第2話「教団幹部・船岡毅一郎の手記より」

私は人生の大半を教団に捧げてきた。それが大きな過ちだと気付いた時には、教団の闇は深刻な事態を迎えていた。後戻り出来ない徒労感と深い後悔の念だけがあるが、大祭が失敗に終わった時に備えて、ここに我が教団がたどり着いた不運の一部始終を記す。

私は幼い時分に東京大空襲の業火で全ての身寄りを亡くし、煤と瓦礫の中をがむしゃらに這いずり回ってただ一人生き残った。

人生の再出発を計り、数寄屋橋界隈で氷販売をして生計を立てていたが、何の因果があってか重度の結核を患い、神奈川の川崎にある暗く湿った療養所に隔離された。

初代教祖の折口ヒサと初めて出会ったのはその診療所で、彼女はただ無力の絶望感に打ちひしがれて死ぬだけの運命にあった私に、その類稀なる霊能力でもって一筋の希望の光りを当ててくれた。 

医療が発展した今はまだしも、当時の結核は不治の病と言われて手の施しようがなかったが、折口ヒサが不思議な響きの祈りと共にかざした掌は、明日にもその身が危ぶまれる末期患者でさえ、たちまちのうちに快癒に向かわせた。私にもその有り難い救いの手は差し伸べられ、どん底の淵から生還を果たす事が出来た。

敗戦の泥沼のような日本で奇跡を目の当たりにした私は、その時信心に目覚め、微力ながら何か彼女の手伝いは出来ないかと、各地の診療所を慰問して回る彼女の後を密かに追った。今になって思い返してみると、それは単に都合の良い言い訳で、私は恋に似た淡い感情をその時彼女に対して抱いていたのかもしれない。現に私たちはその後夫婦となってずっと教団を支えて来たのだから。

どこに出向いても彼女の奉仕は本物だった。相手が誰であろうと一切の金銭的な施しは受けず、いつも同じ粗末な服を着て、食べる物も禄に口にせず、それでも慰問して回るにはそれなりの金は必要になるので、逗留先の繁華街などの辻に立っては、道行く人に女性にとって不名誉となる躰の関係を持ちかけて金の工面をしていた。

彼女がどうしてそのような事までして人々を助けるのか?

繁華街に立つ彼女の姿を見て不憫に思った私は、これまで声をかけられずにずっと見守るだけだったふがいなさを振り捨てて、屋台に飛び込み、飲めもしない酒を一杯煽ってから、客を待つ彼女の前に勇んで出たのだった。

「貴方をお待ちしておりましたよ」

彼女を前にして委縮した私が言葉を紡ぐ前に、彼女が私にそう言った時の驚きを今でも鮮明に覚えている。それが彼女に備わった予知能力から出た言葉だと、その時知る由もなかった私は、自分が躰を求めて来た邪な人間だと思われてしまったと勘違いしてひどく取り乱し、事情を説明しようにも、何から話せばいいのかさっぱり見当がつかなかった。

「大丈夫。全てわかっておりますから、とりあえず私と一緒に、私が泊っている宿へ参りましょう」

そう言って彼女は私の手を優しく取り、私はとにかく言われるままに彼女に付いていった。彼女は全くと言っていいほど目が見えなかったが、その足取りはしっかりしていて、繁華街の酔狂たちが危ういふらつきを見せながら縦横無尽に往来する中を、何の障害もないように宿へ向かった。

そんな彼女の導きに黙って従っていると、不思議と宿に着く頃にはすっかり気持ちも落ち着いていた。

「申し遅れてすいません。私は以前神奈川の療養所で貴女に命を救われた船岡という者です。私は貴女の不思議な救いのお力を体験してから、ずっと貴女の事が気になって、恥ずかしながら何か自分に出来る事はないかと、貴女の事を追いかけて来てしまいました」

安宿の狭い畳部屋に案内されると、私はすぐに頭を下げて自分の素性を明かし、邪な気持ちを持って彼女に近づいたのではない事を必死に弁明した。

「存じ上げております。よくぞ私を訪ねてくださいましたね。突然こんな事を言ったら貴方はさぞ驚かれるでしょうが、これは私に降りた神様のお導きによる結果なのですよ。貴方のご厚意は有り難くお受け致します。どうか私と共に迷える者、苦しみにある者たちを救いましょう」

私の方から志願するまでもなく、彼女は何もかも見通していたようで、私たちは会って間もないうちに、すぐに意気投合した。

それから私は彼女が如何にして超常的な能力を発揮するようになったかを、彼女の身の上話も交えて聞かされた。

物が見えない瞳は澄み切って常に遠くを見つめ、私以上に困難と波乱を含んだ苦労話の途中、何故か彼女が時折無邪気に笑って見せる様がとても清らかで美しかった。私はその頃二十三、四くらいだったが、向かい合って眺めるその見た目の若さからして、彼女もてっきり自分と同じ年頃だと思っていたのだが、実際は二回りも年上だという事を聞かされて、私は改めてそのただならぬ神秘性に魂が打ち震えるような感動を覚えた。そして彼女の存在がこの荒廃した世の中の大いなる希望になる事を切に願った。

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