第2話 高所恐怖症女子高生(結


 踏み抜いた左足はフワリと宙に投げ出され、後ろ側にある右膝をつきながら咄嗟に両手で鉄筋の両脇を掴んだ瞳は、ギリギリのところで落ちずに済んだ。


 バクバクと自分の心音がうるさい程に耳に響き、眼下に見えたのはゆっくりと下に落ちて行く鉄筋の欠片かけら

 だが、あまりに高い為になかなか地面に着地しない。


「もう……やだぁ……」


 瞳は涙を零しながら、震える手を少しだけ前に進めた。

 穴に落ち込んだ左足を慎重に持ち上げ、穴の前方に膝をつく。

 もしかしたら、また腐食した鉄筋が崩れるかも知れない。

 

 だけども、前に進むしかないのだからと、クラクラしながら震える手足をゆっくり動かした。


 膝をついた状態から、何とかゆっくりと両手を広げて立ち上がる。

 あと少し……、二、三メートル進めば、前方のビルの屋上へと到着するのだ。


 残りを一気に駆け抜けたい気持ちを抑えながら、瞳は慎重に足を進める。


 あと少しだというのに、時折吹き付ける風は、憎らしいほどに瞳の集中力の邪魔をした。

 ポニーテールが揺れ、セーラー服の襟がバタつき、身体をユラリユラリとふらつかせる。


「あと一メートルちょっと……」


 ふと前方にチラリと目をやれば、目指す屋上の少し離れた場所に、他校の女子高生のような人影が見えた。


「た、助けて! ここよ!」


 瞳は思わずその人影に声を掛ける。


 もしかしたら助けてくれるかも知れない、そうで無くとも、孤独に一人で頑張るよりは誰か居てくれた方が心強いと思ったのだろう。


 じっとそのままの姿勢で呼び続けたら、少しずつ遠くに居た小さな人影は大きくなってくる。


「お願い! ここに来て! 助けて!」


 近付いて来たのは目をみはるほどに美しい、濡羽色の髪を持つ少女。


 つり目がちな瞳は真っ直ぐ前を向いて、不安定な足場の上に立つもう一人の少女の方へと、らすようにゆっくり向かって来る。


 長い髪は風になびいて広がって、着ている他校のブレザー型の制服は、太ももあたりのスカートがヒラヒラと揺れていた。


「あの子……さっきの……! ねぇ! 早く来てよ!」


 足場の先の屋上、すぐそこまでやって来た美しい少女に、瞳は安堵と苛立ちとを同時に感じた。


「さっきから呼んでるのに、どうして早く来てくれないの⁉︎ ねえ、助けて! 私、高所恐怖症なの!」


 手を伸ばして助けを乞うのに、美しい少女はじっと瞳を見つめるだけで動こうとしない。


「……怖かった?」


 ただそれだけを、いやに赤い唇から漏らした少女に、瞳は苛立ちを隠さずに答えた。

 もう足元が不安定な恐怖心よりも、苛立ちの方が勝っていた。


「当たり前じゃない! 高所恐怖症だって言ってるでしょう!」


 泣き叫ぶようにしてわめく瞳を、顔色ひとつ変えずに観察する少女は、やがてコテンと首をかしげた。


「……まだ、今ひとつ刺激が足りないかな?」

「何よ! 訳分かんないこと言ってないで、助け……ッ⁉︎」


 瞳が言い終わるか終わらないかというタイミングで、ググーンと少女の姿は遠のく。


「あ……、やだ……ぁ、なんで……」


 何故かは分からないが、せっかく縮めた屋上までの距離がまた初めの位置からやり直しとなった。


 また十メートルの距離からやり直す気力と体力は、もう瞳には残っていない。

 

 ヒューっと風が吹く。 

 セーラー服の襟が、バタバタと耳障りな音を立てた。

 後頭部のポニーテールが揺さぶられた。


「あ、あ……ア、ア、あ゛ぁあ゛ーー……ッ……」


 フラリと傾いた瞳の身体は、ゆっくりゆっくりと落ちて行く。

 フワリと内臓が浮き上がる感覚と、強い吐き気に堪えきれず、瞳は涙を零した。


 ゆっくりと無機質な灰色の地面が近付いてきた。

 都会のはずなのに、地上には人っ子一人見当たらない。


 思わず目をつぶったと同時に感じた、ガツンッ、という全身を襲う激しい衝撃。


「はッ、あ……っ!」


 眼窩がんかからこぼれるほどに目を見開いて、気道の詰まりを取り除くように、一気に大きく息を吸う。


「あ、あれ……? 今一瞬ボーッとしてた」


 瞳はコンビニのレジ前にある、大好きなグミ売り場の前で我に帰った。

 ボンヤリしていたのが恥ずかしかったのか、ぶつぶつと照れ隠しに独り言を呟く。


「新作は……、出てないかぁ……。じゃあやっぱり定番の『果汁がっつりグミ』だな!」


 お気に入りの『果汁がっつりグミ』を持って、やる気のない大学生らしき男性店員の待つレジへと向かう。


 

――究極のグミ愛好家の集まり『求魅グミ』では、新作のグミをメンバーで試食していた。


「メンバーの皆さま、本日の新作グミは『高所恐怖症グミ』です。どのような味がするのか、早速お召し上がりください」


 繊細で美しい装飾がたっぷり入った銀のトレイに、赤黒いグミが八つ並べられている。


「このグミは高所恐怖症の女子高生に、高いところで極限の恐怖と絶望感を与えて作ってみました」


 メンバーは一人一つずつグミを手に取った。


「それでは、いただきます」


 この場を仕切るのは、濡羽色の長い髪に美しい顔を持つ女子高生。

 女子高生に続いて、メンバー達がゆっくりとグミを口に運ぶ。


「なかなか刺激的味だ」

「ハードなのかと思えば……、フニャリと柔らかい部分もある」


 次々と感想を口にする七人のメンバーは年齢、性別も様々に構成されている。


「ああ、今日も美味しかったわ。でも、やはりまだ刺激が足りないわね」

「そうだよねぇ、もうちょっと工夫が欲しいな」


 サラリと濡羽色の髪を揺らした女子高生は、整った顔にフッと微笑みを浮かべた。


「あら、今回はあまりご満足いただけませんでしたか。それでは、次に『高所恐怖症グミ』を作る時には、もう少し違った刺激を加えてみましょうか」


 七人のメンバーは、大きな手、小さな手、諸々の手で、湧き立つような拍手をもって同意した。


「では、次回の新作グミをお楽しみに」



 








 


 


 


 




 

 


 




 

 




 



 









 









 


 


 



 








 







 









 

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