第2話 この弟子は手に負えない
最近、弟子が口うるさい。
やれちゃんと飯を食えだの、長湯するなだの、夜更かしするなだのと、喧しいことこの上ない。魔法書の解読や新しい呪文の研究に没頭して寝食を忘れるなどよくある事だ。寝不足で入浴し、湯船で寝落ちすることもしょっちゅう。
もちろん仕事は完璧にこなしているし、弟子への魔法の指導を怠っているわけでもない。それ以外の時間をどう過ごそうと私の勝手だと思うんだが。言い返しはするものの、悲しいことに弟子の言い分の方がよほど正論で、かつあの緑の瞳にじっと見つめられると二の句を継げなくなる。それがまた腹立たしかった。
――こんなはずではなかったんだが。
***
先刻、私宛に一通の手紙が届いた。中身は見合いの釣書だ。いわゆる結婚適齢期はとうに過ぎているが、何故か私のところにはやたらとこの手の話が来る。おそらく強い魔力を持った魔法使いの血を絶やすのは勿体無いとでもいうのだろう。万に一つでも私に子が出来たとして、子が魔力を宿している保証は無いのだが。そんなものに興味も関心もない私はその都度無視してきたが、今回は少々相手が悪かった。西の賢者が直々に手紙をよこしてきたのだ。しかもわざわざ運び屋のジャックを使って、今すぐ返事を書けと要求された。
誠に遺憾ながら、この西の地方一帯を統べる大魔法使いである西の賢者には、我々が暮らす屋敷を手配してもらったり、仕事を回してもらったりと、大変世話になっている。そんなわけで今回ばかりは無視するわけにもいかず、その上、ジャックがわざわざ弟子がいる場で手紙の内容を告げたため誤魔化しようもなく――その場で断りの手紙を書く他なかった。
見合いの話は弟子の耳には入れたくなかった。こいつは私に対して必要以上に恩義を感じているようだから、自分がいるせいで私が結婚できないとかまた馬鹿なことを言いだしかねん。そんな面倒ごとは真っ平御免だ。しかし、どう言い繕ったものか。
「お前が気に病む必要はないからな」
「え?」
「その、な。お前がいるから見合いを断ったわけじゃないってことだ。私は、単に見合いも結婚もするつもりがないだけだ。だから、お前は何も気にしなくていいぞ」
なんだか言い訳めいた言い方になってしまったのは、見合いを断る口実に弟子の名を出したからだ。あれは不可抗力だった。現状、弟子が住み込みで修行中という以上に有効な断り文句が無かったので仕方なく、だ。
「そんなこと言われても、気にします」
弟子の拗ねた口調が、後ろめたさを感じている私を僅かに苛立たせた。
「だから」
パタンと音を立てて本を閉じると、つかつかと彼に歩み寄り、腕組みをしてその顔を見上げた。
「いらん気を回すな。お前のせいじゃないって言ってるだろ」
ここまで言っても納得しないのか、弟子はなおも膨れっ面を続けている。
はあ、全くもって面倒臭い。
だから嫌だったんだ、弟子にこんな話を聞かせるのは。私が見合いで結婚して弟子を途中で放り出すような真似をするとでも?
「だって――僕は」
「『僕は』、何だ?」
聞き返せばやや間を置いて、
「師匠、僕はあなたが好きなんです。僕の恋人になってください」
などと、何とも意味不明な言葉が耳に入って来た。
「……はぁ? コイビト、ってお前――」
一瞬思考停止したのち、急速に頭を回転させる。何から言えばいいのか、皆目見当がつかない。
――ふざけているのか?
いやいや、こいつはこの手の冗談を言うような奴ではない。
――どこぞの娘に惚れ薬でも盛られたか?
見目が良いこいつのことだ。あり得ない話ではないが、見た限り薬や呪いの類に侵されている様子はない。
――じゃあ何だ。この歳になっても独り身の師を憐れんでいるのか? それとも、やはり途中で放り出される可能性を気に病んで――私が頭の中で必死に言葉を探している間、目の前の弟子は何やらペラペラと勝手に喋っている。思考がまとまらないままでいると、
「……あの、師匠?」
突如、美しい緑の瞳が気遣わしげに私の顔を覗き込んだ。そこでようやく得心がいった。なるほど、憐れみの方だったか。
「……んだ」
「え?」
「リオン、お前は破門だと言ったんだ! 私はお前をそういうつもりで弟子にしたんじゃない‼︎」
「ちょ、ちょっと待ってください! 破門だなんてそんな、僕はただ、」
「もういい、聞きたくない」
「師匠!」
「出て行け」
自分でも驚くほど、地を這うような低い声が出た。
「師匠‼︎」
リオンは悲痛な声を上げるや否や、玄関先へはじき出された。私が怒りに任せて張った結界で叩き出したからだ。続けてバタン、ガチャンと魔法でわざと大きな音を立てて扉と鍵を閉める。苛立ちを抑えきれず、ゴン! とテーブルに拳を振り下ろしたものの、気が晴れるどころかますます憂鬱になった。
「ちっ。あーもう、何なんだよ……」
私は文字通り頭を抱え、とうとうテーブルに突っ伏した。
弟子なんてものは、魔法を扱う術さえ教えてやればいいのだと思っていた。
――一体、どうすりゃいいんだ。
***
六年前の冬、一人の子供を拾った。痩せぎすの身体には行き過ぎた量の魔力を、首と両手足の枷に封じられていた。
「私と一緒に来い」
手を差し出すと、子供はおずおずと小さな手を伸ばしてきた。
決して、善意からの行動ではない。その子供が持つ魔力への興味、そろそろ弟子を取る頃合いだという打算、そしてほんの少しの同情が、私を突き動かしたに過ぎなかった。
当時、私は剣士のエマ、傭兵上がりのオーウェン、運び屋のジャックと共に賞金稼ぎで食い扶持を稼いでいた。数年は四人で仕事をこなしてきたが、そのうちエマとオーウェンが賞金稼ぎを辞めて一緒になると言い出した。そこで我々が最後の賞金首として選んだのが、当時滞在していた国で最後の奴隷商人だ。人身売買が国際的に禁止されてから十年余り経った当時においても、闇市で奴隷取引をしぶとく繰り返していた奴は、魔道具を使って追っ手をかわし続けていたらしい。
師を仰ぎ修行を経た私にとってみれば、奴の術を破ることなんざ赤子の手をひねるより容易いことだったのだが──蓋を開けてみれば、魔道具を操っていたのは奴隷商人ではなく、その子供だったというわけだ。捕らえた奴隷商人曰く、その子供は先代が闇市で買ってきたらしい。普段は枷に埋め込まれた魔封石――その名の通り、身に付けた者の魔力を封じる石によって魔力を抑えておき、魔道具を使う際にのみ枷を外す。そうやって、魔道具の動力源として使っていたという。
子供を引き取ると言うと、エマとジャックは揃って難色を示した。無理もない。素性も知れない、魔封石で封じる必要があるほどの魔力を持つ子供なんて、曰く付きに決まっている。本来ならば衛兵か孤児院にでも預けて里親を探すべきなのだろう。しかしこの国において、魔法使いは異端の存在だ。未知の力は恐れに、恐れは排除に繋がる。だから、私がこいつを鍛え上げてやると決めた。無理に魔法使いを目指す必要はない。ただ魔力を搾取されるのではなく、自らの意思でコントロールできるようになればそれでいい。そしてこの場にいる者の中で、それを教えられるのは私だけだ。エマとジャックになんと言われようと、私は引くつもりはなかった。結局、最年長のオーウェンが執りなしてくれたおかげで、二人は不承不承首を縦に振った。
馴染みの医者の見立てでは、子供はおそらく十歳前後だろうとのことだった。
「今日からお前の名前はリオンだ。そして、今日がお前の十一歳の誕生日」
私の言葉を受けて、子供の表情が僅かに和らいだ。
「誕生日おめでとう、リオン」
物心着く頃から虐げられてきた彼にとっては、耳慣れない言葉だったのだろう。金の睫毛に縁取られた緑の瞳をパチパチと瞬かせた。
最後の仕事を片付けた一週間後には、隣国――現在我々が暮らしているクスム国へと発つ予定だった。保護したばかりのリオンを連れて隣国への旅程をこなすのは無理があるとオーウェンが判断し、エマと共に養父母役を買って出てくれた。自分が引き取ると言った手前、新生活を控えている二人の元に置いていくのは気が引けたが、他に案も無く。心配無いだろうが、何かあれば駆けつけると約束して、エマとオーウェンにリオンを託した。リオンは境遇の割に落ち着いた子供だった。枷を外してからも魔力を暴走させることはなく、従順に状況を受け入れた。しっかり食って体力を付けてから来いとリオンに告げた私は、当初の予定通り旅立った。
それからすぐクスム国に入り、この屋敷に移り住んだ。
屋敷に越して来てから二年ほど経ち、仕事も軌道に乗ってきた頃。ようやくエマとオーウェンがリオンに長旅の許可を出し、私は二年越しにリオンを弟子として迎え入れたのだった。
「お久しぶりです」
「ああ……見違えたな」
――たった二年で、ここまで変わるのか。
背丈が随分と伸びていた。癖のない金髪は綺麗に切り揃えられ、緑の瞳はキラキラと輝きに満ちており、出会った日とは顔つきがまるで別人だった。
「エマとオーウェン――両親のおかげだな」
「はい。
「それは頼もしい。魔法使いは身体が資本だからな」
預けていた間、エマが何度か手紙で様子を知らせてくれたが、想像以上の変化に面食らった。確かに、毎日のように剣や体術の稽古をつけたとは書いてあったが、養父母の二人は体力だけではなく、彼の精神力までもをきっちりと鍛え上げたようだ。
「実は……弟子をとるのは、初めてなんだ。不便をかけることもあると思うが、何かあれば遠慮なく言ってくれ。今日からよろしくな、リオン」
「よろしくお願いします――師匠」
人懐っこく笑う面差しは、どことなくエマに似ていた。
リオンの飲み込みの早さは目を見張るものがあった。そのひたむきさ故か、それとも新しい知識を得ることがそんなに楽しいのか。一つ覚えるごとに目を輝かせるので、教え甲斐もある。私が感嘆の声を上げると、一層嬉しそうな笑みが溢れた。思い返せば私自身、魔法を覚えるのが楽しくて仕方がなかった。修行を積めば積むほど、どんどんのめり込んでいったものだ。魔法があったから、私は今も生き長らえている。この弟子にも同じようにしてやりたい。いつしかそう思うようになった。
自分が教えたことをどんどん吸収していく様は、見ていて心地良かった。手をかけた庭木が一段と綺麗な花を咲かせたかのような、そんな気分だ。しかし、雛鳥はいずれ巣立つ。いつ独り立ちしてもいいようにと、指導は次第に厳しさを増していったが、リオンが根を上げる事はなかった。
リオンは、弟子入りしてからの四年間でその背丈をぐんぐんと伸ばした。今や彼の顎にようやく私の頭の先が届くほど。魔法使いとしても、私にはまだ遠く及ばないものの、そこらの同年代の見習い達に比べれば圧倒的な実力を有しつつある。
「彼、いい子ね」
いつだったか、西の賢者が満面の笑みでそう言った。あの日は確か、西の賢者に呼び出され、仕事の話をするついでにと御相伴に預かっていた。
「……はあ、まあ、そうですね」
悪い奴ではないが、最近は口が達者になってきて、煩くて仕方がない――と、喉まで出かかったせいで煮え切らない口調になってしまった。そんな心の内を見透かすように、彼女の瞳がきらりと光った。
「変わったわねぇ」
「そうですか? あいつは昔から人目を引く子供でしたよ」
艶やかな金髪に煌めく緑の瞳、整った顔立ち、加えて人好きのする笑顔。人目を引かない訳がない。
「いやあね、あなたのことよ」
「はぁ?」
私が? 変わった?
「ここに来たばかりの頃より随分と顔色が良くなったわね。可愛いお弟子さんのお陰かしら」
「それは……」
あいつのお陰と言えばそうだろう。殊勝な我が弟子は、毎朝日が昇り始める頃に起き、剣の素振りをしてから朝食の支度に取り掛かる。「僕が食べたいので」と、あいつが進んでやっている事だ。身体を動かすからか、単に若さか。基本的に朝は食べない私と違って、リオンは三食きっちり食べないと気が済まないらしい。私の分は必要ないと言っても、私が食卓に着くまで食べないという徹底ぶりだった。
多少の強情さは目に付くが、大抵の事をそつなくこなす上にあの見た目だ。街の娘たちが放っておかないだろうに。なんでまた、こんな一回り以上年嵩の、しかも師に対して恋人になって、などと馬鹿げた事を。振り返ってみたものの、弟子の思考回路の仕組みは到底わからなかった。
***
リオンを叩き出してから、どれくらい経っただろうか。ふと、結界に自分以外の魔力が触れるのを感じ、顔を上げる。瞬く間に結界が破られた。
「仕方ねえな」
大きく嘆息してから呪文を唱え、玄関の扉を開け放った。
「少しはやるじゃないか」
嫌味たっぷりに言ってやったのに、リオンはめげなかった。
「師匠って、何だかんだいって優しいですよね」
「はぁ? 何言ってんだお前。本当に優しい人間は弟子を放り出したりしないだろ」
本当に可愛げのない奴。これじゃあまるで私が悪者みたいじゃないか。
「申し訳ありませんでした、師匠」
「……何に対しての謝罪だ」
素直に頭を下げたリオンから、つい目を逸らしてしまった。
「あなたを怒らせてしまったので」
「言っておくが、お前に対して怒ったわけじゃない。こうなることを予測できなかった自分への憤りだ」
むかっ腹立てたのは確かだが、私もいい大人だ。しかも私は曲がりなりにもこいつの師だ。弟子に気を遣わせるなんて情けない。だから、ここは素直に謝罪の言葉を口にしておく。
「これは私の失態なんだ。すまなかった」
「どうして……」
何故かリオンが悲しそうな声を上げた。
「どうしてそんなこと、仰るんですか」
「お前は弟子入りしてからずっと、ここにこもりきりだったな。大した遠出の機会もなく、せいぜい街に使いに出る程度――そんなだから、お前は一番身近にいた私を異性だと勘違いしたんだろう」
ああそうだ。きっとそうに違いない。
「勘違いって、師匠は女性でしょう」
「お前のそれは、単なる、師に対する敬愛の情だ。それを恋情と勘違いしてるだけだ。こんな
そう、お前はどうかしてるんだ。こんな身なりに気も使わず、化粧っ気もなく、言葉遣いも乱暴な年増の私を今更女性扱いするなど。
「それに、私は恋人も結婚も興味がない。だからこの話はこれで終わりだ」
恋だの愛だの、どうせ私には無縁の話だからな。
「でも、お見合い話は今後も来るんじゃないんですか?」
「少なくとも、お前が成人するまでは来ないだろう。手紙にもはっきりとそう書いておいたからな。それに、来たとしても受けるつもりは毛頭ない」
リオンが成人するまであと一年。少なくともその間はやり過ごせるだろう。
「恋人も、ですか」
「しつこい奴だな、何度も言わせるな」
食い下がる弟子に怒りが再び湧いてきて、その顔を睨みつけた。負けじと弟子がこちらの目を見据えてきて、不覚にもたじろぐ。リオンの真っ直ぐな目に見つめられると怯むのは何故なんだ? 自分でもわからない。
「では、僕が成人して独り立ちしてから、あなたを振り向かせることができればいいんですね?」
悪びれもせずまだ言うか。どうせお前もいつかいなくなるくせに。
「やれるもんならやってみろ。どうせその頃にはお前の気も変わってるだろうがな」
「わかりました。僕が一人前の魔法使いになった暁には、改めて言わせていただきますね」
向けられた満面の笑みが憎たらしくて、思わず悪態をつく。
「……クソガキが」
「聞き分けの悪い弟子ですが、破門は解いていただけますか?」
「ああ、八つ当たりして悪かった」
いくら可愛げのない弟子だとしても、ここまで言わせてしまった自分も大人気ない。ただ「何馬鹿なこと言ってんだ」と笑い飛ばしてやればよかった。でも、こいつがあまりにも真剣な目でこちらを見るものだから。
「流石に西の賢者から直々に話が来たのは少し堪えたよ。普段から見合いはしないって言ってあったのに、手のひら返しやがって、あの人は全く……」
ブツブツ呟いていると、リオンがくすりと笑った。
「そろそろお茶にしませんか、師匠。昨日焼いたパウンドケーキがあるんですが」
そういえば腹が減っていた。
「食べる」
……断じて、食べ物で吊られたわけではないぞ。弟子が変な事を言い出したせいで、昼飯を食べ損ねていただけだ。
「でかい口を叩いてる暇はないぞ、リオン」
私はお茶を淹れながら、ケーキを切り分けるリオンの背に声を掛ける。
「あれしきの結界も解けんとは。明日は解除呪文をみっちり叩き込んでやるから、覚悟してくように」
「はい、師匠。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します」
手にした皿をテーブルに置いたリオンが、馬鹿真面目に深々と腰を折った。
まあ、もうしばらくは面倒を見てやってもいいか。
そう遠くない未来、笑って巣立ちを見送ってやろうではないか。それまでは徹底的に鍛え上げてやるから、覚悟しておけよ。
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