3

 馬を借りようと伝令屋に寄ると、魔導士様に逆らうのはどうか、と珍しくシスが意見する。


 伝令屋のシスは、ロファーの父親がこの街で店を出した時からの相棒で、両親が無念の最期を遂げてからはロファーの後ろ盾となり、妻のモニーともども陰に日向にロファーを助けてくれている。


 これまで何をロファーが相談しても、最後には「おまえがどうしたいかだ」とロファーの意思を尊重してくれていた。そのシスが、こちらが何も言わないうちに意見してくるとはロファーにとっては予想もしていないことだ。


「シスはどうしてそう思う?」

 ロファーの問い掛けに

「魔導士様と接触するなんて、俺たち街人にはそうそうあるもんじゃない。いつかおまえのためになると思うからだよ」

何事も経験、ってやつだな。とシスは笑った。


 納得できないところもあるが、「考えてみるよ」とシスに応え、馬を借りるとロファーは魔導士の住処に向かった。


 馬上、そう言えば魔導士の助手とは何をするのだろう、と思い、それすら聞いてない、と思い当たった。魔導士も何も言っていなかった。聞けば魔導士は答えていたのだろうか? シスに意見されたことで、ロファーは少し落ち着きを取り戻したようだ。


 魔導士は長老から荒れ果てたリンゴ畑を与えられ、そこを住処としていた。


 リンゴ畑はすっかり整備され、健康そうな木々にツヤツヤと赤い実が、枝もたわわに実っている。あの魔導士がこの街に来て、まだ三月みつきほどなのだから、魔導術を使ったのだろう。


 リンゴ畑の一画に『魔導士の住処』と書かれた看板が掲げられ、奥に向かって緩やかなカーブを描いて石畳のアプローチが続いている。終わりに平屋建てが木立の中になかば見えているのが魔導士の住処なのだろう。建屋の向こうには紅葉した森が広がっている。


 アプローチの中ほどまで進んだ頃に、平屋の中から誰か出てくる。こちらを見ると、建物の脇を裏手に行ってしまったようだ。


 ロファーが馬を止める頃には水を入れたバケツを持ってきた。ロファーが降りると馬は勝手にその水を飲み始める。魔導士はそれを見ると、「馬はそのままにしておいても何処にも行かない」と言い、あなたはこちらへ、と平屋に入っていった。こうして近くで見ると、臍の高さよりは背が高いように見える。鳩尾みぞおちには届きそうもない。


 部屋に入るとロファーに椅子を勧めてから、魔導士は奥のキッチンに向かった。


 平屋に入ってすぐの部屋を居間に使っているようで、中央にテーブルと椅子が二脚、壁際には大きな本棚とソファー、奥はカウンターになっていて、先はどうやらキッチンだ。本棚とは反対側の壁にはステンドグラスが填め込まれ、向こう側は別の部屋になっていそうだ。たぶんそこは寝室で、キッチンから行くのだろう。


 いたるところに花瓶や鉢が置いてあり、色とりどりの花や葉が生き生きと部屋を飾り立てている。窓が少ない割に明るいと、見上げれば天窓が陽光を呼び込んでいた。


 魔導士は程なく戻ってきたが、その手にトレイを持っていて、トレイにはポットとティーカップが二客乗っている。ロファーを人とも思っていないような広場での態度とのあまりの違いに、肩透かしを食らった気分のロファーの前に、「どうぞ」と紅茶を注いだティーカップが置かれた。


「で、それで、あなたは誰だったっけ?」

 ロファーが紅茶を吹き出したのは言うまでもない。やっぱりこいつ、まともじゃない。


「いや、名前を忘れてしまった。広場で私が助手に指名したことは覚えている」

「そ、そうでしょうとも……」

ロファーとしては苦笑するしかない。


「で、ロハンデルト、私はジゼェーラ、正しくはジゼェールシラ」

 その声を聴いた瞬間、ロファーの頭の中でパチンと音がした。


「え?」

「思い出した、確かロファーだ。長老がそう言っていた」


「いや、ちょっと……」

「どうかした? 私はジゼル、二人きりの時は魔導士などと呼ばなくていい」


「いや、だから……」

「そうだ、甘いものは好きか? 炭屋のジェシカから貰ったビスケットがある。お手製だそうだ」


「ジェシカから? ジェシカと知り合いなんだ?」

「うん、この街に来た最初の日、子どもが強がるもんじゃない、と怒られた。それから良くしてくれている」


「そうそう、気になっていた。おまえ、いくつなんだ?」

「ロファー、魔導士に年齢を聞いてはいけない」


「そんな話、聞いた事ないけれど?」

「知り合いに魔導士はいないと言っていたと思うが?」


「……」

なんだか騙されているような気がするロファーだが、間違っているとも指摘できない。味わったことのない不思議な感覚だ。


 近くで見ると頬にあどけなさが残っている。そのくせ目つきだけは大人びて、何もかも知っている、とでも言いたそうだ。プラチナブロンドの髪に、瞳の色は、黒か緑かそれとも深い青なのか? こっちを向いてくれなければよく見えない。


 紅茶に砂糖を入れて、なにが楽しいのか、面白そうにスプーンでくるくる掻き混ぜている。


「それで、ロファーはなんでこんなに早く来た? 指定した時刻までまだ一刻もある」

ロファーを見もしないで、魔導士が問うてきた。


「よもや、私の顔が見たくて、なんてことはないだろうけど」

「もちろん、それはあり得ない」


「その割には、先ほどから私の顔に見入っているようだが?」

「!」

ティーカップから目を離さないまま、魔導士はニヤリと笑ったようだ。


「なんだったら触ってみるか?」

「何を言う!」

 見透かされてロファーは居心地の悪さを隠せない。話を変えようと話題を元に戻す。


「おまえがいくつだろうが、どちらにしろ、俺のほうが年上だろう」

それがどうしたと、自分に言いたい。


「ほう、ロファーはいくつだ?」

「十八だ、流石さすがに魔導士様が十八より上とは思えない」


「そうだね、それは正解」

クスクスと笑う。


 だめだ、墓穴を堀ってばかりだ、どうして今日の俺は相手のペースに振り回されているのだろう。


「その、なんだ、年上の人間を助手に使おうなんて、おこがましいとは思わないか?」

「なるほど」


魔導士は自分のカップに紅茶を注ぎ足している。そして砂糖を入れるとまたくるくると楽しげにスプーンで掻き混ぜる。


「あの……」

たまらずロファーが問う。

「スプーンで掻き混ぜるのがそんなに楽しいのか?」

「あぁ……紅茶の中で踊る砂糖を見ている」

「砂糖のダンスが見えるのですか?」

知らず敬語になっている。口調もきつくなっている。


「溶けてしまったら、どこに砂糖があるか、見えませんよね?」

怒鳴どならないで、ロファー。怖いよ」


 おーーーーい!


「帰る、帰らせてもらう」

コイツ、やっぱりまともじゃない、こんなのに関わりあったら身の破滅だ。


 立ち上がろうとするロファーを慌てて魔導士が引き止める。

「待ってロファー、話しを聞いて」


すがるような目をして、真正面から覗きこんでくる。やっぱり、子どもだ、悪戯いたずらを見つけられた子どもの目だ。


 話を聞こうと思ったわけでも、座ろうと意識したわけでもないけれど、ロファーは再び席についていた。あるいは、半ば腰が抜けたのかもしれない。


 俺はこの、子どものような魔導士に食い殺されるんじゃないのか? そんな疑念が胸に浮かぶ。それを怖いとも嫌だとも感じていない。いや、実際そんなことになれば、当然、嫌だし怖いと思うのだろうけど。


「それで話しって?」

 座ってしまった以上、話しを聞かない訳にはいかない。


「頼みがある。聞き届けて欲しい」

魔導士が話し始めた。


 ロファーの言う通り、通常魔導士は助手など必要がない。助手とは言ったが実質的には助手ではなく、私には世話をしてくれる人が必要だ。


 魔導士としてはともかく、私は生活に必要な知識も技術もない。パン一つ焼けないのだ。その辺りのサポートをして欲しい。


「だったらメイドを雇えばいいのでは?」

「そんな意地悪を言わないで、最後まで聞いて」


 意地悪と言われロファーがムッとする。意地悪ではなく、親切心から言った積もりだ。


「そしてこれは誰にも漏らして欲しくないのだが、強力な魔導術を使うと、私はしばらく身動き取れなくなる」


 これも魔導士なら誰でもそうだ、というものではない。いわば私の体質だ。身動き取れない間、私の安全を確保して欲しい。


「待て、待て、待て。そんな重大なこと、俺に務まると思えない」

「ううん、ロファー、あなたでなくてはだめ」

あなたのバターブロンドの髪は魔を寄せ付けない。必ずあなたは私を守ってくれる。


「それに、どうすればいいのかは、ちゃんと私が教えるから。あなたは言われたとおりのことをしてくれればいい」

 バターブロンドの髪が必要だとしたら、確かにこの街ではロファー以外いない。


断れば、この、子どものような、いや、子どもの魔導士は魔導術を使うたび、危険にさらされる恐怖を味わうということか。それならば助手=世話係を欲しがるのも合点がいく。


「でも。俺は……」

できれば断りたい。


「お願いロファー。あなたにしか頼めない」

魔導士の瞳にうっすら浮かんだ涙がロファーをドキリとさせた。

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