第5話「手記による 折口ヒサの半生・続き」
ヒサと行動を共にするようになった私は、彼女が奉仕活動に専念出来るようにと、活動資金の工面や身の回りの世話をする事で、それを自分に与えられた本分だと思った。
日に日に彼女の奇跡の評判が世間に知れ渡って来るようになると、こちらが場所を選んで出向かずとも、救いを求める哀れな人たちは自ずからヒサを探し求めて集まり出した。戦後当時の世相には、ヒサの他にも霊能力者を語った人種による救済の動きがあちこちで見られたが、その多くは割の良い稼ぎ口として捻り出された詐欺紛いの行為が多く、祟りや神罰、または前世のカルマなどを不幸の原因だと持ち出して脅しては、効果のない祈祷や民間療法に紐づいた施術で高額なお布施を要求したりしていた。もちろん真剣に救済に取り組む霊能者もいたが、その力はヒサには遠く及ばない未熟な形で世に示された。
時にそんな連中が引き起こす事件や事故が飛び火して、我々の奉仕活動にも異端な能力者の奇跡に懐疑的な目を持つ世間から痛烈な批判を浴びせられたり、執拗な嫌がらせ行為による妨害を受けたりして順風ではなかった。
教団に転機が訪れたのは、関東ではよく名の通った任侠の親分がとある事をきっかけに教団に加入してからだ。
その親分の娘が、余命幾ばくもない末期ガンを医者に宣告されて思い悩んだ時、知人を伝って紹介されたある霊媒の女が、不届きにもヒサの弟子筋に当たる者だと語り、「もし娘さんの命が助からなかったら腹を切ってみせる」と豪語して心霊治療なるものを親分の娘に施した事があった。
ところが高額の謝礼を受け取ったにも関わらず何ら快復の兆候を見せないまま娘が亡くなってしまい、憤慨した任侠の親分が組員を動員し、血眼になってその霊媒探しを始める騒ぎになり、どこに行方を眩ましたか、その霊媒の女が見つからないとなると、組員たちがヒサの所へ殴り込んで来て、弟子の代わりに腹を切れとヒサに迫った。
しかし常に事古主の意のままに従うヒサは、この事態に対しても肝の据わった落ち着きのある姿勢を見せ、事の顛末を端から承知しているとでもいった涼しい顔で、自ら親分の所へ出向いていった。
同行した私は恥ずかしながら周囲を取り巻く組員たちの威圧的な風貌に萎縮するばかりで、事の成り行きを黙って見ているしかなかった。
ヒサにどういう算段があるのかまでは窺いしれなかったが、親分がいる組事務所に出向いたヒサは死に装束を纏った姿で親分の前に座した。
「親分さんのお怒りはごもっともでございます。弟子の不届きは全て私の責任でございます。ここへ来て四の五の申すつもりはありません。弟子の不始末を、約束通り一刺しの誠意でお詫び致しましょう」
私はヒサの血迷ったかのような一言に耳を疑った。いくら神に仕える者とはいえ、自分を利用して逃げた見ず知らずの人間に対して、何故そこまでしなければならないのか?
ヒサの救いを待っている人は大勢いる。こんな事で果てる命であっていいはずがない。
私は何かの間違いだと思いつつ、ヒサに「早まらないでくれっ」と懇願した。彼女の身を案じながら、何ら打開策が見い出せない自分が心底情けなく、ヒサに取り憑いた神の非情な性質をただただ呪うばかりだった。
「口出し無用ですよ、毅一郎さん。万事は事古主の意のままに」
ヒサはそんな私を宥め賺すようにそう言うと、組員が用意した匕首を恭しく受け取り、背筋を颯爽と伸ばしたまま、強い意思表明としてそれを頭上に高く掲げた。
数々の修羅場を潜って来たであろう親分の貫禄がどっしりと胡座を組んでヒサの行為を射るように見据えていた。その目には多少の驚きと共に、とくと見物だ、という好奇の色が滲んでいた。
異様な沈黙が続き、周囲が固唾を飲んで見守る中、ヒサが匕首の鞘を抜いてその白刃を露わにした。ヒサはさしたる覚悟を必要とせず、呻き声一つも漏らさずに、周囲が固唾を飲んで見守る中、一息で匕首の白刃を脇腹に突き立てて、真横に払った。清廉潔白を証明する死に装束がみるみる赤く染まっていったが、ヒサの姿勢はまったく崩れる事がなかった。私と組員たちが上げた一瞬のどよめきの後に、再び異様な沈黙が訪れ、ヒサと対峙した親分の好奇の色が目を見開いて、それが震える畏怖の念に変わり膠着していた。
「親分さんの望み通り、腹は切らせていただきましたよ」
軽い笑みを浮かべてそう言ってのけたヒサをその時親分がどう思ったのかは分からないが、深く頷いた後に、親分が「申し訳なかった」と一言ヒサに対するこれまでの非礼を詫びた。
またしても事古主の奇跡。ヒサは死ななかった。血は流れ、死に装束が赤く染まり、誰の目にも明らかに深手を負ったはずのヒサが、痛みを感じる様子もなく平然とそこに座していた。
私の目に非情な神として映った事古主は、世の建て替えの大事業を成すまでヒサに不死の力まで授けたという事なのか?
この衝撃的な一件が私たちには大きな転機となり、後に事古主の策として、意図的にヒサの人生に用意されたものである事を感じさせた。
関東で一大勢力を誇る組の親分が、表面的には依然としてその不動のカリスマ性を組員たちに示していても、ヒサの前ではその虚勢をすっかり改め、一人の信者としてその信仰に帰依していた。そして組のシノギから出た潤沢な資産を、教団設立のために提供したいとヒサに提案し、それまで頑なに施しを拒否し続けてきたヒサが何故かそれを素直に了承した事で、我が教団は「根来之御霊教団」として発展するべく気持ちを一新した。
教団設立の構想は少なからずヒサにも私にもあったが、反社会勢力である組と繋がりを持つ事でヒサに対する世間の印象が悪くなる事を懸念した私は、ヒサの安易な心変わりの真意を彼女に尋ねてみた。
当然事古主の要求している事だとは承知していたが、ヒサの世話役として日々活動資金のやりくりに追われていた私は、ヒサと事古主の間に交わされる導きの意図が、自分にとって不透明なまま進行して行く事に、いつも不安を感じていた。そしてそれは同時に私が密かにヒサに対して寄せている想いへの不満でもあったのだ。
ヒサにとって私は、自分を慕って付いてきてくれる純粋な信者でしかなく、彼女の関心はいつでも事古主にだけに向かっていた。
「事古主の神さんは、私ら人間が自分の元へ帰ってきてくれる事を願っております。それが人類を救う正しい道だとして、それに従う私にお導きの力を授けてくれるわけです。人の世が常に混迷しているのは、事古主の神さんが兄弟神と仲違いされて、不完全な状態で人を創造してしまった事に端を発します。事古主の神さんへの回帰。それすなわち人が神人になるという事です。毅一郎さんが不安になるのはそこに人間としての“我”が入り込むからですよ。真の神さんが与えてくれた指針に何ぞ人間の詮索などはいりません。ただひたすら無心になってお仕えしていれば問題は全て解決してくれます」
規模が拡大した教団の精神的支柱として、ヒサを教祖に、私と任侠の親分である安西の二人がそれを補佐する幹部として、教団の物質的支柱を担うことになった。とは言うものの教団を運営していく上で必要となるあらゆる能力において、安西と私とではその力量と手腕に差がありすぎた。
当時五十代に差し掛かっていた安西の脂の乗り方は、食糧不足に喘いでいた堅気の人間とは違う、いわば獰猛な野獣の肉を食らって肥えて来た者の威風を備えていて、対する私は教祖に飼われた安寧の中にあっても、常に迷い怯えている若い羊でしかなかった。
安西がその才覚を存分に奮う事で私が教団にとって無用の存在になっていくのは明らかで、私は自分の存在意義について悩み苦しみ、何かと頼りになる安西を心底妬ましく思った。
安西の手配で教団が初めに拠点としたのは、湯島にある歯科医院の二階だった。関東大震災と東京大空襲で大半が焼けた落ちた湯島界隈にあって、その煉瓦作りの医院は結界の如く存在した湯島天神下に位置したおかげでその被害を免れた。復興によって真新しい装いに変わっていく湯島の町並みの中に、昔の東京の繁栄を偲ばせる遺構でもあるかのように建つ医院は、教団が信仰する真の神の威厳とヒサの奇跡を象徴しているように見えた。実際安西がこの場所を選んだ時にそんな演出を含めた意図があったのかもしれない。
三十人くらいは入れる座敷に、全盲のヒサが筆を取って書き記した「事古主命」の掛け軸を下げた神前を設けると、派手な看板も宣伝活動もしないうちから、ヒサの噂を聞きつけた相談者たちが大勢集まるようになった。
本物の奇跡に感動し平伏した者たちがどんどん信者となり、その信者が連れてくる更なる相談者で教団の座敷は常に人で溢れかえり、建物の外にまで列をなす日が目立ってきた。
安西の提案でヒサがこれまでに方針として来た無償での施しは教団設立時には、相談者の気持ちに従って提示される額分だけを受け取る方針に変わった。
私は初めこれを安西が組の新たな資金源として画策したものだと思っていたが、以外にも安西は純粋に教団の資金繰りとしてヒサにこれを提案していた。安西は教団と教祖ヒサの印象を第一に考え、教団での活動に関してはあくまで安西個人の良心を根本に、組との活動とは無関係に行っていた。したがって組員たちを信者に抱え込むような事もしなかった。
誰の目にも威圧的な印象が拭えない強面の安西が、教団で過ごす時間の中で時折見せる屈託のない笑顔が、ヒサに対する信頼と忠誠の証のようにも見えて、私は更に自分の身の置き場がこの男の存在によって脅かされるのを感じた。そして何より私はヒサに対する自分と同じ想いを、安西の中にも芽生える事を何よりも一番恐れていた。安西は既に妻子ある身だが、極道が染み着いた男の飽くなき欲望、そしてそれを手に入れるため才覚と手段を選らばない度胸などを考えると、私は救いを求めて教団に集まった人たちの中で、自分だけが永遠に救われないような孤独の闇をいつしか抱えていた。
教団に舞い込む相談の内容は主に病気に関する事だが、人が増えるにつれ、かさんだ借金による生活困窮や結婚の良縁を願う者、失踪者の行方や新規事業の見通しに助言が欲しいなどという声が聞こえてくるようになった。それがどれだけ難解で都合の良い相談事でもヒサは快く応じ、実際に解決まで導くのだが、さすがに全ての個人的な悩みをヒサ一人が救済するにはその数があまりに多過ぎた。
明日をも知れない難病患者に、ヒサのお目通りに適うのは半月先だなどとは言えないが、実際そういった状況になってしまっているのは確かで、今後の教団の課題となっていた。
奇跡の力はヒサだけに与えられている。それが素質によるものなのか、過酷な修行の結果としてのものなのかという問いに関して、ヒサ自身にもよく分からない部分が多かったが、とにかく教団は、信者たち自らが奇跡を顕現し、自己救済を図れる手段を模索する必要に迫られていた。
集会所での一日の救済活動が終わると、ヒサと安西と私、それに加えた信者数名らで、ほとんど寝ずの話し合いが連日持たれた。そして最優先で教義をもっと明確にする事が上げられ、同時に事古主という掴み所のない真の神の姿を何らかの形で具現化して祀る案が出た。
教義の明確化に関しては、事古主の謂われをヒサを通して口述させる事から始まった。集会所の外の水場で禊ぎの行水をしてから白衣に着替え、深夜の神前にヒサと私だけで籠もった。ヒサは導きを求める際、こうして時折一人で神前に籠もり、独自の帰神法による精神統一で神との交感をしていた。初めて見るその姿は神々しく、口述筆記という理由ではあったが、久しぶりにヒサと二人きりで過ごすその場の時間にささやかながら幸福を感じたものだ。
清流のせせらぎを聞いているような心地良さで祝詞を唱え続けるヒサの声がある時を境に感極まった様相を呈した。地鳴りのような呻きを何度か発し、澄み切った声に被さって、彼女とは全く別の人格が発しているような、重く低い厳かな声がたどたどしい言葉を紡いだ。
ヒサに付いてこれまで何度も奇跡の瞬間を目の当たりにしてきたが、私は毎回その驚きに慣れる事がなかった。信仰は信仰としてすんなり受け入れている自分と、どこかでそれをあり得ない不条理だと目を瞑ろうとしている自分がいる。
神の言葉を綴る文字が緊張で震えていた。
「吾は深淵なる
当時の私には自分が体験した不可視の現象を冷静に考察する余裕がなかった。ヒサが恍惚と語る事古主の存在に関しても、人が特殊な心理状態で見せる誇大妄想かもしれないというような疑いを挟んでもよさそうなものだが、私はその神が語る荒唐無稽な物語を、どこか曖昧な夢の記憶を辿るような意識で坦々と書き記していた。
古来どの国の神話もその物語の構造はダイナミックなもので、そこに論理的な整合性などはない。私はヒサの口述を「根来神話」として編纂し、この世が泥の海の状態の時からずっと存在し続けていた
事古主だけを一心に崇め、ヒサがその代弁者となって下す導きに従うならば、それがすなわち善行となって、人間が本来あるべき正しい姿を取り戻し、悩み、苦しみ、煩いのない原初の世の至福を再び得る。この世の全ての不幸の種は事古主を拐かそうとした蓮蛇命の力の顕現によるものであり、世の建て直しは事古主を信奉する者たちが神人となって、事古主を根の底の眠りから覚ます事で成就される。
このように教団の教義を明確にすれば、そこに特別な戒律や修行などは必要なく、信者一人一人が事古主の神前に手を合わせ、教祖の導きに従い、独自の判断で善行を積む事だけを目的にした教えとして信者たちに納得させる事が出来る。他の新興宗教団体に見る、信者獲得のための強制的な勧誘やお布施もないので、我が教団に対する世間の印象は概ね好意的なもので、幹部の安西が極道者であるという一点だけを除けば、教団の活動に支障をきたすような不具合は全く見当たらなかった。
そんな安西も教団が発展していくと共に、親分として自分の跡目を継がせる者を組の中に立て、全権をその者に委任して、自分は相談役という立場を取って少しずつ組から足抜けしていく様相を見せていた。相変わらず安西の存在が疎ましかった私は、彼を教団から追い出すきっかけになり得るものを常に探していただけに、その機会が日に日に失われつつある事にひどい焦りを感じた。皮肉を言うならば事古主への私の信心はいつも、教団の教義が悪神と示す蓮蛇命の思惑に絡め取られていたのかもしれない。
事古主の姿の具現化は全盲のヒサが筆で表した図案を元に、京都の鏡師の巧みな手による大きな青銅鏡として、その姿を信者たちの前に披露した。
ヒサが幻視する事古主の姿は、例えれば海月、もしくは蛸、烏賊などに近い無数の触腕を持った海洋生物の印象を持ち、頭頂部と思われる両端からは龍の鉤爪に似た物が突き出しているように見えるという。また背中から伸びた巨大な羽は、仏像の光背のように四方の彼方へ広がり、その形状しがたい全体像ゆえに、他のどの神仏にも増して神々しいものであるとヒサは語った。
ヒサの図案に鏡師の豊かな想像力が加わって、その青銅の大鏡に施された意匠の芸術性には、神の御霊が宿る依代に相応しい荘厳な輝きがあった。それが神前に据えられた時の信者のたちの感動は、初めてヒサの奇跡を目にした時のようなざわめきに満ちて、御利益を願う真摯な祈りが絶えず湯島天神下に響いた。
教義と信仰の対象物の完成を機に、教団はこれまでの単なる宗教団体から、晴れて役所の審査を通った宗教法人として「根来之御霊教団」という正式な教団名での活動を始める事となった。各地から噂を聞いた物見高い参拝客も集会所を訪れるようになり、歯科医院の二階以外にも教団の集会所となる場所を都内に展開していった。
支部として候補になる建物の買い上げや借り上げなどを実質的に行ったのはやはり安西で、私は出る幕がない苦々しさを感じながら、その思いを教団の機関誌や宣伝ビラ制作に刷り込んだ。
ヒサが教団に照らす光の陰が私なら、安西は紛れもなく陽だった。持ち前の面倒見の良さと頼りがいがヒサに次ぐ牽引力を生み出し、彼なくして教団の発展はないと教団の誰もが感じていた。安西のこれまでの功績と更なる活躍を期待する信者たちの間からは、彼をただの幹部から理事長として正式なポストに推薦する声もあり、そこには名ばかりの幹部で地味な事務作業ばかりを請け負う私との間に明確な差を付け、より良い組織作りのための体制を図る気運が見られた。
各支部の支部長や有力な信者たちが密かに会合を開き、水面下で着々と新体制作りを押し進めていく様子を、私は教団の隅からただ黙って静観していた。安西と私の歴然とした差を前にして無駄な派閥争いを展開する事もなく、最早焦燥が諦念に変わりつつあった私は、最終的な事の次第をヒサの一存に委ねた。
若い頃から神様一辺倒の生活をしていたヒサは、教団が抱えるそういった世俗的な煩雑事に疎いのか、あるいは無関心とも取れる態度で「それが神の意志であるならば」といつも成り行きに任せた決断を下す。自分の本分は事古主との交感によって神が理想とする事柄を信者たちに指し示す事であって、そこには神を主体とする一貫した姿勢だけがあり、私情を挟む余地が全くない無我の境地で物事を捉えているように私には見えた。もちろん教団の発展に安西が大きく貢献している事を認めてはいるが、それは安西を通した神の働きの一環として、安西個人に対する評価というよりも偉大なる神の業績を称えた感謝の意に他ならない。
ヒサはそれぞれの立場に関係なく、幹部の私たちや末端の信者たちにも常に母親のように平等な愛でもって接した。自分が神に選ばれた特別な人間であるという驕りは微塵もなく、ただ自分を慕って付いて来てくれる人間に純粋な奉仕の気持ちで向き合っている。
そんなヒサの偉大な庇護の中で一喜一憂している私の人間としての浅ましさが災いして、教団の麗しい信仰がもたらした幸福の覆いに邪な闇の浸入を許す亀裂を生じさせたのかもしれない。
「急にこんな話をしてもさぞ驚かれるでしょうが、私、昨晩夢枕に立った事古主の神さんとまぐわい、その子を身ごもりました。その子は人類本来の姿を持った真の神の子です。子はまもなく生まれます」
ある日、ヒサに話があると呼ばれた私と安西はヒサの口からそんな衝撃的な告白を聞かされた。いつになく飄々と語られる事の重大さに私と安西も初めひどく困惑したが、ヒサからその子供の養育者として私と安西のどちらかを自分の夫として迎え入れたいという願い出があった時は、私がこれまで味わって来た辛酸の総決算を求められているようで、どんな手を使ってでも絶対後には退けない激しい闘争心が安西に対して初めて沸いた。
教祖の世話係として常に側に仕えていた私が見る限り、神様一辺倒を貫くヒサに教団を含め、他所の男の影がちらついた事は一度もなかったが、それでも私はヒサと安西の間に密通があったのではと思い込み、養育者としてどちらが相応しいかまでを事古主の託宣に委ねようとするヒサをこの時ばかりは本気で呪った。
ヒサは安西に妻子があるなんて事も全く考慮に入れていないようで、むしろ二人の後ろめたい関係の打開策として、託宣を虫の良い口実に使い、晴れて安西と所帯を持つつもりではないかとさえ思った。それが事実であろうがなかろうが、闘争心と嫉妬で狂い立つ我が身の暴走を止めることは事古主の威厳を持ってしても不可能と思われた。
この頃私とヒサと幹部数名は教団が新たな本部として構えた荻窪の集会所に住居を設けそこで寝泊まりしていたが、私は他の者が寝静まった深夜にヒサが毎日の日課として神前に籠もる機会を狙い、その神気高まる清浄な空間を、密かに募らせて埋没しかけていたヒサへの想いをおぞましい肉の欲望に変えて汚した。
初め戸惑いはしたものの不思議とヒサの抵抗を見ずに獣のようなまぐわいを終えると、私の中で歓喜に満ちた征服感が膨張し、その後すぐにそれが人類の希望の芽を摘んでしまった喪失感となって収縮した。そして後に残ったのは深い後悔だけだった。
託宣の結果、ヒサが身ごもった子供の養育者として選ばれたのは私だった。それが本当に託宣によるものか、それとも不覚にも私と肉体関係を持ったヒサの心情から来たものかは分からないが、私はここへ来てようやく、自分に付与された新しい役目を全うするべく、どんな困難も背負い込む覚悟を決める事が出来た。もちろん信者の中にはこの決定に異論を挟む者もいたが、ヒサの夫という立場を得た私は、安西と対等に渡り合える自信すらも手に入れたかのように、自分を擁護する信者たちを率いて、いつでも教団内での権力闘争に望む構えを示した。
この頃の安西はすっかり極道から足を洗い、堅気の人間として教団の活動に従事していたが、私は何か事が起こる度に、彼の黒い過去の経歴を持ち出しては、それを判断材料の一つとして信者たちが考慮するよう、心理的な誘導を図り、安西を慕う信者と私を慕う信者の圧倒的な派閥間格差を拮抗させた。
そんな中誕生した
それは生まれたばかりの貴臣が顕著に示す、乳幼児にあるまじき異質な形態による所が大きい。ある種の身体的障害ではあるのだが、その原因となる医学的根拠を求めた時に医師たちが見せた困惑は、合理的な思考を完全に放棄した不条理に支配されていた。
小さな頭部に比例しない異様に大きく見開かれた両の眼、鰓としての機能を持って発達するかのように張り出した顎骨、そして決定的にその異質さを際立たせたのは、鱗状に硬くなった皮膚と母胎内での成長過程で取り払われるべき水掻きがその両手にそのまま備わっていた事だ。
見た目の異形にさえ目を瞑れば五体満足、身体機能にも何ら不具合のない元気な男の子ではあるが、霊長類の我々とは似て非なる物だった。
神に高貴な姿を想像してしまうのは人間の身勝手か?
私はこの異形の姿を持って生まれて来た貴巨に、我が子ながら愛情を感じる事はおろか、言い知れぬ恐怖と不吉な予感めいた感情を募らせた。その感情は、至上の喜びを持って異形の子を腕に抱いて愛でるヒサにも向かい、二人を拒むようにただ立ち尽くしていた。
「もっと近くでこの子を見てみなされ。事古主さんの面影がよく映えておりますでしょ」
そう言ってヒサが腕に抱いた子を私の方に寄せて来た時、私は父親の身でありながら思わず我が子から後ずさった。私はその時ヒサが初めて感情を剥き出しにした瞬間を見た。それは私たちが出会って共に歩んできた人生においてたった一度だけだ。
「貴方の血が混ざらなかったら、この子はもっと尊いお姿でこの世に生まれるはずだったのにっ」
突然声を荒げてそう言い放ったヒサの目には私に対する底知れない憎悪と憤怒が宿り、一切の私心を捨てたかのような観音の境地にも、一厘の鬼神が潜んでいる事を教えた。
その非難は私の陵辱的な行為でヒサの貞操観念が乱された事から来るのではなく、神の壮大な計画の主軸を、私の浅ましい自尊心によってねじ曲げられた事によるのだろう。そんな母と子の慟哭が鋭い蔑みの一矢となって、怯えきった私の胸に深く突き刺さった。
それから私とヒサは正式に夫婦として籍を入れたが、教祖と幹部という教団内での立場は変わらずしっかりと守った。
ヒサと私の間にあった姦淫は絶対に外部に漏れてはならない二人だけの秘密として、今日までこの手記以外にその事実を誰にも告白しないで来た。それが故に対立する派閥の信者たちからは私が教祖の夫、貴巨の養育者として収まる事に疑問を投げかける声や、露骨なまでの憤りをぶつける者もいた。
自分にその資格がない事は誰よりも自分がよく知っている。それでもヒサが私を選び、貴巨に私の血が通っている以上、結果はどうあれ私には自分が引き寄せた運命を全うする義務があった。
幸いだったのは、私がこの件に関して一番その反応を懸念していた安西だけが何も言わずにただ祝福の目で教団の新たな門出を見守ってくれた事だ。これを機会に手打ちというわけではないが、安西は教団、そして私たち親子の万全を期すため、今後も理事長として尽力する事を約束してくれた。
愚かなのは私だけ。疑心暗鬼に駆られた私の懸念など一切不要だったのだ。真の信仰に目覚めていた安西にはそもそも私と対立する理由など何もなかったに違いない。もし安西が私の代わりに貴巨の養育者として選ばれていたら、我が教団の悲劇は食い止められたかもしれない。
いくらか神の姿をその身に顕しているとはいえ、人の子とは著しく異なった容姿をしている貴巨を私は極力世間の目に晒すべきではないと思った。信心深い信者たちにさえ目を背けさせるところがある貴巨の姿が、世間一般の人々に与える印象を考えれば、神の子どころか悪魔として揶揄されても当然だ。大人になった貴巨個人にどんなに強い意志があろうと、二代目教祖としての道は生まれた時から確定したものであり、教団内の枠を離れての社会生活は認めたくても認められないのだ。いくら私が実父であろうと、私の教育方針など無いに等しく、これが教団の精神だとばかりに、あくまで教祖の養育者として、ヒサが歩んできた神様一辺倒な生活をそのまま幼い貴巨にも要求した。
すやすやと眠る寝顔を早朝五時に無理やり起こし、自宅の風呂場で水垢離をさせ、神前にて母親のヒサと共にその日一日の教団の平和を祈願させる。
ヒサが貴巨に注ぐ期待の大きさは私の想像以上で、そこに課せられた精神修養は過酷を極めた。公の教育機関に通う事さえ許されない貴巨は、半ば教団本部に幽閉された形で一時の自由も与えられないまま、教員資格のある信者たちから交代で学習指導を受け、残りの時間は全て母親のヒサの下で霊的修行に費やされる。世間の子供が外の世界で一家団欒や友達と遊んで楽しそうな笑い声を発している時、貴巨はひたすら教団の祝詞を高らかに秦上していた。
物心ついた時からそんな毎日を繰り返していた貴巨は、いつしか人間らしい感情の起伏を全く見せなくなった。起床時の辛そうだった表情も消え、真冬の水垢離も平然とこなすようになった変化は死をもいとわないストイックな行者の域に達し、見方によっては麻酔患者が苦痛に対して無反応でいるようでもあった。そんな子供らしさの欠如をヒサは教祖としての自覚が芽生えたと喜んでいたが、私にはそれが不憫であると同時に、魚や爬虫類に似た異形の姿が本来備えている冷血さを示し始めたような薄気味悪さを感じた。
そして一つの不満も漏らさない良く出来た息子の成長がどこか忌々しく、それを容認して疑わない母親のヒサにも次第に違和感を覚えるようになった。
確かに私もヒサの神秘的な部分に惹かれて彼女を想うようになったのではあるが、私は神の使いとして毅然としている教祖ヒサよりも、世を儚んで薄汚れた繁華街の辻に立っていた献身的で人間臭いヒサを愛していたかった。
母子ともに事古主への回帰に狂っている。私はその片棒を担ぎ、やがて自分も事古主に狂わされる時が来るのをあらがえぬ運命としていつしか静かに待っていた。
貴巨が成人を迎えた時、教団の信者数は全国で三万人を越えた。教団の繁栄を世に知らしめるべく、募った寄付金で奥多摩の広大な土地を手に入れた我が教団は、そこに教団の総本部となる大神殿を建設した。
その見た目から出雲大社の真似と揶揄される事もあるが、鉄筋を基礎にした石材の大神殿は、海の底深くに沈んでいる事古主の社”古宮(ふるいえ)”の具現化だ。ヒサの幻視による古宮は、複雑な曲面と曲線を持った、暗緑色の巨大な石柱群であるらしく、この世の建築物としてそれを完璧に再現する事は到底不可能な形状のものだったが、事古主の神々しい姿を具現化した大鏡は古宮に安置するのが相応しいとの託宣を得て、幹部連中と教団内の有識者による会議の結果、石の大社作りが最善案だという事でここに完成を見た。
私たち一家は大神殿の敷地内に新たな住居を設けてそこに移り住み、大都会の喧噪を離れた奥多摩の山林に貴巨を幽閉し直す事で、二代目教祖の神格化をより一層深めたのだ。
初めから自由など無い貴巨にとっては小さな鳥籠から大きな鳥籠に移る程度の気休めにしかならないのだろうが、これまでよりも世間の目に触れる危険性が少ない分、貴巨の外出に関しては私もヒサも特に警戒する必要はなかった。それでも貴巨は自分の置かれている立場をわきまえてか、自ら神殿の敷地内に留まり、外の世界には一切興味を持たなかった。
大神殿は教団が最も神聖な祭祀場と位置付ける場所でもあったので、一般の参拝はおろか、幹部以下の信者たちにも特別な式典以外は開放を許していなかった。特に年に一度だけ行われる事古主復活の神示はヒサと貴巨の二人だけで内密に行われ、一昼夜閉め切った状態の神殿内には何人であろうと立ち入る事が出来ず、神示の詳細は二人の間で完全に秘匿されている。
教団創設五十周年の節目に、貴巨がその秘匿を開示して、事古主復活の神示を他の信者たち参加で行う決意をしたのは、ヒサの意志に従ったものだ。
「貴巨、私らの教団が五十年を迎える星巡りが、奇しくも事古主の神さんがお目覚めになられる最大の機会だと、昨夜お声があった。私は一足お先に事古主の神さんを出迎えに古宮へ戻るが、あんたには事古主の神さんのお目覚めを手伝って、皆を誘導する大事なお役目があるから、抜かりのないよう心しておけよ」
ヒサがそう言い残してこの世を去った時の事を私もはっきりと記憶している。
数日前から床に臥していたヒサは、永遠に歳を取らない美しい少女のままの面影を急激に衰えさせ、貴巨同様の異形な姿になり果てていた。最後に私を看取るのは貴巨だけでいい、と母子二人きりで神殿に籠もり、その後貴巨だけが一人で神殿から出て来たが、貴巨の口からヒサがその後どこへ消えたかは何も聞かされていない。
ヒサの死をこの目で確認したわけではないが、ヒサがもう二度と教団に戻らない事だけは、長年ヒサに連れ添って来た私の不穏な感情の動きが察していた。
夥しい献花と遺体の無い空の棺を前に二代目教祖貴巨によるヒサの神前供養が執り行われ、初代教祖の逝去はその内実を伏せたまま、集まった信者たちの悲しみと共に神話となった。
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