4

 その夜、グレインのパブの客たちは、もっぱら魔導士の助手の話で盛り上がっていた。


 そしてカウンター席でレオンやグレイン相手に愚痴ぐちるロファーに時々ちょっかいを出し、グレインにたしなめられた。だがそれもしばらくの間で、ロファーが酔いつぶれてしまえば構う客はいなくなった。


 グレインの女房ミヤコがカウンターに突っ伏して眠るロファーをのぞきこむ。

「なんでロファーばっかり、こんな気苦労が絶えないんだろうねぇ」

「親父さんたちのことはともかく、ロファーは優しいからな、つい相手のことを思いやってしまう。だから今度も断り切れなかったんだろうさ」


 グレインが言えば、そうだね、とレオンもつぶやく。

「だけど大丈夫だよ、その分強くもある」

あんなことがあっても、ちゃんと店を守った。十三の小僧が、だ。


「それに、なんだかんだ言っても、街中がロファーの味方だ」

そりゃあそうだ、とミヤコも笑みを見せた。


「私が出した料理も、ちゃんと平らげている。腹を満たすことを忘れなきゃ、人間、何とかなるもんさ」


 それはおまえが全部食わなきゃぶんなぐる、とロファーを脅したからじゃないか、とグレインとレオンが笑うと、ミヤコは

「ひとり暮らしでちゃんとした食事をしているのか、心配なだけだよ」

と答えた。


「おい、おまえ。まさかロファーに気があった口か?」

 グレインの焼きもちに

「そうかもね」

と笑いながら、ミヤコは空いた食器を持って奥に引っ込んでしまった。


「冗談だって」

笑いながらレオンがグレインをなだめる。判っている、と言いながら、グレインは面白くなさそうだ。


「本当は長老だってロファーを魔導士なんかに近づけたくはなかっただろうさ」

「だろうね。ほかの誰かだったら、有無を言わせず従わせただろうけどね」

 レオンが同意する。


「魔導士様が選んだのがロファーで、ロファーが拒んだから長老も悩んでいた」

ロファーの両親を襲った暴漢はまだ捕まっていない。


 代書屋を襲ったのが誰だったのかも判っていない。大した財産もない代書屋を襲っていながら、続く犯行もなく、狙いが何だったのかさえ判っていない。事件は突然起き、そして犯人は忽然と姿を消した。


 白昼堂々と、人通りの多い市場近くの大通りに面した店で誰にも気付かれず、店は荒らされ、二人が殺害され、その上何一つ盗むことなく犯人は消えた。その不可解さに、犯人は魔導士ではないかと噂され、魔導士なら解決できるんじゃないか、と人々は口にした。


「あの時、街に魔導士がいたら、犯人を突き止めてくれたんだろうか?」

呟くレオンに、さぁな、とグレインが答える。

「だけど、そう考えるとロファーが魔導士の助手っていうのは、なんだか運命を感じるね」


「もしもあの魔導士様が」

レオンがグレインに訊いた。

「犯人を探し出してかたきを取ってくれたなら、少しはロファーの気も晴れるんだろうか?」


少し考えてからグレインは答えた。

「その時になってみないと判らないんじゃないか? たぶんロファー本人でさえも」


 夜も更けてミヤコが客を追い返す時刻になった。いつまでも飲みたがる酔っぱらいを、ミヤコは尻を叩くように追い返す。

「勘定済ませてとっととお帰り。明日の仕事に備えるんだよ」

この店の名物だ。


「おい、ロファー、起きろ」

 グレインがロファーを揺する。

「レオン、送ってやってくれや……おい、ロファー、起きろ」

「甘いね、椅子を蹴ってやれ」

出口で客を見送っているミヤコが茶々を入れる。


「はい、まいどあり。また来ておくれよ」

 さっさと帰れと客を追い出すくせに、帰っていく客には笑顔でまた来てくれという。それを楽しみに看板まで粘る客が多いこの店だ。


「ん……み、水……」

 やっと、ロファーも気が付いたようだ。すぐにグレインが目の前に水の入ったグラスを置いてやる。


「歩けるか?」

レオンの心配に

「もちろん」

と答えるが、どうにも怪しい。


 看板だよ、グレインが声を掛けると、うん、と素直に立ち上がり

「またね、グレイン、行くよ、レオン」

と怪しい足取りで出口に向かう。そして出口で、フフフ、と笑うと

「またね、ミヤコ」

と手を振った。

「はいよ、ロファー、またね」

優しい笑顔でミヤコが送り出す。


「完全に千鳥足だな。で、なんだ、あのフフフ笑いは?」

「ただの酔っ払いだってば。じゃ、俺も行くよ、ロファーを追いかけなきゃ」


「あぁ、ちゃんと家まで送れよ。ほっとくとどこかで寝ちまいそうだ」

 いつも通りミヤコににこやかに見送られ、レオンが店を出るとすぐ、閉じられたドアの中から怒鳴り声がする。今日の夫婦喧嘩のネタはきっとロファーだ。毎度毎度呆れるが、互いに焼きもちを焼くのが夫婦円満の秘訣らしい。


 で、ロファーはどこだろう、見渡すと、今、出たドアのすぐ横で、店の壁に寄りかり、うなれて立っている。


「ほら、ロファー、帰るよ」

腕を取って自分の肩に回してやる。

「ん? 帰るってどこへ? レオン、おまえっていいヤツだよね」

「どこへって、おまえの家さ。あぁ、おまえと同じくらいにはな」


 そこからロファーの家まで、いつもの倍くらいの時間はかかったが、何とか辿り着き、鍵の在処をやっと聞き出し、整然と商売道具が並べられたロファーの机を眺め、やはりきちんと掃除の生き届いた事務所にある階段を、やっとのことで上らせて、ベッドにロファーを放り込む。これで役目は終わりだ、とレオンがほっとする。


「おやすみ、ロファー」

 ベッドに横になった途端、すぐに眠ってしまったロファーを起こさないよう、レオンは小さな声でそういうと、帰って行った。


 レオンが店のドアを閉めるのを待って、ロファーはゆっくりとベッドの上に起きあがった。もとより、酔いつぶれてなどいない。酔いつぶれてしまいたかったが、いくら飲んでも今夜は酔えなかった。


 いや、酔いは充分回っている。正直レオンに支えられていなければ帰って来られずにどこかで倒れ込んでいただろう。今の季節なら下手すれば凍死する。


 それなのに頭は冴えたまま、少しも嫌なことを忘れさせてくれない。これじゃあ、浴びるほど飲んだ意味がない。結局、魔導士の申し出を断れなかった。契約書だという紙にサインを求められ、サインしてしまった。


 契約書と言われたが、紙には『魔導士ジゼェーラの助手となる』とだけ書かれていた。ジゼェーラは魔導士名だ、と魔導士は言ったが、ロファーはどこかで聞いた気がしてならない。大切な名だから、これも他言してはいけないと、魔導士は付け加えた。


「これで私が魔導士として動くとき、私が自分に掛けた保護魔導術が、あなたにも自動的に有効化される」

と魔導士が言った。話が違わないか? と抗議すると、「念のためだ」と魔導士は笑った。


「魔導術が怖い?」

 覗きこむように訊いてくる魔導士に

「そんな事はない」

とロファーは答えたが、魔導士が信用したかどうかは怪しい。


「詳しい話はまた明日だ。とりあえず今日は毎朝この家にミルクが届くよう手配しておいて欲しい。明日から届けろと。もう随分ミルクティーを飲んでいない」


お陰でなんだか調子が出ない、と魔導士が言うので

「魔導士はミルクティーで体調を整えるのか?」

と問えば、

「まさか。私の好物というだけだ」

と馬鹿にしたように笑う。


「ロファー、あなたは面白い人だね」

「魔導士様ほどではございませんが」

 皮肉を込めて言った積もりが

「様などいらない、ジゼルでいい」

と、流されてしまう。


「ではジゼル」

 そう言っておきながら、ロファーは黙り込んでしまった。ジゼル、と呼んだ途端、鼓動が早くなるのを感じて、戸惑いが言葉を止めてしまった。それに、何かを忘れているようにも思えた。


「どうしたロファー、何かあるのか?」

「いや……思い出した、ロハンデルトとはなんだ?」

魔導士が少しだけ困った顔を見せた。


「うまく誤魔化したと思ったんだが」

と次には苦笑する。

「そうだね、あれは……あなたの事をその名で呼びたいと私が思ったのだよ」


「誤魔化した、って……何か魂胆がありそうだ」

チッと魔導士が舌打ちをする。そして、瞬時、瞳が赤く光り、何やら口走る。


《ロハンデルト、秘められた名、生まれたときに定められた名、忘れていたことを思い出せ、そしてその名は神秘の前のみに ―― 忘れよ》


その声は、ロファーの耳には届いているが意識の上には残らない。が、意識下には残存し、その名で呼ばれることを違和感もなく受け入れ、そして他者の前では決して口にすることもない。


「魂胆などあるはずもない。まぁ、最初は私が信用できないのも無理はない。追々判ることだ」

「追々ねぇ……あ、で、ミルクは牛飼いのマルに頼んでおく。代金はどうする?」


 ミルク以外に様々な食材を魔導士は頼んできた。食糧庫が空だと言う。


「昨日、食糧庫は空になった。残っているのは少しの紅茶と砂糖にハチミツ。おかげで昨日の朝に食べた後、口にしたのは、ジェシカのビスケットと、紅茶だけだ。そう、茶葉ももうなくなる、砂糖も欲しいな。ついでに頼んでおいて」


 気が付くと魔導士は目をキラキラさせている。と、言うか、ひょっとしたらよだれを垂らしているんじゃないか?


「ひょっとして、今、食べる事を想像している?」

ロファーが聞くと

「もちろん!」

と、迷いも見せず答える。


「ベーコンは飽きたと思っていたけれど、この空腹ならきっとさぞや美味しい事だろう」

「ベーコンが好物?」

「いいや、ベーコンを焼くくらいしか、私にはできない」

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