第5話 プリシラという娘


 今日もルネのパン屋は騎士達に人気だ。


「騎士団長さん、副長さん、今日のおすすめはベーコンエピとサンドイッチですよ。いかがですか?」

「では、それぞれ両方を」


 ブルネットの三つ編みを揺らして、優しげな声音でそう言われると、ユーゴもポールもつい二つずつ買ってしまった。


「やはり美味いな……」

「団長、今の顔すごくレアですよ。無愛想な団長がホワッて! ホワッてしましたよ!」

「なんだ、それは」

「はぁー……。この顔を見たのが僕だけだなんて、非常に残念ですよ」


 ポールの言うことをいまいち理解しかねているユーゴは、眉間に皺を寄せて隣の副長を見た。


「あっ、そうだ。たまにはルネちゃんに、美味しかったって伝えてあげたらどうですかね? ほら、僕も一緒に行きますから」


 とてもいい事を思いついたというように、ポールはエメラルドグリーンの瞳を細めて声を弾ませた。


「え……。なぜだ?」

「だって、美味しかったんでしょう? そういう声はきちんと伝えておかないと」

「そういうものなのか?」

「そういうものです」


 全く、仕事は出来るというのに色恋のこととなればサッパリなこの団長に、ポールはもどかしさを覚えていたのである。


 そして、ルネが商品を並べる場所へと戻ったユーゴとポール。

 一体何事かと首をかしげるパン屋の娘に、まずはポールが声を掛けた。


「ルネちゃん、今日のパンも美味しかったよ。それで、団長も是非お客としての声を届けたいらしいよ」


 ハイハイ早く、とポールに脇腹を小突かれたユーゴは、しどろもどろになりながらも言葉を紡いだ、


「……いつも、非常に美味い……と思う。部下達の為にも、これからも宜しく頼む」


 ルネは初めて直接ユーゴの感想を聞けたのだった。


 いつもはモフの時に、「あれは美味しかった」とか、「こういうのは好きだ」とかいうことは話してくれることはあったが、ルネに対して直接感想を言うことはなかった。


「嬉しいです。ありがとうございます」


 ペコリと頭を下げたルネの三つ編みが、弾みでふわりと柔らかく揺れる。

 ユーゴはそのふわりとした動きに、一瞬目を奪われた。


 隣で何も言わずにボーッとする団長に代わって、ポールはルネに「じゃあまたね」と伝える。


「団長、何ボーっとしてるんですか」

「いや……、何でもない」


 怪訝そうな表情のポールと、いつもの無愛想な顔つきに戻ったユーゴが、ルネのそばから離れようとした時、二人を呼ぶ可愛らしい声が聞こえた。


「ユーゴ様! ポール様、こんにちは」


 現れたのは、緩やかなウェーブを描くブロンドヘアーに潤んだ青い瞳の娘だった。

 爽やかな笑顔を浮かべて、心なしか早足で近付いてくる。


 彼女は平民であったが、何より娘が大切だと言う父親が買い与えた質の良い青色のワンピースを身につけて、ペコリとお辞儀をした。


「やあ、プリシラ殿。今日は何用で?」


 反応の悪い団長に代わって、ポールは得意の人の良さそうな笑顔を向けて尋ねた。


「今日はマカロンを作って来たんです。いつも厳しい鍛錬を欠かさない皆さんに、是非食べていただきたくて……」


 プリシラはマカロンの入った籠を持ったままで、器用に両手を胸の前で組む。

 潤んだ瞳でそう答えた彼女は、チラリとパン屋のルネの方を見た。


「嬉しいなぁ。団長、皆に声を掛けましょうか?」

「ああ、頼む」

「じゃあルネちゃん、また美味しいパンをお願いね」


 そう言って仲間に声を掛ける為、ポールは早足で去って行った。


「ユーゴ様、私たちも行きましょう」


 プリシラはユーゴに向かってにっこり微笑むと、マカロンの入った籠を「よいしょ」と持ち直した。


「……それをこちらへ。俺が持とう」


 ユーゴがそう言った途端、プリシラは青い瞳を潤ませて嬉しそうに笑った。


「まあ! ありがとうございます! 実は私には少し重くって……。お願いいたします」


 マカロンの籠をユーゴに手渡す時、プリシラは意図的にそっと手を触れ合ったように見えた。

 ユーゴは何も気づいた様子はなく、軽々とマカロンの籠を受け取った。


「では、行きましょうか」


 熱っぽい眼差しでユーゴの方を見つめながら、プリシラは微笑みを浮かべた。


 ルネは、全て売り切れたパンの陳列台を片付けしながらも、すぐそばの二人の様子をさり気なく気にしている。


、いつもありがとう。実は、貴女のパンは俺の好物なんだ。それでは、気をつけて帰るように」


 去り際に、突然ユーゴがそう言った。


 まさか自分に話しかけられるとは思っていなかったルネは、一瞬反応が遅れてしまった。

 しかも、初めて『ルネ』と直接名を呼ばれたのだ。


「は、はい! ありがとうございます!」


 その返事を聞いて、ユーゴは僅かに表情を緩ませた……ようにルネとプリシラには見えた。


 まさかたったそれだけのことが、ルネという娘の不幸のキッカケになるとは、ユーゴは夢にも思わずに。






 




 


 


 



 




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る