3
馬を借りようと伝令屋に寄ると、魔導士様に逆らうのはどうか、と珍しくシスが意見する。
伝令屋のシスは、ロファーの父親がこの街で店を出した時からの相棒で、両親が無念の最期を遂げてからはロファーの後ろ盾となり、妻のモニーともども陰に日向にロファーを助けてくれている。
これまで何をロファーが相談しても、最後には「おまえがどうしたいかだ」とロファーの意思を尊重してくれていた。そのシスが、こちらが何も言わないうちに意見してくるとはロファーにとっては予想もしていないことだ。
「シスはどうしてそう思う?」
ロファーの問い掛けに
「魔導士様と接触するなんて、俺たち街人にはそうそうあるもんじゃない。いつかおまえのためになると思うからだよ」
何事も経験、ってやつだな。とシスは笑った。
納得できないところもあるが、「考えてみるよ」とシスに応え、馬を借りるとロファーは魔導士の住処に向かった。
馬上、そう言えば魔導士の助手とは何をするのだろう、と思い、それすら聞いてない、と思い当たった。魔導士も何も言っていなかった。聞けば魔導士は答えていたのだろうか? シスに意見されたことで、ロファーは少し落ち着きを取り戻したようだ。
魔導士は長老から荒れ果てたリンゴ畑を与えられ、そこを住処としていた。
リンゴ畑はすっかり整備され、健康そうな木々にツヤツヤと赤い実が、枝もたわわに実っている。あの魔導士がこの街に来て、まだ
リンゴ畑の一画に『魔導士の住処』と書かれた看板が掲げられ、奥に向かって緩やかなカーブを描いて石畳のアプローチが続いている。終わりに平屋建てが木立の中に
アプローチの中ほどまで進んだ頃に、平屋の中から誰か出てくる。こちらを見ると、建物の脇を裏手に行ってしまったようだ。
ロファーが馬を止める頃には水を入れたバケツを持ってきた。ロファーが降りると馬は勝手にその水を飲み始める。魔導士はそれを見ると、「馬はそのままにしておいても何処にも行かない」と言い、あなたはこちらへ、と平屋に入っていった。こうして近くで見ると、臍の高さよりは背が高いように見える。
部屋に入るとロファーに椅子を勧めてから、魔導士は奥のキッチンに向かった。
平屋に入ってすぐの部屋を居間に使っているようで、中央にテーブルと椅子が二脚、壁際には大きな本棚とソファー、奥はカウンターになっていて、先はどうやらキッチンだ。本棚とは反対側の壁にはステンドグラスが填め込まれ、向こう側は別の部屋になっていそうだ。たぶんそこは寝室で、キッチンから行くのだろう。
いたるところに花瓶や鉢が置いてあり、色とりどりの花や葉が生き生きと部屋を飾り立てている。窓が少ない割に明るいと、見上げれば天窓が陽光を呼び込んでいた。
魔導士は程なく戻ってきたが、その手にトレイを持っていて、トレイにはポットとティーカップが二客乗っている。ロファーを人とも思っていないような広場での態度とのあまりの違いに、肩透かしを食らった気分のロファーの前に、「どうぞ」と紅茶を注いだティーカップが置かれた。
「で、それで、あなたは誰だったっけ?」
ロファーが紅茶を吹き出したのは言うまでもない。やっぱりこいつ、まともじゃない。
「いや、名前を忘れてしまった。広場で私が助手に指名したことは覚えている」
「そ、そうでしょうとも……」
ロファーとしては苦笑するしかない。
「で、ロハンデルト、私はジゼェーラ、正しくはジゼェールシラ」
その声を聴いた瞬間、ロファーの頭の中でパチンと音がした。
「え?」
「思い出した、確かロファーだ。長老がそう言っていた」
「いや、ちょっと……」
「どうかした? 私はジゼル、二人きりの時は魔導士などと呼ばなくていい」
「いや、だから……」
「そうだ、甘いものは好きか? 炭屋のジェシカから貰ったビスケットがある。お手製だそうだ」
「ジェシカから? ジェシカと知り合いなんだ?」
「うん、この街に来た最初の日、子どもが強がるもんじゃない、と怒られた。それから良くしてくれている」
「そうそう、気になっていた。おまえ、いくつなんだ?」
「ロファー、魔導士に年齢を聞いてはいけない」
「そんな話、聞いた事ないけれど?」
「知り合いに魔導士はいないと言っていたと思うが?」
「……」
なんだか騙されているような気がするロファーだが、間違っているとも指摘できない。味わったことのない不思議な感覚だ。
近くで見ると頬にあどけなさが残っている。そのくせ目つきだけは大人びて、何もかも知っている、とでも言いたそうだ。プラチナブロンドの髪に、瞳の色は、黒か緑かそれとも深い青なのか? こっちを向いてくれなければよく見えない。
紅茶に砂糖を入れて、なにが楽しいのか、面白そうにスプーンでくるくる掻き混ぜている。
「それで、ロファーはなんでこんなに早く来た? 指定した時刻までまだ一刻もある」
ロファーを見もしないで、魔導士が問うてきた。
「よもや、私の顔が見たくて、なんてことはないだろうけど」
「もちろん、それはあり得ない」
「その割には、先ほどから私の顔に見入っているようだが?」
「!」
ティーカップから目を離さないまま、魔導士はニヤリと笑ったようだ。
「なんだったら触ってみるか?」
「何を言う!」
見透かされてロファーは居心地の悪さを隠せない。話を変えようと話題を元に戻す。
「おまえがいくつだろうが、どちらにしろ、俺のほうが年上だろう」
それがどうしたと、自分に言いたい。
「ほう、ロファーはいくつだ?」
「十八だ、
「そうだね、それは正解」
クスクスと笑う。
だめだ、墓穴を堀ってばかりだ、どうして今日の俺は相手のペースに振り回されているのだろう。
「その、なんだ、年上の人間を助手に使おうなんて、おこがましいとは思わないか?」
「なるほど」
魔導士は自分のカップに紅茶を注ぎ足している。そして砂糖を入れるとまたくるくると楽しげにスプーンで掻き混ぜる。
「あの……」
たまらずロファーが問う。
「スプーンで掻き混ぜるのがそんなに楽しいのか?」
「あぁ……紅茶の中で踊る砂糖を見ている」
「砂糖のダンスが見えるのですか?」
知らず敬語になっている。口調もきつくなっている。
「溶けてしまったら、どこに砂糖があるか、見えませんよね?」
「
おーーーーい!
「帰る、帰らせてもらう」
コイツ、やっぱりまともじゃない、こんなのに関わりあったら身の破滅だ。
立ち上がろうとするロファーを慌てて魔導士が引き止める。
「待ってロファー、話しを聞いて」
すがるような目をして、真正面から覗きこんでくる。やっぱり、子どもだ、
話を聞こうと思ったわけでも、座ろうと意識したわけでもないけれど、ロファーは再び席についていた。あるいは、半ば腰が抜けたのかもしれない。
俺はこの、子どものような魔導士に食い殺されるんじゃないのか? そんな疑念が胸に浮かぶ。それを怖いとも嫌だとも感じていない。いや、実際そんなことになれば、当然、嫌だし怖いと思うのだろうけど。
「それで話しって?」
座ってしまった以上、話しを聞かない訳にはいかない。
「頼みがある。聞き届けて欲しい」
魔導士が話し始めた。
ロファーの言う通り、通常魔導士は助手など必要がない。助手とは言ったが実質的には助手ではなく、私には世話をしてくれる人が必要だ。
魔導士としてはともかく、私は生活に必要な知識も技術もない。パン一つ焼けないのだ。その辺りのサポートをして欲しい。
「だったらメイドを雇えばいいのでは?」
「そんな意地悪を言わないで、最後まで聞いて」
意地悪と言われロファーがムッとする。意地悪ではなく、親切心から言った積もりだ。
「そしてこれは誰にも漏らして欲しくないのだが、強力な魔導術を使うと、私はしばらく身動き取れなくなる」
これも魔導士なら誰でもそうだ、というものではない。いわば私の体質だ。身動き取れない間、私の安全を確保して欲しい。
「待て、待て、待て。そんな重大なこと、俺に務まると思えない」
「ううん、ロファー、あなたでなくてはだめ」
あなたのバターブロンドの髪は魔を寄せ付けない。必ずあなたは私を守ってくれる。
「それに、どうすればいいのかは、ちゃんと私が教えるから。あなたは言われたとおりのことをしてくれればいい」
バターブロンドの髪が必要だとしたら、確かにこの街ではロファー以外いない。
断れば、この、子どものような、いや、子どもの魔導士は魔導術を使うたび、危険に
「でも。俺は……」
できれば断りたい。
「お願いロファー。あなたにしか頼めない」
魔導士の瞳にうっすら浮かんだ涙がロファーをドキリとさせた。
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