第31話 真実

 そもそも今回の「紡木つむぎ優子失踪事件」は、事件でもなく犯人もいない。

 ただある人のついた、嘘ともいえない嘘が、本人の意図とは無関係に拡大してしまったところにる。


 その人はもしかすると、俺を許せなかったのかもしれない。でも許そうと努力したのだ。

 だから彼女は元カレとの想い出が詰まった遊園地のお化け屋敷に連れていったのである。


 おそらく真弓はすぐ真相に気づくはずだ。そして理乃さんもなぜそうなったのか理解するだろう。


「それで令和のホームズとしては、盗聴犯の柴田をどう処理してほしいんだ?」

「彼の家や立ち入り先を捜索して録音テープや音声データの類が出てきたら。女性のプライバシーを尊重していただけるのでしたら、それを証拠として採用していただいてかまいません」

 きっぱりと言い切った。確かに俺の評価を下げかねない内容ではある。

 しかし、関係を持った女性たちをなかったことにするつもりはない。責任はとるつもりだ。

「私の女性遍歴が公になるでしょうが、これまで野放図のほうずに女性と致してきた罰は受けますよ」

「達観しているんだな、その若さで」

「いえ、どうせ会社にはつまみ食いのことを気づかれていましたからね。だから私自身は会社からどう処分されても致し方ないと思っています。ただ夜をともにした女性は自由意志であったとしてもあくまでも被害者です。だから彼女たちの人権にはじゅうぶん配慮していただきたいのです」


 多くの女子社員と寝たことのとがは受け入れよう。

 それが紡木つむぎ優子さんの偽らざる本心だったのだから。

 結果的に紡木つむぎ優子さんが失踪してしまったのも、元はといえば俺の女性関係によるところが大きい。


「ところで、なぜ紡木つむぎ優子の写真を岡田真弓と坂江理乃に見せたら彼女の失踪の真相がわかると思っているんだ? どちらかが彼女を拉致したか殺したかしたとでも言うのか」

 その発想自体が貧困な証拠だ。すべてをこれまでの固定観念で見ようとしているにすぎない。


「そのどちらでもありませんよ。彼女たちなら、今回の真相にすぐ気づけるはずなんです。これって偏見ですけど、刑事さんってまだ多くが男性ですよね。見たところ、ここも女性が少ないようですし」

「まあ確かにうちは女性刑事が少ないほうだな」

「もし多かったら、もっと単純に答えを導き出せたはずなんです。そう、男性の思い込みより女性の観察力をもってすれば、答えは実にシンプルだったんです」

「わからねえなあ。なぜ女性なら気づけると断言できるんだ?」

「それでは女性刑事にいらしていただいて、紡木つむぎさんの写真を見てもらいましょうか。そうすればなにかに気づけるかもしれませんよ」


 唐突に取調室のドアが開いた。

「警視、岡田真弓に例の写真を見せたら、とんでもないことを口走りました!」

「とんでもないことってどんなことだ」

 年配の警視が内容を待っていた。

「写っているのは紡木つむぎ優子じゃないと断言しているんです」

紡木つむぎ優子じゃない、だと? じゃあ誰なんだ」

「それが──」



 あのとき理乃さんが口にした「もし紡木つむぎさんが亡くなっていたとしたら」という言葉。

 あれですべての謎が解けたのだ。


 なぜ紡木つむぎ優子が隣の部屋に引っ越してきたのか。

 なぜ取締役である坂江理乃さんがしがない課長である俺と寝たのか。

 遊園地へ真弓と理乃さんを連れていったとき、彼女はなぜ腰を抜かしてしまったのか。


 そもそも紡木つむぎ優子さんが遊園地で泣き崩れた理由は、自殺した元カレとの日々を思い起こしたからである。

 それが彼女にとって思い出したくもなかったことであり、それがため、結果的に失踪しなければならなくなった。

 そして真弓もそのことに気づいたようだ。



「その情報は確かなんだな。高石さん、あんたの推理も同じか?」

「間違いありません」

「でもそんなことがありうるのか?」

「固定観念に縛られないようにしてください。ありのままを直視しなければ真相にはたどり着けませんよ」

「女たらしのあんただから気づけたのか?」

「いえ、私もすべてを理解したのはついさっきです。ですが、それであればすべての謎が解けるのです」

 またしても取調室のドアが開いた。


「うちの女性に写真を見せたところ、写っている人物はほぼ間違いなくあの人だろう、と言っております」

「これであらかた確定か。どうする、彼女の取り調べを見に行くか?」

「見せていただけるのであれば。できれば岡田真弓さんも一緒に」

「わかった。そうしよう」



 それぞれ尋問をしていた刑事に連れられ、真弓とともに理乃さんの取調室を収録している部屋へと入った。そこでは刑事が「紡木つむぎ優子と元カレ」の写真を見せていた。

 だが俺が「彼女にその写真を見せてください」と言っていたことは伝えられていないようである。


 いつまでも下を向いて黙秘している。彼女は紡木つむぎ優子さんのすべてを知っている。

 誘拐されてもいないし、殺されてもいない。

 理乃さんが生きているのがなによりの証明となる。


「雄一、あの写真の意味にいつ気づいたの?」

「実は理乃さんと初めて会ったときからなんとなく違和感を覚えていたんだ。誰かに似ているな、と」

「私も写真を見たとき驚いたわ。あなたによく似た男の隣に立っている人って彼女のなんなの? 姉とか妹とか?」

 そうか、姉妹の関係性があったのかもしれない。だが、それはないと断言できる。


「あれは……理乃さん本人だよ」


「本人?! 似ているなとは思ったんだけど、本人だったの!」

「うるさいぞ。邪魔になるから静かにしていろ」

「どうせこっちの声は向こうに届かないんだからいいじゃない」

 俺は頭を働かせながら理乃さんの取り調べの様子を眺めている。

 しかし彼女はいっこうに口を開かない。完全に黙秘したままでいる。


 これはもっと直接的なきっかけが必要なようだ。

「警視さん、よろしければ私と真弓さんをあの尋問の行なわれている取調室へ入らせてもらえませんか」

「なにをする気だ?」

「真実を語っていただきます」


「理乃さんが紡木つむぎさんだったってことを?」

「ああ。おそらく彼女は俺にバレたくないんだと思う。俺が紡木つむぎさんの写真を彼女に見せてくれと頼んだとは知らないのかもしれない。だから、すべてわかっているんです、と彼女に伝えれば、すべてを自供していただけるはずです」

「まあ、本当に坂江理乃が紡木つむぎ優子だったとしたら、今回の捜査の意味がまったくなくなるわけか」

「はい、警察の捜査は完全に無駄足だった、ということです。これ以上警察を茶番に付き合わせる必要なんてありませんからね」

紡木つむぎ優子は失踪していなかった……」

 真弓は呆気にとられているようだ。


「真弓の言うとおり。今回のことは事件にすらなりません。ただひとりの女性がふたりの顔を持っていただけの話です」

 そう。ただそれだけなのだ。

「問題があるとすれば、理乃さんが取締役としての姓名があるのに、紡木つむぎ優子としてマンションの契約ができた点にあります」

「まあどちらかが本名なんだろうが、確かにひとりの人間がふたつの名前で仕事をしたり部屋を契約したりは場合によっては法に触れるかもしれんな」

「これはおそらくなんですが、坂江理乃はビジネスネームではないかと。つまり芸能人の芸名みたいなものです」

「なるほどな。職種によって本名を名乗らなくてもかまわないことになっているからな。だがマンションの契約は本人の名義で行なわなければならない。だから本名は紡木つむぎ優子のほうか」

「ええ。彼女はうちの会社の近くで賃貸マンションを二カ月借りていることになっています。これもおそらくは会社名義です。ビジネスネームは使っていないはず」

「おい、お前ら、今すぐ裏とってこい」

 年配の警視が若い刑事に指示を出した。四人の刑事たちはすぐにモニタールームを出ていった。裏付けがとれれば、彼女はあきらめるしかないはずだ。

 だがそれまで待つ必要があるとも思えない。

「警視さん、先ほどの提案ですが、考えていただけませんか」

「取調室に入れる話か……。わかった、事情が事情だしな。すべて警察の範囲外だろう。許可しよう」



 取調室のドアを開けて、黙秘を続ける理乃の前に真弓とともに現れた。

「理乃さん、すべてを警察に話していただけませんか。それとも私が話して聞かせましょうか」

 憔悴しょうすいした理乃が俺の顔を見上げている。

 短い時間のはずなのにずいぶんと疲れきった顔をしている。


「高石さん……」

「実はこの写真をあなたに見せるよう頼んだのは私です。紡木つむぎ優子さん」


 理乃さんの表情が硬直した。そして力が抜けたようにうなだれた。


「すべて……バレてしまったのですね……。私の本名が紡木つむぎ優子だということも……」

「はい。初めて理乃さんと出会ったとき、なぜか知らないけれど、どこかで会ったことがあるような、という違和感を抱いてはいたんです。そのときはなぜそんなことを思ったのかわからなかった」

「しかしあなたは気づいてしまった」


「あなたと真弓、ふたりを連れてあの遊園地へ行ったとき、もしかして、とは思いました。そしてあなたが『紡木つむぎ優子さんが亡くなっていたとしたら』と言ったとき、ある程度つながりました。確証はありませんでしたが、おそらくそうなのだろうと」


 理乃さんいや紡木つむぎ優子さんが口を引き締めた。


「わかりました。すべてをお話し致します」



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