第4話 健気な生き物


「モフ! 帰ったぞ!」


 勢いよく居室の扉が開いたと思ったら、ユーゴがソファーの方へズンズンと歩いて来る。


 その勢いはソファーのすぐ手前でブレーキがかかり、そこからはとても優しい手つきでフワフワのモフモフ毛玉へ触れる。


 まぁるく撫でて、そっと毛の中に手を沈ませる。


「あぁー……、今日もモフモフして気持ち良いなぁ。モフ、お腹空いたか?」

「モキュッ!」

「そうだよなぁ、ほら食べろ」


 ユーゴは平たいお皿の上に天花粉てんかふんを乗せて、モフがそれをモッチャモッチャと食べるのを、じーっと愛情に満ちた眼差しで見つめている。


「美味そうに食べるなぁ……。おっ、そうだ! 今日あった事を聞きたいか?」

「モキュー!」


 親は田舎で兄と住んでおり、自分だけ一人暮らしも実は寂しいのだろうか。

 近頃ユーゴは毎日あったことを、このケサランパサランのモフに話し掛けている。


「そうだなぁ……。今日もルネのパン屋が来てて、俺はフィセルを食った。俺の好きな厚切りのハムと、野菜がたくさん入っていてな、美味かったんだ」

「モキュ、モキュウ!」


 今日一番知りたかったことが聞けて、モフはとても嬉しそうに鳴き声をあげた。


「あのルネって娘は、どうやら勉強家らしい。副長のポールが言っていたんだが、騎士達の為に栄養を考えてパンを作ってくれているようだ」

「モッキュ!」

「それにな、どうやら想い人が騎士の中にいるらしい。俺の部下達は根は良い奴らばかりだが、癖のある奴もいるからな。どうせなら、上手くいってくれたらいいんだが……」


 明後日の方向に話が向かっているのはいつものことで、このユーゴという騎士団長はとてもとても鈍かった。


 お陰でモフしか知り得ないようなユーゴの味の好みを、パン作りに生かしているのだ。


 フィセルはユーゴの好きなパンであるし、そこに挟む具材もユーゴの好むものが多く入れられている。

 厚切りハムはその最たるものだ。


 他にもチーズブールという、丸くて硬めのパンにチーズが混ぜ込んであるものもユーゴが好むので、モフはルネのパン屋で頻繁に売りに出している。


 そんなことも全く不思議に思わない、この騎士団長は騎士の勤め以外のことに関しては、全く勘が働かない上に興味がないのである。


 外見もすっきりと整っており、逞しい体躯と騎士団長という肩書きに、幾人もの女性が言い寄ったこともある。


 けれども、その都度鈍さを発揮して気付かずに放置するか、又は「騎士の勤め以外には興味がない」とスッパリ言い放つかのどちらかなのであった。


 この寡黙な騎士団長ユーゴが興味を示すのは、己が誇りに思う騎士の勤めと、モフのようなモフモフフワフワとした癒しの生き物しかない。


 そしてその事実を知るのは、両親と兄、そして目の前のケサランパサランだけである。


「俺のような人間が、お前みたいにフワフワで可愛くて思わず触ってしまうような、モフモフの生き物が好きだなんて言えないだろう」

「モキュゥゥ……」


 柔らかな毛並みに手を差し入れて、優しく撫でながら言葉を続ける。


「周りはもう二十七なんだから、結婚しろだの恋人を作れだのうるさいが、俺はそんな気は全くない。好きでもない女と婚姻を結ぶなど……」

「モキュー?」

「モフ、聞いてくれるか? すでに騎士を引退した元上官がな、娘を嫁に貰ってくれと近頃しつこくてな」


 モフはそのようなことは初耳で、思わずピクリと体を揺らした。


「その娘というのが到底受け入れられないような嫌な女ならまだしも、人当たりが良くて騎士の駐屯地にも度々手作りの菓子を差し入れに来たりする、家庭的な女性なんだ」

「……モキュ」

「俺は好きでもない相手と婚姻を結ぶなど、絶対に嫌なんだが……。それに、俺の嗜好モフモフを理解してくれるような相手など、そうそう居ないだろうし」


 モフは人間の言葉を話すことは出来ない。

 だが、その瞳は少しだけ寂しそうに潤んでいた。


「まあ、暫くしたらプリシラ殿も俺のことなど飽きるだろう」

「モキュウゥ……」


 ユーゴの言う『プリシラ殿』というのは、モフがルネの姿をしているときに騎士達の口からも聞く名前であった。


 あの寡黙で鈍感な騎士団長に惚れている、家庭的で気の利く可愛らしいお嬢さんだと、駐屯地でも噂になっていたからだ。


「キュゥ……」


 本当は、ユーゴが誰かのものになるなんて、モフは考えるだけで辛かった。


 せめて大好きなユーゴが、少しでも心地よく過ごせるように……。

 そう願って、モフは日々健気に尽くしていた。


 そんなモフを助けてくれる存在、アフロディーテは愛の女神だ。


 モフの家族が消えてしまった日、悪人に捕まる危険を冒してまで、女神の神殿までフワフワと飛んできた一匹のケサランパサラン。

 どうしても、一人の人間のそばに居たいと願った健気な生き物。


 女神はそのいじらしさに、どうにか願いを叶えてやろうと手を貸した。


 ユーゴがケサランパサランのモフに愛情を注ぐほどに、それをかてとして、モフは人間になれる時間が増えるのだ。


「さあ、今日もモフに癒されたよ。ありがとな」

「キュウン」


 優しい触れ合いを糧に、また明日からモフは人間となってユーゴを手助けする。


 


 

 


 



 









 


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