第30話 尋問と糸口
その日の就業時間が終わる頃、また刑事がふたり職場に現れた。
そして本日も俺と真弓そして理乃さんは覆面パトカーに分乗して警察署へ連れてこられた。
またしても尋問が始まるのか。
しかし、もうその必要はない。彼女は意図的に失踪したわけじゃないんだ。
結果的に失踪してしまった形になっただけであり……。
問題はこの年配の刑事、たしか警視だったな。彼に伝えても、理解できるかどうかだ。
「高石さん、こちらでもいろいろと調べたんだがな。
「そうですか。ご苦労さまです」
「なに、こっちも仕事なんでね。で、まず前の職場へ行ってみたんだ」
神妙な顔を装い、黙って話を聞くことにした。
「職場といっても住所のない連中が集まる日雇い派遣なんだけどな」
「そうですか」
「つまり、あんたの隣の部屋へ引っ越すために日雇い派遣を利用したんだ。なにか心当たりはないかい」
「心当たりはありません。ただ毎晩部屋に帰っていてきたわけじゃないことは確かです。私が女性を連れ込んで致していた翌朝、たいてい怒鳴り込みに来ていましたが、来なかった日もあります。まあそのときに徹夜で仕事をしていたのかもしれませんね」
「なるほど。そういう認識だったわけだ」
年配の刑事が前後逆さで椅子に座りながら机へにじり寄ってくる。
「ではこれはどうだ。彼女の元カレが自殺したのは、彼女を幸せにできるだけの財力がないと悲観したからだ。そして生命保険の受取人を彼女にしてから自殺した」
「初耳ですね。聞いたところによると、受取人を変更してからすぐに死亡した場合、また自殺だった場合は死亡保険金は支払われないのではありませんでしたか?」
「さすが物わかりがいいな。そのとおり、彼女に死亡保険金は支払われなかった。つまり元カレの無駄死にだったわけだ」
「で、今度
「ご明察」
この刑事はまるでわかっていない。
仮にそれが事実だったとしたら、どこかの保険会社に彼女が受取人で俺の生命保険でもなければならない。
おそらくそんなものは存在しないはずだ。
「ではどこの生命保険会社に、私の生命保険契約で受取人が彼女だったものがあったのですか?」
「今のところ見つかっていない。まあ殺人未遂の疑いがあるとは言っても、保険会社がわれわれに契約のすべてを提供してくれるわけではないからな。だが、どこかの保険会社に出されていると見ていい」
捜査すらしていないのに決めつけてくるのか。せいぜい証拠を挙げてから追い込めばいいものを。
「おそらく無駄ですよ。前回死亡保険金を受け取れなかったからといって、まったく同じような状況で、まったく同じような外見をしている男が自殺していた事実は揺るぎません。おそらく受取人に
「まあ確かにこのシナリオでは受取人に彼女の名前が使えるか、というのが問題にはなるな。まあそれを突破したとして、今度はあんたの自殺では困るんだな、彼女としては」
下手の考え休むに似たりだな。なにひとつ的を射ていない。
「他にもなにか手がかりはないんですか?」
「驚かないところを見ると、知っていたんだな。彼女の計画を。どのあたりで気づいたんだ、あんたは」
「なにも気づいてはいませんよ。あなた方の捜査がいかに憶測だけで動いているのか、それに呆れているだけです」
「憶測ねえ。じゃあ憶測ついでに尋ねるが、あんたは自分に生命保険がかかっていると気づいて、彼女を問いただしに行って誤って彼女を殺害してしまった。違うかね」
「違います。まったくかすりもしていません」
よくもまあこんな的はずれな推理を容疑者に披露できるものだ。
素人相手なら簡単に白状するのかもしれないが、こっちはあらかた見当がついているのだ。
「あんたは彼女を殺すのに都合が悪いから、盗聴器が仕掛けられていると言ってあんたと彼女の部屋を探索させたんだ。そして誰にも聞かれていない状況の中で犯行に及んだ」
「具体的にどのような殺し方をしたんでしょうかね、私は」
「あんたお得意のヤッてるときだろうさ。おそらくヤッてるときに首を絞めたか、心臓の薬を飲ませて腹上死ってところだな」
下品にも程があるな。
この刑事、見当違いも甚だしい。これで警視だというのだから呆れるしかない。
こうやって冤罪を生み出しているのだろうか。
そろそろこちらも反撃したいところだな。まずはジャブを突いていこう。
「なぜ彼女を殺害した方法が複数あるのですか。そこまで突き止めて初めて捜査と言うんじゃありませんか」
「なあに、あんたから自供をとればそれまでだ。そろそろ尻に火がついているんじゃないかな」
「まったく、ですね」
「まああんたのベッドや部屋から薬物はなにひとつ検出されなかった。そう考えれば腹上死を装うよりも首を絞めたほうが確率が高いだろう」
推理で真相を突き止めるのではなく、確率の問題にするつもりか。
まともに捜査する気がないのか、この警視は。あまりにも犯罪捜査を軽視しすぎだ。
だが、ここで「たとえ私が彼女の首を絞めて殺したとして」などと発言すると、録画ビデオの編集で都合よく切り取られて「私が彼女の首を絞めて殺した」に編集されてしまうだろう。
そこは注意深く避けなければならない。
「それは無理がありますね。その後の彼女をどうするつもりですか。マンション内にある防犯カメラをご覧になればわかるでしょうが、私は部屋からなにも運び出していませんよ」
「そう。だからあんたの部屋に、まだ彼女の遺体が存在している、と俺は見ている。違うか?」
「違います。必要とあらば捜索令状をとって心ゆくまで捜索なさればよろしいでしょう。それでなにも出なかったときは、きちんと賠償していただけるのであれば」
「その言い方だと、なにがしかの方法で、すでに室外に運び出した可能性が高そうだな」
「いえ、私は殺してもいないし、彼女は死んでもしないし、だから運び出してもいませんよ」
「彼女は死んでいない、だと……。なぜそれがあんたにわかるんだ?」
「状況をすべて頭に入れて、ちょちょいと推理すれば、結論は至極簡単だったことがわかりますよ」
「ほう、あんたの推理を聞かせてくれないか。名探偵さんよ」
「それでは法廷で証拠になるように、ここから先、絶対に編集しないでください。今は何時何分ですか?」
「二〇時〇八分だな」
「これで少なくとも編集を入れたらすぐわかるはずです」
「
監視カメラの位置を確認して、そちらを意識する。
「ではまず、私が彼女を殺していないし、彼女は死んでもいない理由についてですが」
どうせ反撃するなら、盛大にノックアウトを狙ってやるぞ。
「彼女が失踪したとされる日に、私は朝に彼女の部屋を訪れています。そしてそこから彼女は自分の足で出ていったはずです。これはマンションの防犯カメラの映像を解析すれば簡単にわかるはずです」
「おい、資料を寄越せ。──確かにあんたが彼女の部屋に行って、出てきた後に彼女が出ていっているな」
「やはり。つまり彼女が失踪する前に私は彼女と会っていますし、その後私は立ち去っていて、彼女が自分の足て部屋を出ている。そもそも管理人に退去の申し出をしていたのですから、それをやめにするなら管理人に申し出なければなりませんよね。そんな人がいきなり失踪したとして、事件に巻き込まれる可能性について考えたことはありますか」
「どうなんだ?」
年配の刑事は若い部下へ振り返った。
「管理人への聞き込みによると、その日、退去したいと言っていた女性が、退去をやめると口頭で言われたそうです。そのとき晴れやかな表情をしていたそうです」
「ううん。ということは殺す動機がないのか」
取調室の扉が開き、グレーのスーツを着た刑事が尋問役の年配刑事に耳打ちする。
すぐに「わかった」と言うと俺を残して年配の警視ともども部屋から出ていこうとした。
ここで抜けられると、こちらの聴取が長引くだけだ。
「なにがあったんですか、刑事さん」
「あんたの部屋を盗聴していた野郎がドジを踏んで捕まったんだ。最大の容疑者になるんでそちらを優先させてもらおう。あんたはここで晩飯でも食べていてくれ」
「その必要はありません。彼女の部屋に中継器を設置しようとした盗聴犯の柴田は今回の件に関係ない。いや盗聴していたこと自体は関係がありますね。ですが
「どうしてわかるんだ?」
「サー・アーサー・コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズの冒険』の愛読者なので、多少の推理くらいはできますよ」
「ほう、ホームズか。で、ホームズとしては、なぜ盗聴犯が女性を殺したり拉致したりしていないと考えるんだい」
「もし殺したり拉致したりして、彼女の部屋の鍵を手に入れたのなら、玄関から堂々と入れるはずです。しかし捕まったのだとすればおそらくベランダ側から侵入しようとしていた可能性が高い。つまり犯人は鍵を持っていなかった。だから
「なるほどな。それなら取り調べは若いやつらに任せるか。おいお前行って尋問してこい」
伝えに来たグレーの刑事が敬礼すると取調室を飛び出していった。
「ホームズとしては、それ以外に気づいたことがあるんじゃないかな。そんな顔をしているが」
「ワトスンくん、状況をあるがままにとらえ、偶然に見せかけた必然を探してみることだね」
「なんだよ、ヒントくらいくれや」
「それでは彼女の部屋で差し押さえた、彼女と元カレの写真を持ってきてください。そしてそれを岡田真弓さんと坂江理乃さんに見せていただけますか。それですべての謎が解けますよ」
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