第7話「在野の宗教学者による事古主についての言及」

そんなある日、在野の宗教学者だと名乗るどこか風変わりな男が教団本部を訪ねて来た事があった。

訪問のきっかけはやはり新聞や雑誌に掲載された貴巨の異形と教団の教義に関する興味であるらしく、男は事前にアポも取らず、直接教祖に会って話を伺いたい、と半ば強引に面会を申し込んで来た。

事務員が急な来客には対応しかねる、とやんわりとした姿勢で面会を断ろうとしても、男は会ってくれるまで何時間でも待つと居座り続け、仕方なく事務員からその連絡を受けた私が、教祖に代わってその男の応対に当たった。

世間の偏見を少しでも払拭したい思いから、面倒な来客といえど相手の素性も良く知らずに邪険な扱いは出来ないと思い、私は男を応接室に案内して、男が教団を訪れた目的を探った。

見てくれを気にする暇もないほど宗教学にのめり込んできたのか、着古した地味な背広に山高帽を乗せた初老の宗教学者は、病的なまでに青白く痩せこけた髭面を突き出し、ソファに腰を落ち着けていられないほど興奮した様子で「教祖はいつ来るのか?」と一刻も早く教祖との面会を待ち望んでいる様子だった。

その礼儀を欠いた言動や落ち着きのない態度には、何かを強烈に盲信している者が示す危うさのようなものがあり、私は男が教団に何らかの危害を加えるつもりで来た変質的な人物である可能性も考慮して男を十分に警戒しながら、努めて平静を装って応対した。

男ははじめ、幹部である私が取り次いでも教祖直々でなくては話にならない、と不満を漏らしていたが、私が先代教祖の頃から教団に関わっている古株だと知ると、いくらか態度を和らげて、持参した鞄から教団が発行している機関誌と、ファイルに入った幾つかの書類、それから随分使い古した大学ノートを取り出し、我が教団が崇める事古主について、その男が長年独自に研究して来たという未知の神々(男が”旧支配者”と呼ぶ)との比較を一方的に捲し立てた。

我が教団が崇める事古主は、その名にあてがわれた漢字の印象などから、一見すると記紀神話に登場する神名のようにも思えるが、これはヒサが自分に舞い降りた神を、記紀神話に倣った形で当てはめたもので、実際は”事古”(ことふる)という語感に近い想念をヒサが受け取ったものに過ぎない。

在野の宗教学者の男は、その”ことふる”に似た響きを持つ神の名が世界の各地にも存在すると、無造作に並べた書類の中からそれに該当する事例を幾つか示した。

南太平洋ポナペ諸島、アメリカ・マサチューセッツ州、南米ペルー、オーストラリア、アラスカ北部。これらの地域にクトゥルフ、あるいはク・リトル・リトルという呼び名の神を崇めている土着の信仰やカルト集団が存在し、互いに場所を隔てた地域にも関わらず、同一と思われる神話構造や儀式内容を共有していた。しかしその多くが異形の偶像を配した祭壇に人身御供を捧げるといった残忍な行為を伴うものであったり、陰鬱とした夜の暗い森や廃墟になった教会の地下などが祭祀場として選ばれ、人目を忍んで秘密裏に行われているのが常だった。

邪教と言ってもいい彼らの目的は、クトゥルフ神の復活にあり、かつて太古の地球の支配権を取り戻したクトゥルフ神による新たな時代の到来だという。

在野の宗教学者はどうもそれを問題視しているようで、このクトゥルフという特殊な神の持つ神格、または性質は人類が崇める対象として相応しいものではないと強く主張した。

人間が微生物に何の情も持たないのと同様に、クトゥルフ神は人類にとって無慈悲な存在であり、その禍々しい姿が誇る超越的な力は人類に恩恵を与えるどころか、計り知れない脅威をもたらすものになるという。

「アンタらは、人類の幸福のためだとか言って何の気なしに信仰しとるようですがね、私に言わせればクトゥルフに誑かされて、その復活の手助けをさせられとるにすぎんのですよ。これが行き着く先はこの世の地獄……」

男は根来之御魂教団の事古主もクトゥルフ神だと睨んでいたようで、教団が秘儀としている「事古主復活の儀」について教祖の口から直にその詳細を聞きたいと切に願っていた。

私は男が語るクトゥルフ研究に少なからず興味を覚えたが、あくまでこの在野の宗教学者独自の解釈に過ぎないとして、この時は到底受け入れる事が出来ないと、教祖との面会をきっぱりと断った。

男はその事にひどく腹を立て、貴巨の示す異形を揶揄したものか、「アンタら教祖の醜い顔、あれはクトゥルフの眷属である”深きものども”が示す顔だ。ルルイエに沈んで眠る太古の悪の体現だっ。手遅れにならんうちに復活の儀をやめさせねばならん。そのうち必ず犠牲者が出る事になるぞ」と騒ぎ立てた。そして男が「教祖を出せっ」となお居座り続けようとするので、私はこれ以上騒ぐと警察へ通報する、と男に警告した。男はそれで渋々手を引いたが、去り際にもし万が一クトゥルフが復活するような事態になったらと、私にある物を託した。

それは「セラエノ断章」と呼ばれる古文書のようなもののコピーで、そこにはクトゥルフに対抗する唯一の手段となり得る知識が記されていた。

私はこの事を貴巨の異形を表沙汰にした弊害の一つとして、その時はさして重く受け止めなかったが、後日、教団内で起こった奇妙な出来事がきっかけで、私は男の話が真に迫って来るような恐怖を認めざるを得なくなった。

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