魔法使いの師弟

夢崗あお

第1話 師匠に告白したら破門されました

「師匠、僕はあなたが好きなんです。僕の恋人になってください」


「……はぁ? コイビト、ってお前――」


 普段の厳しい表情は何処へやら、気の抜けた声、呆気にとられた顔。その漆黒の瞳は、僕を見上げたままゆっくりと大きく開かれる。半開きになった唇は次の言葉を探しているそぶりを見せるが、なかなか出てこないようで──僕は沈黙に耐えきれず、口火を切った。

「僕があなたに弟子入りしてもう四年です。魔法使いとしてはまだ半人前かもしれませんが、僕ももう十七になりますし……あの、師匠?」

 勝手に口が回る僕に対して、師匠は俯き、沈黙を保ったままだ。腰を屈めて顔を覗き込むと、鋭い眼差しに射抜かれた。唇は固く結ばれ、眉間は皺を深く刻んでいる。

 師が怒っている。それも、かなりの高い温度で。僕は思わず一歩身を引いた。


「……んだ」

「え?」

「リオン、お前は破門だと言ったんだ! 私はお前をつもりで弟子にしたんじゃない‼︎」

「ちょ、ちょっと待ってください! 破門だなんてそんな、僕はただ、」

「もういい、聞きたくない」

「師匠!」

 気付いたときには、師匠が右手をかざしていた。

「出て行け」

「師匠‼︎」

 叫ぶと同時に、バチン! と派手な音を立てて玄関先に放り出された。師匠が張った結界に弾き出されたのだと瞬時に理解する。


 ええと。僕はリオン、見習い魔法使い──だったけど、たった今師匠に告白して、破門されました。


 断られることは想定内。でもまさか、破門まで言い渡されるとは。弟子入りのとき、『例え魔法の道を諦めたとしても、成人するまではここで面倒を見てやる』って言ったくせに。それに、人の真剣な愛の告白に対して『はぁ?』はないんじゃないんですかね、師匠。僕は少しばかり苛立ちを交えながら、玄関扉をドンドンと激しく叩いた。

「師匠! 開けてください、師匠! 」

 当然ながら返事はなかった。駄目元で開錠の呪文を唱えてみたが、うんともすんとも言わない。右手を扉にかざしてみると、家全体に結界が張られていることがわかった。触れるけど、開けられない。いてもいいけど、中には入れてやらない、ということだろう。結界を破ろうと試みたものの、何度やってもビクともしない。


 僕は大きなため息を一つついてから、扉にもたれて腰を下ろした。

「……雨じゃなくてよかった」

 空を仰ぎ雲の流れをぼんやりと眺めていても、頭に浮かぶのは師匠のことばかり。

 気付けば、初めて出会った日のことを思い出していた。


    ***


 十一歳の誕生日、僕は師匠に拾われた。奴隷商人によって道具のようにこき扱われていたところを、師匠達が救い出してくれたのだ。

「私と一緒に来い」

 僕へ向けられた力強い黒い瞳が、未だに目に焼き付いている。差し出された白い手を恐る恐る取れば、迷うことなくぎゅっと握り返された。


 僕を暗闇から引きずり出してくれたその人は、自らを魔法使いだと名乗った。僕がどれくらいの間、奴隷商人の元にいたかはわからない。ともかく、師匠が見つけてくれた日が僕の十一歳の誕生日になった。師匠は僕を『リオン』と名付け、じきに養父母に──二人とも、師匠と共に僕を救ってくれた仲間だ──僕を預けて旅立った。養父母は実の親のように、という表現が正しいのか、親のいない僕には分からないが、本当に暖かく僕を迎え入れてくれた。二人からは読み書きや剣術・体術等、必要最低限の生きる術を学んだ。痩せぎすの体がだいぶ肉付きを取り戻してきた頃、ようやく魔法使いへの弟子入りを許されたのだった。

 二年ぶりの再会の日のことも、鮮明に覚えている。

「お久しぶりです」

 あの日、師匠は初めて会ったときと何一つ変わらぬ姿で僕を出迎えてくれた。

「ああ……見違えたな」

 師匠は驚いたように目を丸くして、それからゆっくりと目を細めた。その口元は僅かに綻んでいる。

「エマとオーウェン──両親のおかげだな」

「はい。養父とうさんと養母かあさんには随分と鍛えられましたから」

「それは頼もしい。魔法使いは身体が資本だからな」

 師匠はうんうんと頷いてからふと目を伏せて、実は、と言い淀んだ。

「……弟子をとるのは、初めてなんだ」

 師匠がほんの一瞬、照れくさそうにはにかんだ。またすぐに表情を引き締めたけど、その一瞬の笑顔は、未だに脳裏に焼き付いて離れない。

「不便をかけることもあると思うが、何かあれば遠慮なく言ってくれ。今日からよろしくな、リオン」

「よろしくお願いします──師匠」

 握手を交わしたその手は、出会った日と同じように温かく、出会った日よりも一回り小さかった。


    ***


 そして弟子入りから四年が経とうとしていた今日、なぜ僕が師匠に告白をしたのか。

 話は僕が師匠の結界によって玄関先に叩き出されるより数時間前に遡る。師匠の元にとある手紙が届いた。その手紙を運んできたジャックもまた、僕を救ってくれたうちの一人──師匠や養父母の仲間だったらしい。今は運び屋をしていて、しばしば手紙や荷物の配達に訪れる。飄々として軽口を叩くこともしばしばだが、なんだかんだと師匠や僕のことを気にかけてくれる。僕にとっては、歳の離れた兄みたいなものだ。


 このときもいつも通りの調子で手紙を運んで来た。中身が何かを知っていて、だ。

「クロウ、お前宛。悪いが、今開けて返事を書いてくれ。火急の用なんだと」

「ふぅん、何だろうな」

 ジャックが手にしている封筒には、鮮やかな青色の封蝋が施してある。

「西の賢者からじゃないか! 何だってまた、わざわざお前が? 伝書鳥でも使えばいいものを」

 師匠が眉を顰めて首を捻る。西の賢者は、この魔法国家を統治する四賢者のうちの一人だ。四人とも相当な手練れの大魔法使いらしい。四賢者はそれぞれが対等の立場で、かつ四賢者より上の立場の者は存在しない。


 以前師匠がぼやいていた。西の賢者は少々いき過ぎた世話好きだが、今の家探しに助力してくれた恩があるから無碍にはできない、と。

 ……例え売られた恩が無くても、他国でいうところの王に匹敵する立場に手向かう者は、そうそういないと思うんですが。という言葉をかろうじて飲み込んだ当時の自分の選択は正しかったと思う。


「急ぎだから直接運んで欲しいと言われた。その足で返事を持ち帰れってな」

 怪訝そうな師匠の顔が、手紙を読み進めるうちに般若に変わった。

「お前、中身を知ってて届けたな⁉︎」

「まあな」

 ジャックがしたり顔で口角を上げる。

「別件で西の城に用があってな。たまたま居合わせた賢者様から、直々に言付かってきた」

「西の賢者様が、一体何の用事だったんです?」

 すっかり蚊帳の外にいた僕は、ここでようやく口を挟んだ。

「……見合いだよ」

 怒り心頭といった様子の師匠が手紙を摘み上げ、吐き捨てるように言った。

「明後日、北から来る魔法使いと見合いをしろと、そう書いてある」

「お見合い? 明後日⁉︎ また急な……」

 師匠が僕の知らない誰かと、僕のいない場所で談笑する様子が頭に思い浮かんだ。途端に胸の奥がざわつく。

「急でもないんだな、これが」

 師匠から鋭い目で睨み付けられたジャックは肩を竦めてかぶりを振った。

「リオンを弟子にして一年経つ頃からだったか? 方々から自薦他薦問わず、見合いの話が来るようになったが……毎度返事もせずに無視し続けただろ、お前。賢者様直々の見合い話なら流石に返事くらい出すだろうと、お節介どもは踏んだらしい」

 考えてみると、弟子入りした日から今日に至るまで、師匠の浮いた話は聞いたことがない。

 普段の師匠は、気は短くて口が悪く、身なりにも無頓着で化粧っ気はまるでない。


 それでも僕は知っている。

 僕を指導するときの真剣な眼差し、出会った日の強い瞳、白くて温かい手、そして、弟子入りの日のはにかんだ笑顔。きちんと手入れすれば存外に綺麗な、黒い艶髪。厳しい口調の割に面倒見が良くて、当の本人は気付いていない様子だが、街の人たちにも結構慕われている。僕一人で街に使いに行くと、弟子だと知った上で皆良くしてくれるのが何よりの証拠だ。

 見合いの話を知った瞬間の、胸のざわめき。その理由は単純明快──僕が師匠を誰にも取られたくないと、そう思ったからだ。

 

 僕が思い至らなかっただけで、いつ、誰と結婚してもおかしくないんだ──。


 僕が物思いに耽っている間に、師匠はさっさと返事を書き終えたらしい。

「じゃ、頼んだ」

「へいへい」

 師匠がジャックに「いいからさっさと行け」と、しっしっと追い払うような仕草をした。

「相変わらず人使いが荒いヤツだ。──リオン、悪いが剣の稽古はまた今度な」

「はい。お気を付けて」


「お前が気に病む必要はないからな」

 ジャックが去った後、師匠は手元の本から目を離すことなく口を開いた。

「え?」

 その言葉の真意がわからず問い返すと、師匠はこちらを見ようともしないまま、もごもごと言い淀んだ。

「その、な。お前がいるから見合いを断ったわけじゃないってことだ。私は、単に見合いも結婚もするつもりがないだけだ。だから、お前は何も気にしなくていいぞ」

 ──何だ、それ。

「そんなこと言われても、気にします」

 ついむっとして、拗ねたような言い方をしてしまった。師匠はそれを、親に対する子供のヤキモチのようなものだと捉えたらしい。

「だから」

 本を閉じた師匠が椅子から立ち上がる。こちらへつかつかと歩み寄り、腕を組んで僕を見上げた。

「いらん気を回すな。お前のせいじゃないって言ってるだろ」

 師匠は『仕方のないヤツだな』とでも言いたげにため息を零した。まるで幼な子を諭すような物言いだ。

「だって──僕は」

 あなたが好きだと伝えたら、師匠はどういう反応をするんだろう。

 呆れるだろうか。

 きっと断られるだろうな。

 それでもいい。今伝えておかないと、きっと師匠は気付かない。師匠が誰かのものに──手の届かない人になってしまう前に、僕の気持ちを知っておいて欲しい。

 今はただ、それだけだから。

「『僕は』、何だ?」

 僕は意を決して口を開き──結果、破門されたのだった。


    ***


 思い返してみると、師匠は終始僕を子供扱いしていた。あの人にとってみれば、僕は所詮、見習いの弟子なのだ。おそらく、本気で見習いの弟子を追い出すつもりはないだろう。

 となればこの結界は、見習いの弟子にでも破れるものなのではないだろうか。

 それに──僕はまだ、言いたいことの半分しか言えてない。

「よし」

 僕は腰を上げ、再び扉の前に立った。


 冷静になって考えてみれば、あの皮肉屋の師匠のことだ、正面突破できるような結界を張るわけがない。きっと何処かに破るためのヒントを隠しているはず。目を瞑り、両手を扉の前にかざして全神経を結界に集中させる。微かに結界の大枠が見えてきた。

 術式を三度、丁寧になぞっていくと──たった一つ、ごく僅かな綻びを見つけた。


 ここだ!


 結界の綻びに魔力を集中させると、ようやく結界に穴を開けることができた。すると、玄関の扉がひとりでに開いた。師匠が結界を解いたのだ。

「少しはやるじゃないか」

 部屋に入るや否や、師匠の嫌味ったらしい言葉が飛んできた。

 師匠はふん、と鼻を鳴らしたものの、纏う空気は口調に反して柔らかい。どうやら怒りは収まったようだ。

「師匠って、何だかんだいって優しいですよね」

「はぁ?」

 もし本気で放り出すつもりなら、遠い地へ転移魔法で飛ばすなり、強固な防御結界を張るなりすればよかったのだ。

 師匠は敢えてそうしなかった。結界の綻びも、おそらくわざとだろう。

「何言ってんだお前。本当に優しい人間は弟子を放り出したりしないだろ」

 その言葉には答えずに、僕は深々と頭を下げた。

「申し訳ありませんでした、師匠」

 師匠はちらりと僕を見やって、また目を逸らした。

「……何に対しての謝罪だ」

「あなたを怒らせてしまったので」

「言っておくが」

 そっぽを向いたまま師匠が言った。

「お前に対して怒ったわけじゃない。こうなることを予測できなかった自分への憤りだ。これは私の失態なんだ。……すまなかった」

「どうして……。どうしてそんなこと、仰るんですか」

 違う。僕はあなたに謝って欲しいんじゃない。

「お前は弟子入りしてからずっと、ここにこもりきりだったな。大した遠出の機会もなく、せいぜい街に使いに出る程度──そんなだから、お前は一番身近にいた私への感情を、異性に対する色恋のそれだと勘違いしたんだろう」

「勘違いって、師匠は女性でしょう」

「お前のそれは、師に対する単なる敬愛の情だ。それを恋情と勘違いしてるだけだ。こんななりの私を好きだなんて、どうかしてる」

 どうかしてるのはあなたの方だ。そう言うと、また口論になりそうだから黙っておいた。今、これ以上正面から向かっていっても跳ね除けられるだけだ。

「それに、私は恋人も結婚も興味がない。だからこの話はこれで終わりだ」

「でも、お見合い話は今後も来るんじゃないんですか?」

「少なくとも、お前が成人するまでは来ないだろう。手紙にもはっきりとそう書いておいたからな。それに、来たとしても受けるつもりは毛頭ない」

 この国の成人は十八。つまりあと一年か。

「恋人も、ですか」

「しつこい奴だな、何度も言わせるな」

 師匠が苛立ちを隠さずに僕の方へ顔を向けたことで、ようやく目が合った。たじろぐ師匠に構うことなく、しっかりとその目を捉える。

「では、僕が成人して独り立ちしてから、あなたを振り向かせることができればいいんですね?」

 師匠は小馬鹿にするように鼻で笑ったが、その表情は少し引きつったままだ。

「やれるもんならやってみろ。どうせその頃にはお前の気も変わってるだろうがな」

「わかりました。僕が一人前の魔法使いになった暁には、改めて気持ちを伝えます」

「……クソガキが」

 挑発には乗らず満面の笑みで宣戦布告すると、師匠がボソリと零した。


「聞き分けの悪い弟子ですが、破門は解いていただけますか?」

「ああ、八つ当たりして悪かった。……流石に西の賢者から直々に話が来たのは少し堪えたよ」

 ──八つ当たりの自覚はあったんですか。

 普段から見合いはしないって言ってあったのに、手のひら返しやがって。そうボヤく姿が可笑しくて、つい笑みが溢れる。

「そろそろお茶にしませんか、師匠。昨日焼いたパウンドケーキがあるんですが」

「食べる」

 即答した師匠の目がキラキラと輝いている。本当、色気より食い気なんだよな、この人は。養父直伝のレシピのおかげで、胃袋はがっちり掴んでいる。


「でかい口を叩いてる暇はないぞ、リオン。あれしきの結界も解けんとは。明日は解除呪文をみっちり叩き込んでやるから、覚悟してくように」

 ぴしゃりと言い放ったのは、いつもの険しい表情の師匠だ。負けじと心からの笑顔を浮かべ、深々と腰を折る。

「はい、師匠。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します」

 照れ隠しで結界を張る師匠には負けないように。

 一年後、絶対にその鼻を明かしてみせますから。


 覚悟しておいてくださいね、師匠。

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