュスキルも高そうな10歳。
「記憶喪失なんて、ドラマん中くらいしかないと思ってたし」
左隣りに座っていた七男のカオルくんが、なんだか楽しげな口調でそう言った。
先刻、俺が跳ね除けた『手』の持ち主は、ちょっと生意気そうな顔で、テーブルに頬杖を付いて見上げてくる。子供ながら将来有望そうな美少年9歳。
「………」
そして最後が、この場で唯一の女の子。日本人形のような美少女でもある末っ子長女のアズサ…ちゃん。
髪は肩までのショートボブ、白くて小さな顔、黒目がちの大きな瞳と、無口そうな質も手伝ってか、本当に人形のような女の子だった。7歳。って、待てよ?んん?数が合わないぞ。
「あと、空の双子の弟で六男の竜くんがいるんですが…彼は、昨夜から熱が高いので、元気になったら会ってやって下さいね」
「……ああ、それで1人足りないと…」
室内を見渡した俺の視線に、邦久さんが気付いて、俺の疑問を晴らしてくれた。
「ええまあ。こちらに来てからは、ずっと床に伏せてて……でも、きっとすぐ元気になりますから」
「…………」
周りの言葉を信じるなら、目の前の彼らも、病弱な竜と言う子も、自分と血の繋がった兄弟達と言うことになるだろう。しかし、正直な感想を述べると、彼らはなんとも似てない兄弟だった。ここに居ない子を除いても、誰1人として似たところがない。
そのせいもあって、今の俺は、彼らを兄弟とは思えなかった、だからという訳でもないと思うのだけれど、竜と言う子の病気に対しても、まるで他人事のようにしか感じられずにいる。
「平気だってば、恭兄。竜は強いんだから、あれっくらいで参ったりしないよ!!」
下を向いたまま黙っていると、空くんが明るい声で励ましてきた。
どうやら『自分は記憶と一緒に、人間らしい思いやりも失くしたのではないか』そう考えて暗くなっていた俺を、ここにいない弟の心配をしているものと勘違いしたらしい。
「……ああ、うん」
そんな空くんの勘違いに気付いてはいたが、俺は、ほとんど上の空で生返事を返してしまった。なにせ、この時、まだ俺は自分の事に精一杯で、他人の事など構っている余裕は無かったのである。
その後、彼ら兄弟(俺も含む)の現在の状況と、ここまでの経緯や家庭の事情とやらを聞かされた。
「私達が君に伝えられる事は、これくらいです」
「…………」
両親は事故で死亡したこと。
兄弟の他に身寄りは無いこと。
そして、店舗兼住居のこの家は、なけなしの遺産で購入し、来週から店舗部分で邦彦さん、乾一さんの2人で喫茶店を開業する予定だとか、俺を含む下の兄弟は、明日から新しい学校に編入予定だった、などなど───
「…………」
結果から言うと、それらの情報は、やはり、俺にとっては、まるで身に覚えも、聞き覚えもない、初めて耳にする情報である事に変わりなかった。
「ちょっと喉が渇きましたね…休憩してお茶にしましょう」
「君はテレビでも見ていてください。何か思い出す事があるかもしれませんし」
「あ…は、はい。すみません……」
キッチンへ入っていく乾一さんと邦彦さんを、恐縮しながらも見送りつつ、俺は居間のテレビに向き直った。すると、空くんとカオルくんが、当然のように俺の左右へ陣取りながら、
「テレビって言ってもね。こんな時間じゃ、ニュースとか再放送のドラマばっかじゃない?」
「しょーがないだろ。平日の昼だぞ」
「あ、時代劇やってる。それにしようよ」
「えー。やっぱ再放送じゃん。しかも、俺、この話見たぞ!?なあ、他のにしよーぜ?他の!!」
などと、他愛ない会話を交わし始めた。俺から見る2人の様子は、とても和やかで、俺の記憶が無いことも忘れきってるかのようだった。
というか、たぶん、完全に失念してる。なにせ現に、
「恭兄はどっちが良い?」
などと、ぼんやりしている俺へ、ごく自然に話を振ってきたりするし。
「え、俺?…俺は、別に……」
「ニュースにしようよ。ニュース!!」
カオルくんはよそ見した空くんからリモコンを奪い取り、素早くチャンネルをニュース番組に合わせてしまった。空くんは不満げだが、大人しく俺の隣でテレビを見始める。
『…復興大祭まで、あと2ヶ月と迫りましたが…』
モニターに映し出されたニュースでは、この夏開催される『復興大祭』の話題で持ちきりだった。
「復興大祭かぁ…俺、お祭って大好き!!」
「騒がしいの、大好きだもんねえ」
「……G.Gからもう百年、かぁ…早いね」
2人のはしゃぎ声を上の空で聞きながら、俺は自分の記憶をまさぐっていた。すると、話題の『G.G』に関する知識は、苦労せずに脳内から引き出されてきた。
『G,G』~グレイトオブグリーン~とは、今から百年前に全地球を襲った、未曾有の大災害の事である。
2020年7月某日。日本では夏の暑さも本格的になり始めたその日、予期せぬ最初の悲劇は起こった。
それは、原因不明の伝染病であった。
現在『デッドエンド』もしくは単に『Z』と呼ばれているその伝染病は、前触れも無く人を襲い、感染した者すべてを例外なく脳死状態へと陥れる。
全世界へ広がったこの未知の病によって、当時の世界人口の3分の1が失われ、それまで培ってきた文明も、多くの有識人と共に、その1部を完全に失ったとされていた。
そして、何が起こったのかさえ解らずに、しかし、それでも何とか生き残った人類を、さらなる大異変が待ち構えていたのだ。
『大自然の大いなる報復』とも言える、超、超常現象。
『審判の日』~グレイトオブグリーン~である。
病に倒れ、血を流し、途方に暮れる人々の前で、見る見る育っていく巨大な森。大地に覆い被さるアスファルトを、小賢しい人類の知恵と共に突き破り、地球全土を緑で埋め尽くす植物。
あたかもまるで、美しかった『原初の地球』を、取り戻そうとするかのように。
それまでの常識では、到底信じられない現象。
前触れなき植物の自然発生と、その異常成長、および大増殖。
それが世界中で同時に起こった大異変『G.G』の正体だった。
蹂躙され続けてきた植物の報復、もしくは、それでもなお、地上の生物を護ろうとする植物の大いなる福音。
これによって人類は多くの人命、文明の一部と、他に、その生活圏の半分をも失う事となったのである。
自分の事は何1つ覚えていないのに、こういう事だけはきちんと覚えているというのも、また少し変な話だ。
けれど、とりあえず、現在の世界について何か1つでも覚えていた事に、俺は少なからずホッとしていた。
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