第28話 事情聴取
総務企画課に戻って仕事を始めていると、またぞろ若い刑事が話しかけてきた。
「高石さん、お時間をいただけますか。警察署で事情をお伺いしたいのですが」
「私の一存では決めかねます。部長や取締役の許可を得ませんと」
「ではそれまでお待ちしておりますので」
つまり必ず警察署に連れてこい、と言われているわけか。
「ちなみにお時間はいかほどかかりますか?」
「それはわかりかねます。捜査にご協力いただければ早く終わると存じますが」
自分たちのシナリオどおりにしゃべらないと終わらせないつもりだな。
これは危険な匂いがする。
疑獄にはめ込んで陥れようと企んでいるな。
「わかりました。それでは本日は休暇をとることに致します。それでよろしいでしょうか」
「助かります」
機械的な反応が返ってきた。若い割に如才ないな。
常務執務室へ緊急のアポイントメントを入れて、真弓が出迎えてくれた。
「常務がなにごとかお伺いしますので、素直にお答えください。私と坂江取締役もあとで警察に呼ばれておりますので」
「わかりました」
真弓がドアを開けてくれたので、常務が待つ執務室へと踏み入った。
空気が張り詰めているのがわかる。真弓はドアをわずかに開けてこちらを
常務は着席して両肘をテーブルに付けている。
「高石くん、私は君を信じていいのだね?」
「はい、常務。私はなにもやっておりません。彼女と寝たこともありませんので」
「寝たこともない、か。なにもそこまでは聞いておらんのだが」
常務から眼差しを外さなかった。
「わかった。君が嘘をつくような男でないことは私も承知している。警察はなんの手がかりもないことで上からせっつかれている可能性があるな」
「せっつかれる、ですか。そうかもしれません。言葉の端々に私を犯人に仕立てようとの悪意を感じておりますので」
「ほう、そこまでわかるか。やはり君を部長に起用した私の目に狂いはなかったな」
容疑をかけられている俺に向けられていた、厳しい顔が急に和らいだ。
「よし、警察へ行ってこい。何日かかってもかまわん。俺の権限でなんとかしておく。だから必ず潔白を証明してくるんだぞ」
「常務、ありがとうございます。必ずや汚名を
退室したところに真弓が声をかけようとしてとどまった。秘書室の前で刑事と警察官が俺を待ち受けていたからだ。
「常務取締役から休暇をいただきました。警察署へ向かいましょうか」
決意に満ちた足取りで、秘書室から一歩を踏み出した。
「君の名前は?」
「高石雄一です」
「ご職業は?」
「商社で企画課長をしております」
「九月から部長になるとのことですが」
「間違いありません」
即答できる質問を立て続けにしてくる。
これはこちらの誤爆を誘発しようとしているな。
たとえば「彼女の名前は?」と聞いてから「彼女を愛していた?」そして「あなたが殺した?」と続けるような。
「彼女の名前は?」
「現在は三人おりますので、どの方の名前でしょうか」
「現在失踪している女性の名前ですよ」
リズムに乗せようと
「
「あなたは彼女を愛していた?」
「まだ愛してはおりません。気になっていただけです」
「気になっていた、とは?」
「隣の部屋の住人で、私が他の女性と致した翌朝、頻繁に怒鳴り込みに来ていたので気になってはいました」
「それが煩わしかった?」
「いえ、不思議なことがあるものだ、と思いました」
「不思議なこと?」
「これは刑事さんもご存じでしょうが、私の部屋の物音を彼女が聞いていたのは確かなようです。しかし彼女の部屋の物音は私の部屋では聞けません。そこが不思議なのです」
「なぜ?」
「うちのマンションは防音仕様になっていて、たとえ隣の部屋で銃声を発したとしても聞こえないことを
「なるほどねえ」
「それで刑事さん方に私と
「それは私も確認しております。その盗聴器を仕掛けたのが彼女だった」
「違います」
「違うと?」
「はい、盗聴器と中継器の双方に私と彼女の指紋は検出されていません。過去に彼女を部屋へあげたことは一度もありませんから、彼女でないのは明白です」
「ではあなたが自分で盗聴器を自室に仕掛け、こっそりと隣室に忍び込んで受信器を設置した」
「違います」
「違うと?」
「それで彼女が部屋に怒鳴り込みに来るのが煩わしく思ったのなら、彼女を害するより受信器を回収するほうが手早いでしょう。ここ一年ほど、彼女が毎朝のように怒鳴り込んで来るのを防がなかったことに違和感を持たれるのではありませんか」
「なるほどねえ」
やはりこちらの誤爆待ちか。たいした戦術もないのによく尋問が務まるな。
自分たち警察が思い描いたシナリオ以外は認めるつもりもないのだろう。
「では話を変えましょう」
いったん話題を逸らせてから、急に戻って中途半端な判断からの失言を誘うつもりか。
「あなたは昨日、常務秘書の岡田真弓さんと大手広告代理店の取締役である坂江理乃さんと三人で遊園地に行った」
「間違いありません」
「彼女たちと楽しい一日を過ごせて嬉しかった」
「間違いありません」
「彼女たちと楽しい時間をもっと持ちたくなった」
「そうかもしれません」
「それで
「違います」
そんな見え透いた手に引っかかるわけがないだろうに。
「岡田さんと坂江さんは、
「『二度目』とは?」
「私は女性と致すとき、前もって『同じ女性とは二度と寝ない』からと宣言しております。つまりどんな女性も『一度かぎり』というわけです」
「ほう、豪快なお考えで」
「未熟なだけですよ」
これは事実であった。単に未熟だったから『同じ女性とは二度と寝ない』などと形式にこだわるのだ。
「では岡田さんか坂江さん、どちらかが
「それも現実的ではありません」
「なぜ?」
「私がまだ
「なかなかに複雑な人間関係ですね」
「そうでしょうか。きわめて単純だと思いますよ」
「単純? どこが?」
「同じ男と一度寝た女性たちが、まったく手つかずの女性と仲良くしたかった。ただそれだけです」
「痴情のもつれでの犯行ではないと言いたいのですか」
「そのとおりです」
取調室の扉が開き、年配の刑事が入ってきて、まあ変われやと座席に着いた。
「あんたはなぜ自分の部屋と彼女の部屋に盗聴器が仕掛けられていたと気づいたんだ?」
「こちらの声が筒抜けなのに、あちらの声が聞こえてこない。防音仕様のマンションでそんなことが物理的にありうるでしょうか。『盗聴器を仕掛けられた』と考えるのが妥当でしょう」
刑事は手にしていた資料を見る。
「あんたの自宅にあったパソコンとスマートフォンを解析したが、なんら不自然なところがなかったそうだ。消されたファイルやメールなども復元をかけてみたが、何者かと連絡をとった形跡も怪しげなものを買っていた痕跡もなかったらしい」
「当たり前です」
「当たり前、か。自宅の中に手がかりは残していない、と」
「違います。彼女の対しても、岡田さんや坂江さんに対しても、後ろ暗いところはいっさいありません。ありのままの自分で接していました。そうしたら、なぜか皆に好かれていた。ただそれだけのことです」
「プレイボーイによくある自慢か」
「自慢ではありません。事実です。これから岡田さんや坂江さんにも聞かれるのでしょうが、彼女たちにしても、自分の意志で私に好意を抱いたのであって、なんらかの薬物や催眠術などで仕向けるなどもしていません」
「鑑定の結果、どこにも覚醒剤やマリファナの類は出てこなかったな」
「当たり前です」
年配の刑事はため息をひとつ漏らした。
「あんたの話に嘘はないように思えるが、それを事実と判断するには材料が乏しすぎるな。少なくとも女のふたりのほうの話を詳しく聞いて、矛盾しなければ解放できるだろう。幸い、休暇をとったらしいからそれまで待てるだろう」
「待てはしますが、なにもしないわけにはまいりません。押収されたノートパソコンとスマートフォンをここで今すぐ返却願えませんか。詳しく調べた結果、なにも出てこなかったのなら返却請求されたものは返さなければならないはずです」
「
「ありがとうございます」
「おい、押収品の中からこの男のノートパソコンとスマートフォンを返してやれ」
若い刑事へ行動を迫った。
「しかしまだ捜査中ですよ。終わるまでは返却致しかねますが」
「少なくともこの男は信用に値する人物だ。聞かれたことをまったく隠そうともしない。たとえ自分の評価を下げるようなことに関しても、だ」
「三人の女性との関係も含めて、ですか」
「そうだ。これ以上問い詰めても、この男はけっして嘘をつかないだろうさ。なっ?」
「はい。たとえ過去の自分がどんなにふしだらであっても、隠すつもりなど毛頭ありません。すべて包み隠さずお話し致します」
「ほらな。だからこいつは嘘などつかんよ。押収品は俺の権限で返してやれ」
「しかし警視……。わかりました」
若い刑事はなにか言おうとしたがあきらめたようだ。
「君、この事件の押収品からこれとこれを持ってきてくれ」
近くの警察官に頼みごとをして部屋から出させた。
だが、まだ身の潔白が証明されたわけではない。それが叶うのは
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