第7話 邪魔者は排除
「ねえ、ちょっとアナタ」
翌日のこと、売り物のパンを荷車に乗せて王城に入ったルネを、呼び止める者がいた。
「はい。何でしょうか?」
そんな相手に、ルネは穏やかに返事をする。
呼び掛けた声は、確かに昨日は甘えるような可愛らしいものだった。
今日はそんな様子は微塵も見せず、ただ棘のある攻撃的な声。
くるりと声のした方に顔を向けたルネは、やはり思った通りの人物を目にして、思わずため息を飲み込んだ。
平民にしては仕立ての良いワンピース、ウェーブのかかった金の髪、そして今日はキッと吊り上がった青い瞳を持つプリシラが立っている。
「どこのパン屋か知らないけど、もうここには来ないでくれる? これからは私がパンを焼いて、皆さんに配るから」
何て傲慢な言い分なのだろうか。
ルネに生活があるとは考えないのか、自分のしたいことを邪魔する奴は排除するとばかりに、プリシラはそう言い切った。
「あの、私もパンを売れないのは困ります」
ルネの言い分は真っ当である。
何故そのようなことを、王城側や騎士団ではなく外部の人間に言われなければならないのか。
「そんなこと知らないわ。
「え……っ、困ります」
「何が困るっていうの? 代金は払うんだから良いじゃない。それとも……、ユーゴ様のこと狙っているんじゃないでしょうね?」
思わずビクリと身体を揺らしたルネの反応を、プリシラは見逃さなかった。
「はっ! ちょっとユーゴ様がアナタに優しい言葉を掛けたからって、勘違いしない方が良いわ」
プリシラはあの時、ユーゴがルネに優しい言葉を掛けたことを酷く根に持っていたのだ。
「いい? あの方は私の旦那様になる方なんだから。アナタみたいなパン屋の娘がどうこうできる相手じゃないわよ!」
「そのようなこと……。ただ私は、皆さんの健康の為に……」
「白々しい! ほら、代金よ! とりあえず荷車ごとそこにパンを置いて行きなさい!」
ルネの足元に投げつけられた布袋に入った金は、パンの代金にしてはとても多いように見えた。
「こんなに、いただけません。それに……私が皆さんにお渡ししたいんです」
「しつこいわね! 誰が渡したって同じことよ! さぁ、早くどこかへ行っておしまい!」
物凄い剣幕でルネの背中を押したプリシラ。
その拍子にルネは、地面に這いつくばるようにして転んでしまう。
手のひらと膝から血が滲むのを見て、ルネはとりあえずパンを置いてその場を去ることに決めた。
きっとワンピースも汚れたこの格好で駐屯地に行けば、優しい騎士達は心配するだろう。
それに、プリシラの豹変はルネにとってとても恐ろしかった。
人間とは、こんなに裏表があるものなのかと、初めて知ったのだ。
モフである時に見たことがある人間は、『良い人間』と『悪い人間』しか居なかったから。
プリシラのように、『良い人間である時』と『そうでない時』がある人間に出会ったことがなかったから、モフは酷く恐ろしいと感じたのである。
「いつまでいるの? 早く帰りなさい!」
なかなか動けないルネを追い立てるようなプリシラの声は、ルネが怪我をした痛みを忘れて思わず走り出したくなるほどに、恐ろしい声音であった。
苦しげに胸を押さえたルネは、代金も受け取らずに逃げ帰った。
そんなルネの姿を見て、プリシラは可笑しそうに笑い声を上げた。
「あはは……っ、身の程知らずの娘だこと。さあ、ユーゴ様、好物のパンを私が渡してさしあげますよ」
ルネが拾わなかった布袋を手に取り、荷車をガタガタと引きながらプリシラは微笑む。
その顔はいつもの甘えるような顔ではなく、嫉妬に燃えて醜くく歪んだものであった。
そして、騎士たちが待つ場所へとルネのパンを運ぶ。
「こんにちはぁー、皆さん。今日はルネさんから頼まれて、私が代わりにパンを販売に来ましたぁ」
「え? ルネちゃんどうかしたの?」
「えっと……、なんだか今日は他で忙しいみたいで。代わりに売ってもらえないかって頼まれたんですよ」
プリシラの苦しい言い訳に、人の良い騎士達は「そんなこともあるのか」と納得する。
これが、普段のプリシラの行いからくる説得力である。
「プリシラさんのおかげで、ルネちゃんも助かりましたね」
「いいえ、たまたまですよ。それでも、皆さんが喜んでくれて良かったです。」
ニッコリと優しく微笑むプリシラには、既に先程の醜い嫉妬の感情は見えない。
「あ! ユーゴ様! どのパンがよろしいですか?」
「……何故、プリシラ殿が?」
「ルネさん、お忙しいみたいで。私がお手伝いしているんですよ」
当然のことながら、パン屋のルネが誰かに頼んで売ってもらうことなど一度も無かった。
さすがに察しの悪いユーゴでも違和感を感じたが、だからと言って何か確たるものがある訳でも無い。
「なんと、プリシラ殿はお優しい。ほら、団長何にします?」
ポールが間に入って、ユーゴとプリシラの会話を何とか繋げようと頑張っている。
ユーゴが口を開いた時、一瞬ピリッとした空気がプリシラを包んだようだった。
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