第2話 記憶

「兄貴~なにふざけてんだよ?」

 俺の事を『兄貴』と呼び、親しげにじゃれてきていた子供の1人が、冗談でも聞いたみたいな顔をしてそう言った。もう1人の子供も、楽しそうにケラケラと笑って俺の顔を見ている。

「だから、誰なんだよお前ら!?俺には弟なんか…兄弟なんていないって言ってんだろ!?」

 俺はごくごく真面目に誰何してるのに、子供らは悪い冗談と捉えて真剣に取り合おうとはしない。2人とも俺の言葉を信じるどころか、ますますおかしげに声をあげて笑ってしまった。

「もう、朝から笑わさないでよ」

「ホントホント。兄貴、ふざけ過ぎ」

 駄目だ。まったく話にならない。

 もどかしさで苛立つ俺に気付きもせず、笑い過ぎで目尻に涙を浮かべた子供が俺に近付いてくる。

「兄さん、悪ふざけもその辺にしてさ、早くご飯食べに行こうよ?」

 差し出すように近付いてくる小さな手。それが、まるで、あの悪夢の続きのようで───

「やめろっ、近寄るな!!」

 俺は、生々しく甦ってきた恐怖に突き動かされ、反射的に、その手を跳ね除けてしまっていた。

「……えっ?」

 咄嗟の防御反応。

 しかし、お陰で子供らは、俺の感じているこの、異様な事態に気付いてくれたらしい。

「に…兄さん!?」

 俺の過剰な反応を見て、手を跳ね除けられた子供は、ビックリした表情を浮かべながら凝固し、後ろで見ていたもう1人の子供も、笑みを顰めて異常に気付いたような顔をした。

「兄さん……ね、熱でもあるんじゃ…」

「だから!!俺は兄さんじゃない!!」

 冗談なんかではない事を知って貰うには今しかない。気配でそう察した俺は、たたみ掛けるように俺の知る『真実』を吐き出した。

「お前らなんか知らないし、全然見たこともない!!最初から俺に兄弟はいないって言ってるだろう!?何度言えば解ってくれるんだ!」

「………っっっ!!」

 すると、2人の子供は互いの顔を見合わせ、ひどく慌てた風情で部屋を飛び出していった。やっと通じたか。わずかにホッとする俺を置いて、廊下を走りながら子供らは大きな声で叫んでいた。

「兄ちゃん!!兄ちゃん!!兄貴が大変!!!」

 遠ざかっていく足音と共に、子供らの助けを呼ぶ声が響く。その声を聞きながら俺は、彼らの他にまだ兄弟が居るのか!?と、今後の展開を想像してうんざりとした。



「じゃあ、本当に君は、恭平君ではないと言うんですね?」

「恭平…いや、そんな名前じゃない…俺は…」


 想像していた通り、あの後、軽くパニックに陥る騒ぎとなった。


 どうやら彼らが『彼らの兄弟』と思っている『俺』は、恭平と言う名の18歳の少年で、8人兄弟の上から4番目に当たる人物らしい。

 8人───そう、なんとさっきの子供2人の他に、兄弟と名乗る人間が5人もいたのだ!!慌てた子供らが助けを呼んでいたから、登場人物が1人2人増えるのかと軽く考えてたのに、いくら何でも一気に増えすぎだろ!?

 おかげで、ついさっきまで俺のいた部屋には、ぞろぞろと見知らぬ顔が集まってきて、蜂の巣を突いたみたいな大騒ぎとなってしまったのである。

「恭平!?てめぇ、どうしちまったんだ、いったい!?」

「恭兄、おかしくなっちゃったの!?」

「熱は無いですね?どこか頭を打ったとかは…」

「皆、落ち着きなさい!!恭平君が混乱するじゃないですか」

 先の子供2人から知らされてやって来た新たな顔は4人。今から思うと1人顔ぶれが足りないが、その時は周りに何人居るかなんて数えている余裕は無かった。

 しかし、周りがそうやってパニックになっている分だけ、俺は少し冷静になる事が出来た気がする。俺は、とにかく彼らが落ち着くのを待って、自分の言いたい事をすべて整理して話そうとした。

「悪いけど俺はあんたらの兄弟の『恭平』って奴じゃない。その証拠に、名前だってきちんと憶えてるんだ。俺は…俺の本当の名前は………」

 だが、その時になって俺は、大変なことに気が付いたのだ。

「名前…??あれ?……名前…俺の…名前は!?」

 覚えてない。記憶が無い。

 え、でも、変だ。そんなの、おかしい。

「……なんで…!?」

 だって、あの和室で目覚めた時、俺は確かに覚えていた気がするのだ。

 名前とか、年とか、本来の俺、その素性のすべてを。

「…………ッッ!!」

 そう、ふと気が付くと俺は、覚えていたはずのことまで忘れてしまっていた。自分に『兄弟が居ない』と言う事実は、今もきちんと覚えているのに。何故か、ほんのついさっきまで覚えていたことが、記憶からすっぽり抜け落ちてしまっていたのだ。なにもかも、すべて。

「なんで………!?」

「恭平君……ッ」

 黙って見守っていた『兄弟』らが、血の気の引いた俺の顔を見て、心配そうに声をかけてくるまで、俺は、まるで世界から弾き出されたような恐怖に、呼吸することすら忘れていたのである。

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