第8話 プリシラのパン屋とヴェラの心配


「……では、おすすめは?」


 ユーゴはいつものように、ルネのおすすめする物を食べようと思った。

 そこに他意はなかったのだが。


「あ、おすすめ! プリシラ殿、今日のおすすめは何かな? 団長はいつもルネちゃんのおすすめを食べていたから」


 無愛想で口数の少ないユーゴに代わり、通訳のようにポールが話を繋げる。


「えっ! おすすめですか? えーっと……」


 プリシラは突然の問いに、答えを準備していなかったから焦りを隠せない。


「おすすめ、いつもルネちゃんが教えてくれてたから。……聞いてない?」

「あっ! そうだ、これです! この白パン!」


 ユーゴとポールは、パン屋のルネがおすすめしたという、を持って駐屯地の隅へ移動した。


「これはこれで美味いんだが……」

「ですねぇ……。何にも挟まれてないと物足りなく感じるのは、既に栄養を考えられたに慣れちゃってるんですね」


 モシャモシャと、何も挟まれていないただの白パンを二人で食べていると、思わず本音がこぼれた。


「ポール。何か、違和感を感じなかったか?」

「うーん……。ルネちゃん、余程の何かがあったんでしょうねえ。そうでなければ、プリシラ殿に頼むようなことはしないでしょうし……」


 そう、あの真面目にパンを売る娘が、些細な理由で他人に店を預けるなど考えにくいのだ。


「……明日は来るといいが」

「そうですねぇ……」


 そして午後からの訓練中、刃を潰した模擬刀で実戦さながらの試合をした際に、一人の騎士が太ももを切る怪我をした。


 他の騎士達には訓練を続けるように命じて、ユーゴは負傷した騎士を担いで治療室を訪れた。


「あの、団長。運んでもらってすみません……」

「気にするな。先生! いるか?」


 荷物のように軽々と担がれた騎士は、それでもひ弱な体つきではなく、ユーゴに向かってずっと恐縮しきりであった。


「あら、どうなさいました?」


 治療室の奥から出てきた薬師のヴェラは、ニッコリ笑って二人を出迎えた。


「コイツが模擬刀で脚を切った。診てもらえるか?」


 端的に伝えたユーゴが、処置台と呼ばれる長椅子のようなところに部下をそっと下ろした。


「それじゃあ……傷を見たいので、少し下衣を下ろして下さる?」


 艶やかな声音の女性薬師を前にして、部下の騎士はモジモジと下衣を下ろすのを躊躇っている。


「ほら、さっさと見せてみろ」

「いや、あの……でも……」

「何を躊躇っている。治療の為だ、早く脱げ」


 そう言ってズルリとユーゴが部下の下衣を下げると、太ももに大きな切り傷があり、未だ出血している。


「あら、傷口がギザギザね」

「模擬刀でやったからな。どうすればいい?」

「それではまず洗浄しましょう」


 テキパキと動くヴェラに指示を貰いながら、ユーゴは治療の手伝いをした。

 時々うめく部下を叱咤しったしながら、何とか治療を終えたのである。


「さあ、これで良いでしょう。一週間後に糸を抜くから、また来てくださいね」


 傷口は、鮮やかな腕前で縫合ほうごうされた。

 ユーゴは、このヴェラという薬師の実力に心底驚いて、敬意を込めた感謝を述べる。


「先生は、随分と腕がいいな。助かった……ありがとう。ほら、お前も感謝を……」

「先生、ありがとうございました!」


 ヴェラはそんなユーゴと騎士に、小首を傾げて答える。

 それはそれは艶やかな美しい声で。


「いいえ。また何かあれば、遠慮なくおいでくださいな」


 その時に、ユーゴはヴェラの手のひらの傷に気づく。

 ピタッとした処置用の手袋をしていて気づかなかったが、それを外した時に両手に包帯が巻かれていたのだ。


「先生、怪我をしたのか?」


 ヴェラはハッとした様子で、さっと手を後ろに隠して答えた。


「ええ、今朝少し転んでしまったので。恥ずかしいから、知られたくなかったのだけど……」

「平気か?」

「もちろん、自分の調剤した傷薬を使えばすぐに治りますから」


 そう言ってヴェラは、赤い蓋の軟膏壺を顔の横で振って見せた。


「それならいいが。では、お邪魔した。さ、行くぞ!」

「あ、すみません! では、先生ありがとうございました!」


 騎士はまたユーゴの肩に担がれて、治療室を出て行った。

 二人が去ったのを確認してから、ヴェラは大きく息を吐いた。


「ふう……。手のひらはまだしも。膝は随分と思い切り打ちつけたから、青あざになってしまったわ」


 チラリと薬師の特徴である緑のワンピースを持ち上げて膝を露出すると、そこには転んだ拍子についたすり傷に包帯が巻かれ、その周囲は青く変色しているのであった。


「あの人、きちんとパンを皆に渡してくれたかな? ユーゴは食べてくれたのかな? 明日から、どうしよう……」


 ヴェラの体と艶やかな声で語るのは、パン屋のルネとしての心配事であった。


 治療室をあとにしたユーゴは部下を担いで訓練場へと戻る最中に、手際の良いヴェラの仕事ぶりに心底感心していた。


「団長、新しい先生って素敵ですよねぇー」

「そうだな、確かに良い先生だ」


 担いだままの部下がしみじみとそう話かけた時、ユーゴは珍しく素直に肯定したのだった。


 そのあまりに素直な肯定に、部下である騎士は酷く驚いて、その後騎士達の間でユーゴはヴェラのような艶やかなタイプが好きらしいと、密かな噂になったほどであった。








 





















 




 

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