第6話 薬師のヴェラ


「プリシラさん、このマカロンすごく美味しいです。ありがとうございます」


 訓練場の片隅で、マカロンを口にした騎士達は次々と褒め言葉を述べた。


「いえいえ、騎士の皆さんの励みになればと、父も応援の気持ちで私をこちらへ向かわせるんですよ」


 父というのは騎士団の元副長であり、ユーゴやポールにとっては元上官である。


 プリシラは甲斐甲斐しく騎士達一人一人にマカロンを手渡しながら、「いつもお疲れ様です」と声を掛けていく。


 そんなプリシラは当然の如く騎士達にも人気で、怖いもの知らずの団員の中には、プリシラに交際を申し込んだ者も居る。


 しかしプリシラは、隠す事なく騎士団長であるユーゴへの想いを吐露とろし、父親も自分とユーゴの婚姻を望んでいると皆に宣言したのだ。


「ルネちゃんに加えてプリシラさんまで……。団長ばっかりずるくないか?」

「まあ、団長は俺らみたいにガツガツしてないから。それが良いのかもな」


 などと、部下達の間でも話題になるほどであった。


 そう、ルネの好意に気付いていないのは当の本人だけで、ポールはおろか他の騎士達でさえ気付いていたのだ。


「ユーゴ様はパンがお好きですか? 宜しければ、次は私がパンを焼いてきましょうか?」


 プリシラは、無愛想で何を考えているのか分からないと良く言われる表情をしたユーゴに話しかけていた。


 ユーゴは騎士達が喜んでいるならば、特にプリシラのやる事についてとやかく言うつもりはない。


 しかし、先程のプリシラの提案については、どうしても頷くことは出来なかった。


「いや、パンはルネのパン屋が来るから構わない」


 まさかそのような返答が返ってくるとは思わなかったプリシラは、驚愕の表情でユーゴを見た。


 騎士達も、あまりに鈍い騎士団長の言葉に絶句した。

 やがて彼らは恐る恐るプリシラの様子を窺う始末。


「……あら、そうですか。それでは、また甘い物をお持ちしますね」


 そう言ってプリシラが屈託のない笑顔を浮かべたから、その場にいたユーゴ以外全員がホッと息を吐いたのである。


「良かった……。プリシラさんが優しい人で……」

「団長も、鈍すぎるよなぁ……」

「あんな風に言われても、へこたれないなんて健気だなぁ……」


 口々にそう呟く騎士団員たちの言葉は、特に深い意味もなく言葉を発したユーゴには届かなかった。


 午後からの鍛錬で、汗を流す騎士達を険しい顔つきで見守るユーゴの元に、副長のポールがそっと近寄った。


「団長、こちら新しく騎士団駐屯地に派遣された薬師くすしの方だそうです」


 ユーゴが後ろを振り向くと、そこには大きな茶色のかばんを斜めがけにした女が立っていた。


「こんにちは、騎士団長さん。私、薬師のヴェラと言います。どうかよろしくお願いしますわね」


 薬師の特徴である明るい緑の三角巾と衣服は、確かに彼女が薬師である事を示している。


 肩までの長さの麦わら色の髪を三角巾で覆い、白いブラウスの上に、緑色のワンピースと茶色のマントを身につけたヴェラという薬師は、少々艶っぽい声で挨拶をした。


「女性の薬師とは……」


 思わずポツリと本音を呟いたユーゴは、咳払いをして姿勢を正した。


「いや、失礼した。薬師が足りず、困っていたところだ。よろしく頼む」


 早速ヴェラは、斜めに下げた鞄の中から次々と軟膏壺を取り出して並べ始める。


「赤い蓋は傷薬です。大抵の傷がすぐに治るように調合しています」

「最も必要としていた薬を……すでにこんなに多く作ってくれているのか」

「はい。私も毎日は来られないかも知れませんので。その時にはこちらを使ってください」


 この国の薬師というのは数が少なく、しかも男が大部分を占めていた。

 貴重な存在だということもあって、横柄な態度をする者も多い。


 女性の薬師、しかもきめ細やかで丁寧な対応に、ユーゴは驚きを覚えた。


「あと、こちらの青い蓋は筋肉の疲労を和らげる塗り薬です。厳しい訓練の後に、大きな筋肉に塗り込んでみてください」

「そんな物があるのか?」

「他国の処方ですが、よく効くそうですよ。騎士団長さんもお使いになってみてくださいな」

「まあ……、部下達に優先的に使わせようとは思うが、一度くらいは試してみよう」


 やはり、部下思いの騎士団長はこのような事でさえ、自分は後回しにするのだ。


「ふふっ……。たくさんありますから、騎士団長さんも十分使えますわ」


 女らしい声音で笑うヴェラに、団長と共に話を聞いていたポールは、ポーッと顔を紅潮させて見惚れていた。


「それは助かる」


 相変わらず無骨な言いりのユーゴに、気にする風でもなくヴェラは話を続けた。


「こちらの緑の蓋は……」


 その後たくさんの軟膏壺は、騎士団の駐屯地にある治療室へ運ばれた。

 よくもまあ、あんな華奢な女性の下げた鞄に入っていたものだと驚くほどに、多くの軟膏壺が並べられたのだ。


「これだけあれば、私が来れない日でも簡単な治療くらいは行えると思いますよ」


 様々な効能を持つ軟膏壺を大量に持ち込んだ薬師は、ふふっと女らしく妖艶に笑った。


「確かに……。先生はとても優秀な方のようだ」


 この優秀な薬師を前にして、珍しく驚いた表情を見せたユーゴは大きく頷く。


 ポールなど、ヴェラの方をずっとポーッとした顔で見つめるばかりで、きちんと説明を聞いていたのか怪しいものだ。


「先生だなんて……。まだ勉強中の身ですわ」


 ヴェラはやはり少し艶っぽい声で謙遜する。

 そのような姿勢も、威張り散らした過去の薬師たちとは大違いだった。

 

「とにかく、これからは怪我をしたり不調があれば、遠慮なく私に申し出てくださいね。勿論、騎士団長さんもですよ」

「確かに……これだけ薬があれば、俺も怪我をした時に言い出しやすいな」


 この妖艶な薬師からあんな風に優しく言われて、それでも平然とした顔で少々ずれた答えを言うユーゴに、ポールはジトっと恨めしそうな視線を送るのであった。


 そして翌日、とある事件が起こる。

 
















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