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 ドアに『ロファーは外出中』という札を下げ、広場に行ってみると、なるほど人だかりで、中央にあるはずの噴水が欠片かけらも見えない。それでもグレインが道を開けて、と声を掛けながら掻きわけると、「ロファーだ」という声がちらほら聞こえ、さーーっと左右に別れて通路が開らく。


 まるで刑場に引き出される気分だ、眩暈めまいを覚えそうなロファーだったが、ここまで来たからにはもう戻れない。人の輪の内側にたどり着くと、長老がロファーに気が付き、こっち、こっちと手招きする。


 なるほど、これが噂の魔導士か。チビだと聞いていたが、うん、これはチビだ。俺のへそくらいの背丈しかないじゃないか。それとも、まだ子どもなのか。十か十一、いや、魔導士には十四を過ぎなければなれないはずだから、十四にはなっているのか。だとしたらやっぱりチビだ。長老の傍らに立つ魔導士をロファーはしげしげと観察した。


「こちらが街一番の達筆、ロファーでございます。魔導士様」


 いつもは大威張りの長老の腰が低い。ふぅん、と魔導士がロファーを見た。瞬間、ロファーの全身に衝撃が走った。


(なんだ、今のは?)

心臓がバクバクしている。弾かれたようなあの感覚、あれは何だ? 


 魔導士に見られると、あんなふうに感じるものなのか? だからみんな怖がるのか? 動揺を見透かされまいと、表情を変えないように突っ立っているロファーに

生業なりわいは?」

と魔導士が問うた。


 それを聞いてどうするんだい? いつものロファーなら、にっこり微笑んでそう答えただろう。でも、気圧けおされて声が出せない。


「代書屋でございます」

見かねた長老がロファーに代わって答えている。


 魔導士が上から下まで舐めるようにロファーを見る。それからジッと顔を見詰め、目の奥を覗きこんでくる。そしてクスリと笑った。


「では長老、この男に決めましょう」

「ちょっと待て!」

慌ててロファーが声を荒げる。


「俺は仕事が忙しい。魔導士なんてヤツらに知り合いもない。助手なんてできるはずがない」


「いや……」

困り顔は長老だ。


「魔導士様、ロファーはこう申しておりますが?」

そしてロファーには

「魔導士様がああ仰っているのだ。謹んでお請けせねばな」

と耳打ちする。二枚舌め、心の中でロファーが悪態をつく。


「誰が何と言おうと断らせてもらう。だいたい助手が必要なのは魔導士様のご都合。

それに魔導士の助手など聞いたことがない。ご自分の力不足を補わせようとお思いかもしれないが、こちらも騙されるほどお人よしではないようだ。街が補填しなきゃならない道理はない。どこの街に行ったって、それは同じなのでは?」


 野次馬の輪の中でヒソヒソ話が始まっている。出た、出た、ロファーのヤツ、何とか言い包める気でいる。でも、いつもと調子が違うんじゃないか? あんな厳しい口調のロファーは珍しい。魔導士相手に強気で行く気か? こりゃあ、見ものだ、果たしてロファーは勝てるのか……。なかには『ロファーに十シリン』『いいや魔導士に十五シリン』と賭けを始めるやからもいる。


 そんな中、魔導士は不思議そうな顔でロファーを見るだけだ。長老が、

「これこれ、ロファー」

たしなめるのは魔導士を怒らせたくないのだろう。


「では長老、私はこれで帰る。二刻後、私の住処にロファーを来させるように。馬があるなら馬で」

ロファーを無視した魔導士が、にっこり笑って長老に言う。


「必ず一人で来る事、そして決して遅れないように、頼みましたよ」

「はいはい、魔導士様、必ず遅れず行かせますとも」

魔導士の笑みに釣られてか、長老も満面の笑みで答える。


「だから! 待てったら」

 まったく相手にされないのではロファーに打つ手がない。どうにか関心をこちらに向けたい。


「長老、あなたによく頼まれる手紙も、これで期限までに相手に届かなくなるかもしれない」

魔導士は手ごわいと、ロファーは標的を長老に変えた。長老を脅すのはいとも容易たやすい。


「いや、それは困る……魔導士様、ロファーは代書屋の仕事で忙しい。何とか別の者をお選びいただけないか」

「長老、必ず遅れず来させるのではなかったのか?」

板挟みの長老は狼狽うろたえるばかりで、解決策など出せはしない。


 いったいどこを突けばこの魔導士は関心を示す? 魔導士を見ると、もう終わりか、と言わんばかりの笑みを浮かべロファーを眺めている。コイツ……


 ロファーは怒りと焦りを募らせるばかりだ。


「だいたい、そうだ、俺は魔導士様に今日初めてお目にかかった。さっきここに来た時だ。それまで噂には聞いていたが顔を見るのは初めてで、魔導士様のことは魔導士としか知らない。そちらだって同じはず、俺のことなど何も知らないのだろう。代書屋って生業だけだ。代書屋ならほかにもいる、なんで俺でなければならない?」


「ふむ……」

初めてロファーの問いかけに魔導士が反応した。


「あなたが私をどう思っているかは知らないが、私はあなたをこの上もなく気に入った」

しめた、返事をさせた。ここは一気に行かなければ……


「気に入ってもらえて光栄、とここは言わなきゃならないんだろうが、正直迷惑としか言えない」

勢い付いてロファーが続ける。


「だから! どこが気に入ったか仰っていただきたい。どうせ言えないのでしょう?」

「ん? どこが気に入ったか?」

魔導士がにこりと笑った。

「顔だ。ひと目で気に入った」


「はああ?……」


 どっと周囲に笑いが起きる。顔と言われてしまえば、個人の好み、それを否定する根拠がない。言えはしないだろうと決めつけた事をさらりと言われ、反論の余地もない。


『魔導士の勝ち、ちゃんと掛け金払えよ』とあちらこちらで声が上がり、ロファーにはブーイングが上がる。


 当のロファーと言えば、すっかり力が抜けてしまい、頭を抱えてその場にくずおれている。その肩に長老が手を置いて、

「諦めろ、顔なら飽きられるのも早い。それまで忍んで勤めてくれ」

笑いを噛み殺しながら言う。


 まったくみんな他人事だ。広場に来たのが間違いだ。悔しいが、このガキ、まともじゃない、まともな俺の手に負えるはずがない。


 集まっていた街人たちは、頑張れロファーと口々に言っては、ばらばらと散っていく。


 長老も「魔導士様のご命令をくれぐれも忘れないように」と帰っていく。


 グレインとレオンがやってきて「大変なことになったな」と同情するふりをしながら笑っている。


「俺の店に寄って、何か飲んでけ」


 グレインの申し出に、それなら一番強いヤツをショットで、と答えるロファーに二人は声を上げて笑った。


 グレインの店で一息つくと、やっぱり納得いかないと、気を取り直したロファーが言う。


「顔が気に入ったなんて、人を馬鹿にするのにも程がある」

「案外本気でそうかもよ? 色男とはいかないが、ロファーはそれなりにいい男だからな」

と、レオンが言えば

「なんだよ、それなりに、ってのは?」

返すロファーの機嫌はますます悪くなる。


「そうそう、女をキャアキャア言わせるあの笑顔を魔導士さんにも向けたんじゃ?」

グレインのこの発言は

「自分と一緒にするな」

とロファーとレオン、二人に瞬時に却下された。


 しかし、「イヤだから」と言って命令に背いて魔導士の住処に行かないのはまずくないか? と臆病なレオンが言う。それには、

「行くともさ」

とロファーが息巻く。


「行って、『判った、助手などいらない』って言わせてやる」

その意気だ、頑張れ! 自分に塁が及ぶとは露ほども思っていない二人は無責任にロファーをあおる。


 そうと決まれば今すぐに行く。何も指定の時刻まで待つ必要はない。あいつのめいに一つでも従いたくはない。呼ばれたから行くんじゃなくて、俺の意思で行くんだ。


 完全に取り乱しているロファーを

「少しは落ち着いてから行け。今すぐ行っても二の舞だ」

とグレインとレオンが、煽ったくせに今度は止めようとする。が、二人の忠告も聞かず、ロファーはグレインの店を飛び出していった。


「あんなロファーは初めてだ」

 心配そうにレオンが言う。

「いつも落ち着いて穏やかで慎重なのに」

「うん、あの魔導士に一目惚れしたんだろ」

レオンが驚くようなことをグレインが口にする。


「初めてあの魔導士を見たときのロファーの顔を見たか? ぽかんと顔に見取れていた」

「でも、あの魔導士、男だろ?」

「女じゃないのか?」

これにはグレインのほうが驚く。そして二人で顔を見合せ爆笑する。


「どっちにしろ、ロファーは前途多難だな」

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